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馬鹿げた擁護はむしろ迷惑行為でしかない

 ヤングマガジンで連載中の漫画「月曜日のたわわ」の、4/4の日本経済新聞全面広告掲載の件、事の発端から約1週間になるが、いまだに関連ツイートがタイムラインに流れてくる。そんな比較をすべきではないんだろうが、ロシア/ウクライナの件と比較すれば、そんな話題がこんなにも注目されること自体が平和だな、とも思うものの、かと言って生暖かい目で見ていられるような話でもない。

 その件については、既に4/6の投稿で自分の見解を示している。一応さわりを書いておくと、当該漫画の存在自体、出版されること、愛好することは否定しないが、成人が未成年に性的な視線をあからさまに送る内容の漫画に関する広告、しかも全面広告を大新聞が掲載し、広告を出稿した編集部が「それを見て社会人に元気になって欲しい」なんてコメントしたら、批判/非難されて当然である、というのが自分の見解だ。
 当該漫画は、ストーリー上必要のある要素としてや、主体となるストーリーなどが別にあって、設定として胸のふくよかな女子高生/女性も出てくる作品ではなく、そもそも胸のふくよかな、所謂巨乳の女子高生/女性自体が主なテーマになっている。裸体が頻繁に出てくる内容ではないのでエロ漫画とまでは言えないかもしれないが、所謂お色気漫画の類いであることは否定のしようがない。

 4/6の投稿では、漫画もあくまでもフィクションだから、(未成年を性的に見ても/描いても)被害者はいないのでいいじゃないか、という話についての見解も書いた。たしかに、フィクションであっても小児性愛/未成年の性的な側面の描写は全面的に否定すべきだ、否定しなければならない、という話には自分も全く賛成できない。分別のある成人がフィクション作品を愛好することまで否定するのは、思想信条の自由や表現の自由にもかかわる。
 しかし、未成年の性的側面を描写する漫画やアニメが多い日本の現状が、未だに世界的に見て男尊女卑が深刻であるということを勘案すれば、あくまでもフィクションだから、未成年を性的に見ても/描いても、被害者はいないのでいいじゃないか、という話の説得力は限定的である、というのがそこで書いたことだった。
 それから数日、自分のツイッタータイムラインに流れてくる関連ツイートを見ていて感じたのは、相変わらず、短絡的で非合理的な擁護をする人があまりにも目立つ、ということだ。当該作品について、性的な視点、特に成人が未成年に性的な視線を送っている要素があるということを無視した擁護、もしくはそんな要素は全くないという前提の擁護こそが、「フィクションであっても歪んだ認識を生み出すので、何らかの規制が必要」の妥当性を強調してしまっている。あの作品には性的要素がない、成人が未成年を性的に見る要素がないと認識とする成人が多いなら、未成年保護の観点からフィクションであっても規制を強めるべきだ、という話になりかねない。


 もう既に誰かが指摘しているのかもしれないが、あの広告が掲載されたのが日本経済新聞のような大新聞ではなくて、スポーツ新聞だったなら大して問題視もされなかったんだろう。成人向けではなく誰でも買える一般向け出版物のスポーツ紙に、エロ記事があるのはどうなのか?問題は別にしても、スポーツ紙はそういうもの、と誰もが認識しているだろうからだ。
 クラブなどにセクシャルなプリントTシャツ着ていくのはなんの問題もないが、学校の授業参観、一般的な冠婚葬祭、一般的な職場など、一定レベルのフォーマルが必要とされる場に、セクシャルなプリントTシャツ着ていくのは相応しくない、のと同じことである。新聞社/出版社が場をわきまえられなかった、ということも、前段の話と同様に、フィクション作品であっても歪んだ認識を誘発しかねない、ということを強く感じさせる。

 2020年2/15の投稿や、2021年9/17の投稿でも書いたように、このような件は以前からしばしば起きているので、日本には未だに歪んだ認識を持つ大人が少なくなく、だからこのようなことが繰り返されているし、男尊女卑/男女格差も改善しない、とも言えるのでないだろうか。


