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オタク=キモイ というイメージが根強く残るワケは…

 オタクという表現は、今では何かに強い興味を持ち精通した人、所謂マニアと同義で用いられるまでになったが、元はマンガ・アニメ好きへの軽蔑の念を多分に含んだ表現だった。今でもネガティブなニュアンスで用いられることもあるが、現在オタクは一定の市民権を得ており、また国外などではクールであるとすら捉えられる場合もある。だが、当初はまぎれもなくマンガ・アニメ趣味への揶揄だった。

 オタクという表現の発祥は、1983年に漫画ブリッコに掲載された、中森 明夫のコラム「おたくの研究」だとされている。当該コラムは現在Webで公開されていて、それを読めば、如何に軽蔑の念がこめられた表現だったのかがよく分かる。自分はリアルタイム世代ではないので、後追いでこの辺のことについて知った。だから、当時の中森 明夫がどのような人物だったのかは厳密には分からないが、漫画ブリッコは成人向けロリコン漫画誌だし、中森 明夫の当時の活動や、彼が、現在は所謂典型的なオタク趣味の1つになっているアイドルの評論家を自称していることなどを考えると、彼も所謂オタク趣味の人間であり、その集合の中で自分はレベルが高い、ということを誇示したいが為の同族嫌悪的な側面があったのではないか?と強く感じる。

 オタクという表現は、1980年代から鉄道マニアやカメラマニア、SFファンや電子工作ファン、アイドルおたくやオーディオファン、あるいは勉強しか取り柄のない「ガリ勉」というニュアンスがあった、という話もあるが、おたくの研究では一切それらに関する言及は見られない。アニメやマンガ趣味、主に美少女ものを愛好する人達に向けた軽蔑が書かれている。
 当該コラムは1983年に掲載されたものだから、1980年代後半になれば少し状況は違ったのかもしれないが、1988-89年にかけて幼女連続誘拐殺人事件が起きて、その容疑者がおたく・ロリコン・ホラーマニアとして殊更に報道されたことで(実際には大量に所持していたビデオテープのごく一部にそのような作品もあっただけ)、世間一般で、オタク=アニメ/マンガ愛好家・ロリコン趣味、というイメージが決定的になった。

そしてそれはその後も強く残り、今でもオタクと呼ばれることを嫌がる人、揶揄だと捉える人も少なくない。00年代以降は徐々に、オタク=マニア、という認識に変わっていったが、幼女連続誘拐殺人事件を知る世代を中心に現在も、狭義でのオタクはアニメ/マンガ愛好家・ロリコン趣味というイメージが根強い。


 オタク=キモイ、というイメージは、そのステレオタイプとして、自分の趣味以外への興味が著しく低く社交性がに欠ける、身だしなみに疎く臭い・汚いとか、中森 明夫も「おたくの研究」の中で

イトーヨーカドーや西友でママに買ってきて貰った980円1980円均一のシャツやスラックスを小粋に着こなし、数年前はやったRのマークのリーガルのニセ物スニーカーはいて、ショル ダーバッグをパンパンにふくらませてヨタヨタやってくる

と書いていたが、マザコン、ファッションセンスが強烈にない、つまりダサい、などのように、物理的な特徴として描かれることが多い。社交性やマザコンは少し違うが、社交性のなさにもおどおどしているとか人とうまく話せないという目に見える要素はあるし、マザコンも母親に一切逆らえないとか自分のことを自分でできないとか、目に見える要素を含む特徴でもある。

 社交性が低くいから、他人とコミュニケーションをとらなくても1人で楽しめるマンガやアニメに興味を強く持つのかもしれないし、社交性が低く他人と関わらないから、身だしなみやファッションセンスが備わらない、という側面もあるんだろうが、中森がそのような属性をオタクと称した理由は、

たとえば中学生ぐらいのガキがコミケとかアニメ大会とかで友達に「おたくらさぁ」なんて呼びかけてるのってキモイ

であり、つまり当時既にコミケやアニメ趣味の集まりなんてのは既に行われていて、必ずしもステレオタイプとして描かれるような人たちばかりがオタクだったわけではなく、ある程度の社交性を持っている者もいたはずだ。多分、中森のコラムがステレオタイプのイメージを作り、そして幼女連続誘拐殺人事件に関する報道とも言えない野次馬根性のゴシップが、オタクのステレオタイプイメージを決定付けたんだろう。

