今の政府を見ていると、同じ様なことを何度も何度も批判・指摘せねばならず、このブログなどで何度も書くことにうんざりするし、何度も書いているのに一向に事態が改善する兆しが見えず、それどころか寧ろどんどん悪化しているような状況で、そんな政府にも、そんな政権を7年以上も信任し続けている日本の有権者にも絶望感を覚える、という話を昨日の投稿で書いた。だが、同じ様なことを何度も批判・指摘する必要があるのは現政権に限らない。
理不尽な校則や指導については、自分が学生の頃から、というか寧ろそれ以前から指摘はあったようだが、勿論全く変化がないとは言えないものの、相変わらず必要性を教員や学校が説明すら出来ない校則、理不尽な指導は存在し続けている。
それは、生来黒髪でない生徒にまで黒髪を強要して染めさせたり、地毛証明書なるものを提出させたりする所謂黒髪強要問題が、たった3年前・2017年に話題になり(2017年10/18の投稿「不必要な校則、不適切な指導」)、それ以降も抜本的な解決がなされたとは言い難い状況であることからも明らかだ。勿論そのような理不尽なことをやっているのは、日本の全ての学校ではなく一部なのだろうが、必要性を教員や学校が説明すら出来ない校則、理不尽な指導がほぼない学校の方が圧倒的多数、なのかと言えばそんなことは全くない。これは断言できる。
共産党都議会議員のツイートが昨日タイムラインに流れてきて、またこんな投稿を書かなくてはならない、といううんざりした気分になった。
— 池川友一 都議会議員 (@u1_ikegawa) July 13, 2020
この件に関してツイートした池川都議は自身のブログにもその顛末を書いているし、共産党都議団のWebサイトにも質問と答弁の詳細が記載されている。
ツーブロックは、かなり広い定義の髪型として今、定着していると考えます。それを全体として禁止していることについて、何で禁止をされているのかという声がたくさん寄せられています。実際に、そのことによって指導を受けている生徒もいらっしゃいます。なぜ、ツーブロックはだめなんでしょうか。と池川都議が質問したところ、都の藤田教育長が、
その理由といたしましては、外見等が原因で事件や事故に遭うケースなどがございますため、生徒を守る趣旨から定めているものでございますと回答した。つまり髪型を、刈り上げた部分とそうでない部分で髪の長さが大きく異なる刈り上げ・所謂ツーブロックカットにすると、事件や事故に巻き込まれるから禁止している、と言うのだ。
もう滅茶苦茶である。池川議員が言っているように、ツーブロックにすると事件や事故に遭う、という話の合理性、特に事故の方は、その合理性を説明出来るとは全く思えないし、もし仮に髪型や外見によって事件や事故に巻き込まれる確率が著しく上昇するという話が事実であり、その理由で特定の髪型の規制が妥当であるなら、通学中の生徒を狙った痴漢は間違いなく多く、つまり制服によって生徒が痴漢に遭う確率が上がる、言い換えれば、学校が女子生徒にスカートでの通学を強制することが痴漢に遭う確率を上げているので、文科省や各教育委員会は、今すぐにでも制服、少なくともスカート着用の強要は止めなくてはならない。
革新的な思考をする人が、国内の他地域と比べて多い地域の1つ、首都・東京の教育長がこんなレベルなのだ。勿論都よりも教育長/教育委員会がまともな地域もあるかもしれないが、度々話題になるその種の問題に鑑みれば、そんな地域の方が多いとは到底思えず、つまり都のこの状況は日本の教育環境の縮図と言ってもよいのではないだろうか。
など、これまでにも何度も理不尽な校則や、本旨を逸脱してしまったルールなどについて書いてきた。他の国や地域と比べてどうこうということでなく、間違いなく日本人には「兎に角ルールだから守れ」という風潮がある。それは「目上の者の言うことには兎に角従え」という、儒教思想の一部を歪曲して捉えた認識によると自分は考えている。協調性の高さ、と言えばそれは長所のようにも聞こえるが、それは同時に、同調圧力が強い、ということでもあり短所にもなる。そんな部分が発露したのが、「内容の合理性や妥当性を考えずにルールや規則を妄信しがち」という日本人の性質だ。
前述の「ルールの本質」という投稿の中でも書いたが、
ルールとは一体何なのか、そのルールは何の為にあるのか、何の為に必要なのかということについて、誰もが今一度考え直す必要があるように思う。それを出来ない者が教育長を務めるという状況は、ルールに隷属する奴隷が、奴隷気質の生徒を量産しようとしている、と言っても過言ではないのでないか。
トップ画像は、 市川学園旧校舎 | 西館の教室 Abandoned buildings of Ichikawa junior/senio… | Flickr を加工して使用した。