スキップしてメイン コンテンツに移動
 

ニュージーランドで起きた無差別殺傷事件について


 イスラム教の教会にあたるモスク2か所が銃撃され、50人が死亡するという凄惨な事件が起こった(ハフポストの記事)。まだ不確定な話も多いが、犯人はオーストラリア出身の白人男性である。前述の記事へ自分はこうコメントした。
 果たしてトランプ氏はこの件を理由としてニュージーランドからの入国を制限するだろうか。今のところ定かでないが、もし犯人がキリスト教徒だとしたら、キリスト教徒の入国を制限するだろうか。
 就任後すぐに、テロリストがいる恐れを理由に一部のイスラム教国からの入国を規制し、テロリストがいる恐れがあると難民・移民を忌み嫌うトランプ氏だが、彼の主張がどれだけ馬鹿げているかがよく分かる。
そのトランプ氏は、メキシコ国境の壁建設予算を確保するために出した国家非常事態が、上院で無効化の判断が下されたことに対して、上院の決議への拒否権を発動した(AFPの記事)。


  前述の通りまだ不確定な話も多いが、彼が白人至上主義・反移民を信条にしていたことを示唆する報道がいくつかある。
 テレビ朝日・報道ステーション「ニュージーランド銃乱射 49人死亡」によると、
 事件前にネット上に出していた74ページにわたる犯行声明で、男は自らを「ただの普通の白人男性、労働者階級、低所得家庭」とし、事件は2年前から計画していたと説明。そして「イスラム教徒は私たちの土地に侵入し、私たちの土地に住み、私たちと入れ替わろうというのか。その通りだ。私は彼らが大嫌いだ」と記していた
らしい。日本でもツイッター等のSNS上で、嫌韓論というか、論なんてとても言えないヘイトスピーチを撒き散らしたり、あからさまな同性愛者・女性蔑視を恥ずかしげもなく声高に叫んだり、外国人や沖縄に対する差別・偏見を撒き散らしているアカウントの自己紹介文に、「右でも左でもない普通の日本人」と書かれている率は結構高い。
 ニュージーランドの襲撃犯やヘイトスピーチに勤しむ者達が、自分の事を「普通」と捉えるのはある意味で当然のことだ。例えば、関東では普通だが関西へ行くと普通ではない事は結構ある。北海道と沖縄の普通にはもっと差があるだろうし、日本の普通とアフリカ諸国の普通は更にもっと違うだろう。つまり、普遍的な・絶対的な普通という価値観などこの世に存在しない。
 人を殺してはならないとか、人のものを強引に奪ってはならないなど、根源的な共通の価値観というのは確実に存在するから、そのような価値観を「普通の価値観」と捉えれば、一部に普遍的で絶対的な「普通」は存在するが、多くの人間は、自分や所属するコミュニティだけで通用する普通を絶対的な普通だと錯覚しがちである。ただ、自分の価値観による普通は絶対的な普通ではないが、自分にとっては紛れもなくそれが普通なのだから、彼らのような者が自分を「普通の○○人」と捉えるのはそれ程大きく間違っているとも言いきれない。
 「右でも左でもない」も同様で、自分が立っている位置を中心と捉えれば、彼らにとってそれは右でも左でもない。勿論、他の人から見たら、所謂右(厳密に言え保守でも何でもないから右ですらなく、強いて言えば、自己中心的で短絡的な思考を垂れ流すだけ、という意味で「下」)にしか見えないだろうが。
 つまり「私は普通」という表明は、「私は私」と言っているのとほぼ同義、だと自分は考えている。しばしば自分は「偏っていない」と言い切る人に出会うが、その手の人は大抵、マスコミという大雑把な括りで「マスゴミの偏向報道」なんて言っている事が多い。これも前段までの話と同様で、彼らが彼らの立場・考えに基づいて自分の事を「偏っていない」 と言っているに過ぎない。ただ、当の本人らの多くは、自分の考えが絶対的に正しく、絶対的に偏っていないと認識している場合の方が多そうだ。
 「自分は普通の○○人」「完全に中立」「偏っていない」と言い切る人の過信が最も危ない。そんなのはハッキリ言って、「私が世界の中心」、厳しく言えば「私は神」と言うのに近いのではないか。

