国会議員の仕事は何か。衆議院議員に限って国会議員のことを代議士とも呼ぶ。代議士とは、国民を代表して国政を議論する人、という意味である。もっと分かりやすく言えば、国会で議論をすることこそが、その名の通り国会議員の仕事だ。
ちなみに、現在は参議院議員も公選で選ばれるので衆院選議員同様に実質的には代議士だが、参議院の前身・戦前戦中の貴族院は公選でなく世襲・勅撰・互選であった為、国民の代表ではなく、だから代議士は衆議院議員だけだった。その名残で今も衆議院議員だけが代議士と呼ばれる。8/13の投稿でも書いたが、衆参どちらかの1/4以上による国会開催の要求があれば、内閣は召集を決定しなければならないと憲法に定められているのに、前菅内閣、そしてその前の安倍内閣も、それを無視して国会を召集してこなかった。
菅政権、憲法軽視浮き彫り 臨時国会要求を事実上拒否:時事ドットコム
安倍政権に関しては、1回ではなく何度もそれを繰り返し、2017年には、召集要求から2ヶ月も経ってやっと臨時国会を招集したかと思えば、全く議論もせずに即日解散するという暴挙に出ている(2020年9/1の投稿)。国会とは議論の場であり、議論のない形式的な召集、即解散というのは、憲法軽視、いや憲法無視と言うべき行為だ。
憲法は、衆参どちらかの1/4以上による国会開催の要求があれば、”内閣は”召集を決定しなければならない、と定めているが、召集を拒んでいるのは内閣だけでなく、それを構成する与党、自民党も召集を拒む側である。
冒頭で示したように、国会議員の仕事は間違いなく国会での議論だ。例えば、与党が数の力を背景に非合理的な議事運営をしようとすることへの抵抗など、抗議の意を込めたボイコットなどなら、議会への出席拒否も全く合理性を欠く行為とは言えないが、合理性のある理由もなく欠席したり、議会での議論から逃れようというのはサボタージュ、つまりサボり以外の何ものでもない。召集拒否はその典型的な例であり、国会議員の本分も憲法の精神も無視した悪質な行為だ。
7月に憲法に基づく国会の召集要請があったにもかかわらず、菅内閣はそれを無視し続けて召集せぬまま、自民党総裁選の結果を受けて総辞職した。それによって新たに発足した岸田内閣は、10/4に臨時国会を召集したが、10/21の衆院議員の任期末理由に会期を10/14までとし、国会の要である予算委を開かずに衆院選を行う意向である。
岸田氏の「聞く耳」どこに… 国会会期は14日まで 予算委開かず衆院選へ:東京新聞 TOKYO Web
つまり、国会は召集したが議論はしないという姿勢であって、結局、前政権/前々政権同様に、憲法の精神を無視していることに変わりはない。それが「生まれ変わった自民を国民に示す」と言っている岸田(10/1の投稿)の本質、いや自民党の本質なんだろう。
今日は既に10/11で、このまま行けば岸田内閣、いや自民党の意向通りに、実質的には国会での論戦が行われることなく会期末を迎え会期延長もなく、衆院選に突入するんだろう。ボロが出るから予算委はやらない。有権者には出来る限り判断材料を与えずに選挙に入るのが吉
それが自民党の判断・選択ということだ。
田村智子政策委員長
— EMIL #比例は日本共産党 (@emil418) October 10, 2021
「国会で議論をしてから総選挙をやるのが当たり前で公約に盛り込んだから大丈夫というのはあまりにも無責任」
高市早苗政調会長
「国会で議論しても全ての方が見てらっしゃるわけじゃございません」
耳を疑った#日曜討論 pic.twitter.com/mcVp99HjyR
昨日NHKが放送した番組の中で、前首相・安倍らの支持を背景に自民党総裁選にも立候補した高市 早苗が、共産党 田村 智子に「国会で議論をしてから総選挙をやるのが当たり前」という指摘に対して、
国会でずっーと議論してても、全ての方が見ていらっしゃるわけじゃございません。選挙はそれぞれの政党が公約を掲げて、どこが政権を担うのか、これを選んでいただく、そういうもの
と応じた。
高市も一応衆議院議員である。しかももう既に8期目だ。安倍政権の間にいくつもの大臣職を任されてもいる。そんな人物が、全ての人が見ているわけじゃないから国会で議論しなくてもよい、と言う。これは自民党の性質・体質をよく表しているとしか言いようがない。なぜなら、この発言から1日経っても、自民党関係者から一切批判の声が上がっていないからだ。
人が見ていないと手を抜く人、というのは少なからずいる。しかしそれを悪びれることなく自ら公言する人は珍しい。高市がやっているのはその類だ。高市は、私は国会での議論が仕事の国会議員だが、人が見ていないなら議論しない、と声高らかに宣言したのだから。
高市は、それぞれの政党が公約を掲げてアピールし、それを見て有権者が選ぶ。国会で議論しても全ての人が見るわけじゃないし、議論はいらない、と言っているが、政党や立候補者の公約だって全ての有権者が全ての政党・立候補者の掲げる公約に目を通すわけじゃない。もうその時点で主張に無理がある。
また、政党が公約を自らアピールするだけでは全く不十分だ。何に実行性や現実味があって、何が美辞麗句で羊頭狗肉なのかを有権者が判断する為には、間違いなく国会での論戦が必要だが、高市はそれは必要ないと言っている。つまり、やはり高市、いや自民党にとって議論は都合の悪いものでしかないのだ。それはここ8年、安倍自民党政権以降の国会を見ればよく分かる。はぐらかし、嘘、誤魔化し、時間稼ぎが横行している。真っ当な議論をやっているなら、高市や自民党だって国会での論戦を見せたい筈だ。出来ないから見せたくない、やりたくない、それだけだ。
議員怒気、官僚震え…国会軽視の裏にある自民「密室」会議の実態 | 毎日新聞
こんな記事も10/9に出ていて、如何に自民党が国会を軽視しているか、はこの記事からも分かる。
2018年に野党が、加計学園問題に関する与党の非合理的な国会運営に抗議して国会審議をボイコットした際に、政府/自民党寄りのメディアやその積極支持者らが、「野党は○○連休」と揶揄した。
しかしその種のメディアや積極支持者達は、与党・自民党とそれによる内閣が、いくら国会召集を無視し続けても、「○○内閣・自民党は○○連休」とは言わないのだ。彼らが如何に恣意的で稚拙かがよく分かる。確かに、それ程稚拙でもなければ、「全ての人が見るわけじゃないから国会での議論は必要ない」と言ってしまう国会議員の本分を無視した議員がいて、しかもそれを誰も批判しない党など支持できる筈はない。