 ではオタク趣味愛好家は概ねキモくないのかといえば、何とも言い難い。勿論その大多数は一般常識を持ち合わせている分別のある人達なんだろうが、一部に一般的な感覚とはかけ離れた素っ頓狂なことを言う人、しかもその素っ頓狂なことでマウントを取ろうとしてくる人がいる所為で、オタク=キモイというイメージが根強く残っているんだろう。
 例えば、8/26の投稿で書いたことはその典型的な例だ。4WD車全般をジープと呼ぶことや、ブルーインパルスの機体を戦闘機と表現すると、それが文脈上些細なことであり、話の趣旨には大きく影響しないことなのに、その趣旨とはズレた点ばかり強く指摘し、しかも謎の上から目線で指摘してくるような人は、それらの分野に強い興味を持っていない人から煙たがられるのも当然だ。本人たちは正しい知識を啓蒙しているつもりなんだろうが、そのようなことをやると、自動車マニアや軍事オタク=キモイ、という印象が残るだけだ。
 勿論そのようなことをやるのは所謂オタク趣味の人達に限った話ではなく、例えば、女性だけでボーリングをしていると、隣のレーンで一人で投げていたオッサンが頼んでもいないのにあーじゃないこーじゃないとコーチしてくるとか、ゴルフの打ちっぱなしでも同じ様なことがあるようだ。最近はカメラや写真を趣味にしている人も多く、その界隈でも同種の事案がある、なんて話も耳にする。カメラや写真はオタク趣味の範疇かもしれないが、ボーリングやゴルフは明らかに所謂オタク趣味ではなく、オタク以外でもキモイ奴は間違いなくいる
 しかし、オタク趣味には90年代以前の負のイメージが根強く残っている為、オタク=キモイとなってしまいがちだし、オタク趣味の中心的存在であるマンガやアニメにはエロの要素も多く、エロ要素の多くは10代・未成年を性的に描いたもの、ロリコン趣味なものが圧倒的に多く、それもオタク=キモイとなりがちな要素だろう。


 千葉県警が、出演していたバーチャルユーチューバーの女性キャラクターが性的で不適切だとの抗議が寄せられたため、ツイッターやYoutubeで公開していた子ども向けの交通ルール啓発動画を削除した、という話が数日前に話題になっていた。

交通ルール啓発動画削除 女性キャラ「性的」と抗議受け 松戸署 | 千葉日報オンライン

 2019年の献血ポスターの件、2020年の沼津JAのポスターの件があったのに(2020年2/15の投稿)、千葉県警はそこから何も学んでいなかった、としか言えない。この件に関して、投稿を書いている時点で 千葉県警のサイト には何の記述も見当たらない。有耶無耶にしたい感がにじみ出ている。

 何が問題なのかと言っている人もいるようだが、全国フェミニスト議員連盟は「極端なミニスカートで、体を動かす度に胸が揺れる。女子中高生だと印象づけた上で性的対象物として描写し、強調している」と指摘している。そしてそれが公的な機関の”子ども向けの交通ルール啓発動画”に用いられた、ということだ。
 国や地域によっては、宗教的な観点から、たとえフィクションであっても小児性愛、未成年を性的に描くことをタブーとしていることもあるが、児童ポルノが禁じられるべき理由は、搾取される子ども、虐待される子どもら、つまり被害が生まれるからであって、思想信条の理由が保障されている国では、フィクションまで禁じる合理的な理由はない。もし社会に与える影響、という理由で全面的に制限することが可能であれば、暴力的な表現を含むマンガ/アニメ/映画/音楽等などの表現活動全般も否定できることになる。フィクションまでを否定・全面的に規制することは、ある種の思想統制であり、それは全く危険な発想だ。
 だから、当該バーチャルユーチューバーのキャラも、それ自体・その表現を全面的には否定できない。これに接するのは何歳以上が妥当か、という議論はあっても、キャラクター自体を否定することに合理性はない。しかし、「極端なミニスカートで、体を動かす度に胸が揺れる。女子中高生だと印象づけた上で性的対象物として描写し、強調している」という受け止めに一切合理性がないかと言えば全くそんなことはなく、この評価はかなり実態に即している。
 そのスカートの丈は、2020年2/15の投稿で指摘したように、少し動けば下着が見えるような、現実的にはアダルトビデオの中か風俗店でしか見ないような丈で、更に上着の丈も異常に短く、過度な露出と言うべき衣装であり、しかもキャラクターが動くたびに胸を揺らす表現は、性的と言われて当然だろう。
 現実にも動けば胸が揺れるふくよかな乳房を持っている人もいる、と擁護する声もあるが、アニメキャラクターというのは作者が意図的にデフォルメしている存在であり、そこに過度な露出と乳が揺れるという表現が加えら、しかも当該キャラクターは、脚など下半身には動きがつけられていないのに、胸には動きを付けているのだから、そのような擁護は筋違いでしかない。そして批判の趣旨は、そのような表現自体がアウトかどうかではなく、このキャラクターが、子供向けの動画、しかも娯楽作品ではなく、公的機関による啓蒙に相応しいか否かである。