 また、ハフポストの記事「ニュージーランド銃乱射事件、2011年に出版された本が影響か」は、襲撃犯が示していた74ページにわたる犯行声明文が、「白人が移民に取って代わられようとしている」「移民や難民は社会への脅威」とする、2011年にフランスで出版された著作とそっくりの内容だとしている。
 「白人が移民に取って代わられようとしている」という考え方は、アメリカの白人至上主義者らもよく口にするので、一部の白人に渦巻く精神的な病のようなものだろう。彼らがなぜこう考えるのかと言えば、彼らは歴史的に非白人を差別し、奴隷として扱ってきた過去を持つ白人の子孫であり、もし将来的に自分たちが少数派になればその仕返しを受けるという恐怖心を、意識的にか無意識的にかは分からないが抱いているからだろう。世界規模で見てもイスラム教徒は増加傾向にあるし(日経新聞・2015年の記事)、白人の人口増加率と非白人のそれを比較すると、概ねどこの国でも非白人の増加率の方が上回っている。
 しかしこれは白人と非白人だけの問題ではない。第2次世界大戦までの、欧州を中心としたユダヤ人迫害から逃れた人達がパレスチナの地に建国したイスラエルでは、イスラム教徒・所謂パレスチナ系住民とユダヤ教徒の衝突が起こり、現在はイスラエル側・ユダヤ教徒らがパレスチナ系住民・イスラム教徒らを弾圧している状況にある。かつて欧米で自分達がされたのと同じ様な仕打ちを、イスラエル国内ではユダヤ教徒がパレスチナ系住民に対して行っているというだけでも皮肉だが、そこには、ユダヤ教徒の人口増加をパレスチナ系住民のそれが上回っているという現実もある(コトバンク・パレスチナの人口動態)。
  昨年・2018年12月に政府・与党らが、かなり強引に入管難民法改正案を成立させた為、4月から日本で働く外国人労働者が増えることになるだろう。政府や与党は移民ではなく一次的な労働力としての受け入れだと言っているが、今後日本の社会でより一層非日本人が増える事には違いない。今も既に移民や難民を卑下したり差別したり軽蔑したりする人が、少なくともネット上には存在している。その差別に歯止めをかけるような政策が外国人労働者受け入れと同時に進められていないこと、日本人の少子化傾向に歯止めがかからず、今後外国人からの移民を受け入れざるを得ない状況にあることなどを考えれば、今後白人至上主義ならぬ自称名誉白人至上主義、つまり日本人至上主義を信条にした差別や偏見を撒き散らす者、ニュージーランドのような事件を起こす者が出てこないとも限らない
 日本では流石に銃乱射は起きないかもしれないが、この数年欧州などで起きている大型車による無差別殺傷事件は、2008年に秋葉原で起きたトラックと刃物を使った無差別殺傷事件が下敷きになっているという見方もあるし、今年の元旦にも、原宿で自動車や灯油などを使った無差別傷害、無差別殺人未遂事件が起きている(1/3の投稿)ので、大型自動車による事件が起こる恐れは十分に考えられるし、2016年に起きた相模原障害者施設殺傷事件を考えれば、銃や大型車を用いない大規模な無差別殺傷事件が起きる恐れはある。つまり日本においてもニュージーランドの事件は対岸の火事ではない。
 安倍首相は、ニュージーランドの事件に関して

とツイッターへ投稿しているが、日本で、そしてこの件に関してまず危惧するべきはテロではなくヘイトクライムについてだ。ヘイトクライムが日本国内で起きる恐れの方が、テロが起きる恐れよりも格段に高い。特に安倍氏の積極支持者らの一部が起こす恐れを、個人的に危惧する。何よりもまず、彼はそこに釘をさしておくべきではないのか。もし彼が支持者減少を考慮してそこに言及していないのであれば、彼は問題を見誤っていることになる。


