スキップしてメイン コンテンツに移動
 

NYT・日本の報道の自由の低さを懸念する記事に関連して

This Reporter Asks a Lot of Questions. In Japan, That Makes Her Unusual.

 この写真と見出しは米・ニューヨークタイムズの記事からの引用である。見出しの意味は「この記者は沢山の質問をする。日本では、その行為が彼女を変わり者にしてしまう」だ。彼女とは勿論、写真の女性・東京新聞の望月 衣塑子記者のことだ。最早説明不要かもしれないが、2/27の投稿でも書いたように望月記者は、官房長官の記者会見で菅官房長官自身や会見の進行を行う上村 秀紀官邸報道室長らから、度々嫌がらせとしか言えないような対応をされている。
 ニューヨークタイムズの見出しは、言い換えれば「日本では多く質問すると、記者ははみ出し者になる」と言っているのだろう。別の言い方をすれば、「日本では、政府等に忖度した質問だけをする記者が一般的である」と言っているようにも思える。勿論記事の内容は日本では「報道の自由」が制限されているのではないか、という危惧だ。


 日本では「報道の自由」が怪しくなっている、という指摘はこれが初めてではない。国境なき記者団が年1回発表している世界報道自由度ランキング(Wikipedia)では、2012年以降日本の報道の自由度が下がったとされている。


この画像は、前述のWikipediaのページの表から日本だけを抜粋したものだ。因みに下段の数値は自由度を数値化した指標で、その数値が大きい程状況が悪い。上段のカッコで括られた数字が世界での順位だ。2011年がないのは2012年版が2011-12年分として発表されたからだそうだ。また、報道の自由度は2014年に、日本に限らず世界的に大幅な低下が見られたのだそう(AFP「「報道の自由」は世界で大きく低下、日本は61位に後退」)。
 2012年以降日本で報道の自由度が下がったと聞くと、東日本大震災に関連して報道に規制が入ったり自主規制が始まったのではないか?とも考えられるが、この表を見ると、ちょうど民主党政権の間だけ数値が下がっている、つまりその間だけ状況に改善がみられたとされていることが分かる。当然震災や原発事故の影響が全くないとは言えないし、きっかけはそれだったのかもしれないが、それよりも、現安倍自民党政権になって状況が悪化し、今もそれが変わらずに継続していると言った方が実状に近いのかもしれない。
 数年前に比べると、日本のランキングは改善しているようにも見えるが、順位は他国との相対的な関係によっても変わる。実状を示しているのは指標の方で、現在の日本の数値は数年前と殆ど差がない。

 また、2014年から言論・表現の自由に関する国連特別報告者を務めているデービッド ケイ氏(国際連合人権高等弁務官事務所のサイト)は、2016年/2017年に「特定秘密保護法や記者クラブなどによって日本では報道機関が委縮している恐れがある」と指摘しており(ハフポスト「国連「表現の自由」特別報告者「懸念は深まった」記者クラブ廃止など提言【発言詳報】」/日経新聞「「秘密保護法で報道萎縮」 特別報告者、国連で演説」)、2017年には「特定秘密保護法の改正と、政府が放送局に電波停止を命じる根拠となる放送法4条の廃止」を勧告までしている(日経新聞「特定秘密保護法の改正勧告 国連対日調査報告書」)。
 更に今年・2019年の6月にも「日本政府は2017年の勧告を殆ど履行していない」と批判し(東京新聞「日本メディアの独立懸念 国連報告者「政府は勧告未履行」」)、国連人権理事会へその旨の報告書を提出している(東京新聞「報道の自由 日本へ懸念 国連報告者 政府、記者に圧力」)。


参考:日本のメディアは大丈夫か 政府から独立した日本版FCCの創出を急げ(論座 - 朝日新聞社の言論サイト)
ニューヨークタイムズの記事は主に望月記者と官邸の関係性から日本の報道の自由について書かれているが、このような話にも当然触れられている。


 このニューヨークタイムズの記事については、時事通信や朝日新聞が、ニューヨークタイムズがそう報じたことを記事にした。
自分は、6/6の朝日新聞の記事「表現の自由「日本は勧告をほぼ履行せず」国連特別報告者」、6/27のNHKの記事「“日本メディア 独立性に懸念” 国連特別報告者 日本は反論」を引用し、


とツイートしていたのだが、この時事通信や朝日新聞の記事に対してもそれと同じような趣旨の、


など、メディア側の怠慢でもあるという主張が散見された。場合によっては「その役割を果たさずに、メディアも政府と一体となって国民を裏切っている」のような強いニュアンスの見解も見受けられた。
 MXテレビ・モーニングCROSSで番組MCを務める堀 潤さんもこの件に関して、