 2021年9/17の投稿は「オタク=キモイ というイメージが根強く残るワケは…」と題して、なぜオタクがキモいと言われるのか、ということについて書いた。オタク+キモい でGoogle検索すると、臭い/不潔/ダサい など見た目に言及するWebページが多くヒットする。臭いと不潔が敬遠されるのは仕方ないにしても、ダサい云々はその人の趣味の問題なので、=キモい/気持ち悪いというのはある種の中傷だろう。しかしそれ以上に オタク=キモいとなってしまうのには、認識や感覚があまりにも世間一般からかけ離れていて、非合理的なことを平気で主張する、という要素が大きい、と書いた。
 今回の月曜日のたわわの広告の件についても結局、当該作品について、性的な視点、特に成人が未成年に性的な視線を送っている要素があるということを無視した擁護、もしくはそんな要素は全くないという前提の擁護が目立ってしまっていて、今回に限らず、そのようなことによって、漫画やアニメなどのサブカルを好むオタク=キモい というイメージが補強されてしまっている、と自分は感じている。

 20年以上もかけて、宮崎勤や酒鬼薔薇の影響による悪いイメージから脱却してきたのに、漫画やアニメなどのサブカルを愛好するオタクが、自らわざわざイメージを後退させるんじゃない、という感しかない。自分も漫画やアニメなどを愛好する者の1人なので、馬鹿げた擁護こそが一番迷惑だ。


 昨今、日本の漫画やアニメは海外でも人気、というのはその通りだとも思う。しかし一方で、多くの作品は一般人にもウケているとまでは言えず、所謂日本のサブカルが好きな人達止まりだとも言えると思う。
 地上波が主流かCATV/CSのようなペイチャンネルが主流かなどにはそれぞれの国で差があるし、最近はWeb配信のほうが主流になりつつある、という事情もあるが、少なくとも日本では、誰でも見られる民放地上波で美少女アニメ、お色気アニメなどが普通に放送されていて、それらや同種の漫画、美少女フィギュアなどを愛好するオタク趣味も、過去に比べたら一定の市民権を得ており、そのようなオタクが登場したり、題材になったりする映画なども決して少なくない。
 しかし海外ではどうか、例えば、ハリウッド映画に美少女趣味のオタクが出てくる作品があるだろうか。実際にはあるのかもしれないがほとんど記憶にない。オタクが出てくる映画と言えば、例えばレディプレイヤー1、ピクセルなどがすぐに思いつくが、どちらもゲームをフィーチャーしているものの、所謂美少女ゲームオタクは出て来ない。少し古い作品だが、40歳の童貞男はフィギュアオタクが主人公だが、美少女フィギュアは出て来ない。ANIME CRIMES DIVISIONという、2017年Youtubeで公開されたWebドラマには、美少女趣味が少々でてくるものの、まだまだ実験的な作品における表現にとどまる、と評価すべきだろう。

つまり、日本の美少女キャラ趣味のような価値観が海外でも市民権を得ている、とは言い難いのではないだろうか。
 日本人は、というかアジア人は、欧米人に比べて相対的に幼く見えてしまうということもあるし、日本のゲームキャラが海外版になると劇画調に置き換えられる、なんてことはよくあった。そもそもアニメ自体が子ども向けコンテンツという認識が、海外ではまだまだ日本よりも強そうだし、そこに様々な要素が絡んでいるのは間違いないが、それでも、日本の美少女アニメ/漫画キャラを愛好するような趣味は、日本以外では小児性愛/未成年を性的に見ている、のように見える、認識されるんだろう。日本に住んでいる自分でも、そのような側面を少なからず感じているのだから。だから、海外の一般向け映画には、美少女キャラ/作品を愛好するオタクキャラが出てこない、のではないだろうか。

 欧米の感覚が絶対的に正しく、日本の感覚が絶対的におかしい、とまでは言わない。しかし、欧米と日本の男女格差を比較したら、日本の感覚は決して正しいとは言えない、というのが現実だろう。フィクション作品でも、そこには作り手の感覚が確実に反映されるし、それをおかしな感覚で愛好する人たちがいることも間違いない。つまり、フィクション作品はある意味で現実の鏡でもある。美少女コンテンツ/お色気コンテンツを分別を持って愛好する人が多数はならば、少なくとも日本の男女格差は欧米並の水準にはなっているのではないだろうか。しかし現実はそうではない



 トップ画像には、text photo – Free Image on Unsplash を使用した。

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