 CNNは「NZ銃撃は「移民政策のせい」 問題発言の豪議員、生卵投げ付けられる」という記事を掲載している。ニュージーランドの事件について、「そもそも真の原因は、狂信的なイスラム教徒をニュージーランドに迎え入れている移民政策だ」などとしたオーストラリア上院の議員に対して、17歳の少年が生卵をぶつけたという事案に関する記事だ。この件は議員がカメラの前で行った記者会見中に起きており、CNNのサイトにもその動画が掲載されている。記事によればこの議員は、
 オーストラリアがかつて白人以外の移民を排斥した「白豪主義」の政策を擁護し、ナチス・ドイツがホロコースト(ユダヤ人大量虐殺)を名付けたのと同じ「最終的解決」という言葉を使った発言で非難を浴びていた
そうだ。
 まず最初に言いたいのは、オーストラリアやニュージーランド、そして南北アメリカにおいて、白人は総じて移民であるということを棚に上げた主張をする、白人至上主義者のご都合主義に辟易するということだ。それらの地域で白人が移民を否定するのなら、まず自分達が欧州に帰るべきだ。更に言えば、人類というのはエチオピア周辺で発生し、そこから世界中に移動して広がったそうだから、エチオピア周辺の住民以外は全てエチオピアからの移民である。つまり、移民の否定はほぼ全ての人類の否定にもつながりかねない。
 また、この件に関して、この少年の行動を容認したり、中には賛美するようなSNS上の投稿が多く見られる事に対する、

というツイートがあったが、そうならないようにする為には、まず恥ずかしげもなく馬鹿げた発言をする大人や議員をどうにかしなければならない。子どもが心配なら、まず大人の振舞いを正すべきだ。そして、子どもが過激な抗議に走る前に、周りの大人がしっかり、そのような馬鹿げた主張にたいして抗議・指摘すればいい。そうすれば過激な抗議に走る子どもが出てくることもないだろう。

このブログの人気の投稿

マンガの中より酷い現実

 ヤングマガジンは、世界的にも人気が高く、2000年代以降確立したドリフト文化の形成に大きく寄与した頭文字Dや、湾岸ミッドナイト、シャコタンブギなど、自動車をテーマにしたマンガを多く輩出してきた。2017年からは、頭文字Dの続編とも言うべき作品・MFゴーストを連載している( MFゴースト - Wikipedia )。

話が違うじゃないか

 西麻布に Space Lab Yellow というナイトクラブがあった。 一昨日の投稿 でも触れたように、日本のダンスミュージックシーン、特にテクノやハウス界隈では、間違いなく最も重要なクラブの一つである。自分が初めて遊びに行ったクラブもこのイエローで、多分六本木/西麻布界隈に足を踏み入れたのもそれが初めてだったと思う。

読書と朗読を聞くことの違い

 「 本の内容を音声で聞かせてくれる「オーディオブック」は読書の代わりになり得るのか? 」という記事をGigazineが掲載した。Time(アメリカ版)の記事を翻訳・要約した記事で、ペンシルベニア・ブルームスバーグ大学のベス ロゴウスキさんの研究と、バージニア大学のダニエル ウィリンガムさんの研究に関する話である。記事の冒頭でも説明されているようにアメリカでは車移動が多く、運転中に本を読むことは出来ないので、書籍を朗読した音声・オーディオブックを利用する人が多くいる。これがこの話の前提になっているようだ。  記事ではそれらの研究を前提に、いくつかの側面からオーディオブックと読書の違いについて検証しているが、「 仕事や勉強のためではなく「単なる娯楽」としてオーディオブックを利用するのであれば、単に物語を楽しむだけであれば、 」という条件付きながら、「 オーディオブックと読書の間にはわずかな違いしかない 」としている。

あんたは市長になるよ

 うんざりすることがあまりにも多い時、面白い映画は気分転換のよいきっかけになる。先週はあまりにもがっかりさせられることばかりだったので、昨日は事前に食料を買い込んで家に籠って映画に浸ることにした。マンガを全巻一気読みするように バックトゥザフューチャー3作を続けて鑑賞 した。

敵より怖いバカな大将多くして船山を上る

 1912年に氷山に衝突して沈没したタイタニックはとても有名だ。これに因んだ映画だけでもかなり多くの本数が製作されている。ドキュメンタリー番組でもしばしば取り上げられる。中でも有名なのは、やはり1997年に公開された、ジェームズ キャメロン監督・レオナルド ディカプリオ主演の映画だろう。