とツイートしていた。彼のこのツイートを見て「なんでこんなに他人事みたいなことを言うのだろう」と自分には思えた。
 彼は前述の通りMXテレビで朝の情報帯番組のMCを務めているメディア側の人間だ。自分はその番組をほぼ毎朝見ているし、ツイッターで彼をフォローしてもおり、日頃の彼がどんな姿勢なのかを、勿論メディアを通してだが見ており、彼が「でも、」からこのツイートを始めたのは、恐らく「官房長官や政府のメディア対応には相応の問題もある、でも…」という意味なんだろうとまず推測した。しかし、日頃の彼の出演番組やツイッターを見ていて思うのは、彼は概ね「官房長官や政府のメディア対応には相応の問題がある」とは思っているものの、積極的そう批判しないのが彼のスタンスである、ということだ。 自分は彼のツイートに


とリプライしてみた。
 彼は「日本のメディアはもっと自由に、忖度せずに振舞えばいい」と言っている。ということは、彼もジャーナリストという肩書を掲げているので、「僕はジャーナリストとして忖度などせずに自由に伝えるべきことを伝えている、他のジャーナリスト・メディアらもそうすればいいのに」と言っているようにも見える。しかし彼は、前述のように積極的に何かを批判するタイプのジャーナリストではなく、この件についても政府の対応をあまり積極的には批判していない。 つまり、「この件に関して自分は積極的に政府を批判しないが、それは自主規制なしのスタンスである」と言っているように見える。積極的に政府を批判しないのが自主規制なしの状態であり、彼が前述の内容のツイートをしたということは、彼は「官房長官や政府のメディア対応にも問題がなくはないが、それよりも自主規制してしまっているメディアの方が問題だ」と考えているようにも思える。しかし、出演番組での振舞いやツイッターでの振舞いを見ていると、彼がそう思っているとは考え難く、彼は「どちらかと言えば政府の対応に問題がある」と思っているようにしか見えない。なのにそれを積極的に指摘しないということは、彼が政府への批判を自主規制している、ということになりそうで、だから彼が「もっとみんな自由にやりきったらいい」と言っているのをみると、「自分もジャーナリストなのに積極的に政府のメディア対応を批判もせずに、なんでそんな他人事みたいなことが言えるんだろう」と思えた。つまりある種の矛盾を彼のツイートに感じたのだ。
 すると彼から、


とリプライが返ってきた。この文字数では厳密には判断し難いが、「僕はメディア側の人間として、自主規制しているメディアに苦言を呈したい」というニュアンスのように見える。それはそれで何もおかしくないが、「え。なんでそうなるんですか??」ということは、彼が積極的に官房長官や政府のメディア対応を批判しないのは自主規制ではない、つまり「他のメディアには自主規制している者も多いが、僕は自主規制していない」ということのようだ。やはり彼は、自分も積極的に政府の姿勢を批判しないのに、他のメディアやジャーナリストらには自主規制を止めろと批判しているようにしか思えず、言い換えれば彼は、自分も自主規制しているのに、それを認識せずに、若しくは認識した上で自分の事を棚に上げているか、又は本当に「そこまで強く政府のメディア対応を批判する必要はない」と考えているかのどちらかとしか思えなかった。

 もしかしたら彼は、「いやいや、僕は積極的に官房長官や政府のメディア対応を批判しているでしょ」と思っているのかもしれない。確かに彼は自分がMCを務める番組・モーニングCROSSにしばしば望月記者を出演させ(彼の一存だけで出演者を決めているわけではないだろうが)、彼女が主張できる場を設けることもしており、彼がそんなこと等を根拠にそう自負することに何も問題はないのだが、彼の実感と傍から見た者の受け止めが必ずしも一致するとは限らない。勿論自分の受け止めが絶対的に正しいなんて言うつもりは全くないし、別の人が彼の振舞いを見たら「彼は積極的に官房長官や政府のメディア対応を批判している」と感じるかもしれない、ということも理解している。
 しかし、望月さんに発言の場を設けたことに彼が関係していたとしても、そこでの主張は望月さんの主張であって彼の主張ではない。SNS等でも日本の報道の自由に対して懸念する直接的な言及はあまり見られない。だから自分の目には、日本の報道の自由について、彼が積極的に政府を批判しているようには見えない為、「堀 潤さんは自分もジャーナリストでメディア側の人間なのに、まるで他人事のようにメディアは自主規制するべきでないとツイートをしている」ように思えてしまうのである。

