世界の中心で愛を叫ぶ、とは、2001年発刊の小説及びそれを原作としたマンガ/映画/テレビドラマで、小説は300万部を超える大ヒット、映画も大人気だった(世界の中心で、愛をさけぶ - Wikipedia)。ひねくれた自分は、タイトルを見てまず「世界の中心ってどこだよ」と思った。
世界だと少し想像し難いので「日本の中心」に置き換えて考えてみる。日本の文化/政治的な中心と考えれば、殆どの人が東京と答えるだろう。だが、政治的な中心と考えれば東京/永田町周辺だろうし、オタク系カルチャーの中心は秋葉原だ。最近は新大久保に移行しつつある気もするが、若者文化の中心は渋谷/原宿と答える人が多いだろう。また日本の伝統文化の中心はと問えば、多くの人が京都と答えるだろうし、精神的な中心には、日本の象徴の1つと言える富士山を挙げる人もいるかもしれない。しかも富士山と言っても山頂なのか、全体が見える場所なのか、見える場所もどこから見るのかなど、中心の定義は定まらない。地理的に日本の中心だと言っている自治体も一つでなく、様々な捉え方で複数の自治体が日本の中心に名乗りを上げている(「日本の真ん中」はどこだと思う?【都道府県別投票】 - Jタウン研究所 - Jタウンネット 東京都)。
一口に日本の中心と言っても、捉え方考え方は様々で、一概に「ここが日本の中心」と言える場所はない。それは世界の中心も同じだ。
以前に「世界は欧米だけじゃないし、外国人は白人だけじゃない」という投稿を書いたことがあるが、日本には確実に世界=欧米社会と捉えている人がいる。例えば「世界的大ヒット」と評される作品が、実際には英語圏でヒットしているだけなんてことはよくあるし、場合によってはアメリカで話題になっただけで「世界的な話題に」と言うこともある。しかし厳密には、世界とは、トップ画像の赤い部分、つまり旧西側の先進国だけを意味する言葉ではない。世界とは、トップ画像の全体を示す表現であり、全ての国と地域ではなくとも、北米と欧州だけでなく少なくとも南米/アフリカ/アジア/オセアニアで話題になっていなければ、「世界的な話題」になったとは言えないだろう。
その他に「日本の新元号「令和」が2019年世界の話題2位?」 という投稿も書いた。これは、世界のTwitterで「令和」が2019年の話題になった出来事2位になった、というツイッタージャパンのツイートへの異論だった。日本は世界的に見てツイッターの利用者が多い国であり、日本のツイッターで話題になると自動的にその話題がツイッター全体で上位になる傾向にある。例えば、令和/Reiwaに関する投稿が複数の言語でされているのなら、世界のツイッターで話題になったと言えるかもしれない。しかし実際には令和に関するツイートの殆どが日本語であり、決して世界のツイッターで話題になったわけではなく、日本のツイッター、ツイッターの日本語圏で話題になった、とするのがより正確だ。
「令和」がツイッター上で話題になった出来事2位なったことを以て、日本の改元が世界から注目された、と主張している人もいたが、前述のようにそれは明らかに勘違い・ミスリードである。ツイッターの日本語圏、どれだけ多く見積もっても世界ではなく、ツイッター界隈、ツイッターの世界が関の山だ。
世界という言葉は、基本的にはトップ画像全体のような全世界を指すが、もっと限定的な分野/範囲を指す場合もある。例えば、近藤 真彦さんはジャニーズ事務所所属の芸能人でありながら、レーシングドライバーとしも活動していた。レーシングドライバーは引退したが今もレーシングチームの監督を務め、芸能界だけでなくレースの世界にも身を置き続けてる。この場合の「世界」は決して全世界ではなくもっと狭い範囲を示している。例えばテレビ業界や音楽業界をテレビの世界、音楽の世界と言ったりもするが、それも同様だ。
つまり、世界とは必ずしも全世界を指す表現ではなく、冒頭で触れた「世界の中心で愛を叫ぶ」も、決して全世界の中心を意味したものではない。捉え方は一つではないだろうが、意地悪な言い方をすれば、「私の目の届く範囲の世界」の中心で、のような意味だろう。
数日前に、いじめや差別に悩む10代のアスリートたちが、スポーツを通じてつながり、困難の中でも前を向いて自身の力を発揮させるナイキの動画が話題になった。
「ありのままに生きられる世界、待ってられないよ」。アスリートへの差別、いじめを描くナイキの動画が胸を打つ ハフポスト
個人的には、当該ムービーを否定するつもりはないが、差別やいじめを否定する一方で、自分を変えられるように強くなれ!という「同調圧力」もこの動画には含まれているようにも思う。変わるべきはいじめや差別を受けている側ではなく、いじめや差別をする側なのに、という感想も持った。
このムービーは凡そは称賛されているのだが、「ナイキが日本の差別を誇張している」「この映像が一番訴えているのは「日本は外国人を差別する」というものだ」なんて言っている人達もいる。
米ナイキの多様性示す広告、日本で大きな反発 なぜ? - BBCニュース
これが話題のCMか、初めて見た。
— 百田尚樹 (@hyakutanaoki) December 2, 2020
この映像が一番訴えているのは、
「日本は外国人を差別する国だ」
というものだ。
私はもう絶対にNikeを買わない。 https://t.co/yO5RPjvRFg
同性婚や選択的別姓制度の反対派に、「自分の周りで同性婚/選択的別姓制度がなくて困っている人なんて誰もいない、だからそんなのは必要ない」のようなことを言う人たちがいる(2018年8/1の投稿)。いじめや差別に関しても同様で、「自分の周りにはいじめも差別もないのに、まるで日本がいじめや差別だらけみたいに言うな」と言っている人達がおり、このムービーに嫌悪感を示している人の大半がその類だ。
事実を歪曲して「日本は外国人を差別する国」だと言うならナイキはもう絶対に買わない、などと言っている百田は、以前にこんなツイートをしている。
はっきり言います!
— 百田尚樹 (@hyakutanaoki) January 3, 2019
韓国という国はクズ中のクズです!
もちろん国民も! https://t.co/ESuwo4SmdE
自分こそが外国人を差別する日本の典型的例なのに、自分の見える世界が世界の全てだと思っているから、平然とこんなことが言えるんだろう。それとも韓国国民を外国人というか人と認識していないのだろうか。
他国と付き合いがなかったどころか、庶民が藩、今でいう県をまたぐ移動をすることが一般的ではなく、メディア未発達だった前近代まで、日本人にとって自分の周辺だけが世界の全てだっただろう。しかし21世紀になって移動も容易になり、情報を得る手段は飛躍的に増えたにも関わらず、未だに自分の周りが世界の全てだと思っている日本人が少なくない。
世界は決して自分の見える範囲がそのすべてではない。
トップ画像は、Gordon JohnsonによるPixabayからの画像 を加工して使用した。