 千葉日報の記事には、

キャラクターが所属する事務所の代表は「衣装はアイドルを意識したもので性的な意図はない。地元を盛り上げたいという思いで活動しているのに、見た目だけで女性蔑視だと言われるのは納得できない」と話している

とあるが、本人に性的な意図はなかろうが、それが見る側にどう見えるかとは別の話である。○○の意図はない、というのは、いじめた側/パワハラセクハラをやった側の常套句でもある。地元を盛り上げたいという思いはすばらしいが、だからこのキャラは全ての人に受け入れられて当然、ということでもない。また、見た目だけで女性蔑視だと言われるのは…という話も、未成年に見えるキャラに対して多分に性的な要素を付加しているのだから、見た目による判断はやむを得ない。子供向けコンテンツに出演させたいなら、少なくとも露出の少ない衣装を用意すべきだ。一体何のための3Dキャラなんだろうか。納得するかしないかは本人の自由だが、このような、批判の趣旨とはズレた強引な反論や擁護は、それはオタク=キモイというイメージを強化してしまう

 全国ライブ配信協同組合準備会(AlisCoop全配信協)なる団体が、抗議した議連に対して謝罪を要求しているようだが、そんなのは全く逆効果でしかない。自分達の不見識、認識のずれを露呈し、オタク=キモイというイメージをより一層強化するだけだ。


 この件に関するこんなツイートも話題になっている。

肩やデコルテ自体は大きく開いてるけど、これは洋装の正装であるイヴニングドレスの範疇。胸が大きく描かれてるのもリアル本人準拠。 そして、胸も過激に揺れたりなんかはしない。 それでも反感買うんだろうな

これは、一見まともな反論のように見えなくもない。しかしこのツイートの欺瞞はすぐに喝破されていた。

これらの批判や指摘のように、懸案のツイートは自分にとって都合の悪い、下乳や腹出し部分、ガーターベルト露出部分など、胸から下をトリミングしカットした画像を掲載してそんなことを言っていた。


 8/27の投稿でも指摘したが、所謂オタクの中には、自分の趣味の対象が否定的に捉えられることが我慢ならず、著しく合理性に欠ける話で強引に擁護しようとする、ご都合主義な人たちがいて、そのような人たちこそが オタク=キモイ というイメージが今も根強く残り続ける元凶だ。
 なぜ、強引な話や論点ずらし、すぐにバレる嘘を用いた反論・擁護は、逆に嫌悪感のタネになってしまうということや、漠然としたオタクヤバイ、オタクキモイというイメージを醸成してしまう、ということに気づかないのだろうか。 この人などは自らキモがられに行ってるし、好きなキャラや趣味が嫌われる火種に薪をくべている。最早擁護と言うよりもアンチ行為ですらある。


 彼らの言っていることは、教育テレビ・現Eテレで ミニスカポリス を放送する必要はないでしょ? という指摘に対して、放送させろ!させないのは権利の侵害だ!と言っているのと同じようなものだ。いや、性的な要素が複数付加された未成年にしか見えないキャラクターへの指摘であることを考えれば、所謂ジュニアアイドルが水着になるDVDを、Eテレで放送させろ! と言っているようなものかもしれない。ミニスカポリスをわざわざEテレで放送する必要はない。その種の番組は民放の深夜帯かWeb配信で楽しめばいい。
 そう言っても、本人たちは、そんな意図はない、と言うんだろうし、絶対に認めないんだろうが、自分達以外にどう受け止められるか、を少しは考えた方がいい。アニメやマンガを愛好する自分にとって彼らは、アニメやマンガの地位向上を妨げる、というよりも地位を下げる迷惑な存在でしかない。


 トップ画像には、Akane-k | Pixabay のイラストを使用した。

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