 堀 潤さんに限らず、日本のメディア関係者やジャーナリストには、彼のようにどこか他人事な人が多いから、国外から報道の自由に対する懸念を示される状況になってしまっているように思えてならない。




 この投稿には、堀 潤さんとのやり取りを補完する側面もあったので、書き終わったあとに、この投稿へのリンクを、自分なりの結論だった前段の最後3行を添えて、当該のやり取りの最後へスレッド化してツイートした。すると彼から、


というリプライが返ってきた。もう既にそれに対する返答もリプライした。これから書くことはそれを補完する為の説明である。
 彼は「自分は局(NHK)を辞めたのだから、日本の報道の自由が脅かされているという指摘に対して他人事ではない」という。彼がNHKを辞めた理由の中には、「NHKにいたら自分のしたい事ができない」という思いがあったであろうことは理解できる。しかし、NHKを辞めたことと日本の報道の自由が脅かされているという指摘に対して他人事ではないことに相関関係があるとは思えない。例えば、現政権を構成する自民党の所属議員である和田 政宗氏も彼と同様に元NHKアナウンサーだ。堀 潤さんのスタンスと和田さんのスタンスが同じとか近いなどとは全然思っていないが、NHKを辞めたことと日本の報道の自由が脅かされているという指摘に対して他人事ではないということに相関性はないと言えるだろう。
 そして、彼は
 権力がメディアを手中に収めようとすることは世の常。マスメディア誕生期からの宿命。それに争わずに自主規制する側の問題の方が根深い。
つまりメディアが自主規制してしまうことの方が、国家権力がメディアをコントロールしようとすること以上に問題なのだと言っている。メディアの自主規制が問題ならば、何故彼は政府のメディア対応を積極的に批判しないのか。積極的に批判しない彼も自主規制するメディアの一人ということではないのか。それとも政府のメディア対応は積極的に批判する程酷くないということか。 ならばメディアが自主規制していると彼が批判しているのも変だ。私の認識とは異なり、彼が「自分は積極的に政府の姿勢を批判している」という自負があるならばそう主張していそうだが、そういう主張はリプライに見られなかった。彼が言っているのは「政府ではなく自主規制するメディアに問題がある」ということだと受け止めるのはそれ程不自然ではないだろう。やはり彼の主張には矛盾があるとしか思えない。だから彼は、自分もメディア側の人間であるにも関わらず他人事のように「自主規制するメディアに問題がある」と言っているように見えるのである。

 今のところこれに対する彼からの反応はない。勿論他人のツイートに反応する義務など誰にもないので何か問題性があるわけではないが、結局こちらが指摘した矛盾を解消するような主張がないことを残念に思う。

このブログの人気の投稿

マンガの中より酷い現実

 ヤングマガジンは、世界的にも人気が高く、2000年代以降確立したドリフト文化の形成に大きく寄与した頭文字Dや、湾岸ミッドナイト、シャコタンブギなど、自動車をテーマにしたマンガを多く輩出してきた。2017年からは、頭文字Dの続編とも言うべき作品・MFゴーストを連載している( MFゴースト - Wikipedia )。

話が違うじゃないか

 西麻布に Space Lab Yellow というナイトクラブがあった。 一昨日の投稿 でも触れたように、日本のダンスミュージックシーン、特にテクノやハウス界隈では、間違いなく最も重要なクラブの一つである。自分が初めて遊びに行ったクラブもこのイエローで、多分六本木/西麻布界隈に足を踏み入れたのもそれが初めてだったと思う。

読書と朗読を聞くことの違い

 「 本の内容を音声で聞かせてくれる「オーディオブック」は読書の代わりになり得るのか? 」という記事をGigazineが掲載した。Time(アメリカ版)の記事を翻訳・要約した記事で、ペンシルベニア・ブルームスバーグ大学のベス ロゴウスキさんの研究と、バージニア大学のダニエル ウィリンガムさんの研究に関する話である。記事の冒頭でも説明されているようにアメリカでは車移動が多く、運転中に本を読むことは出来ないので、書籍を朗読した音声・オーディオブックを利用する人が多くいる。これがこの話の前提になっているようだ。  記事ではそれらの研究を前提に、いくつかの側面からオーディオブックと読書の違いについて検証しているが、「 仕事や勉強のためではなく「単なる娯楽」としてオーディオブックを利用するのであれば、単に物語を楽しむだけであれば、 」という条件付きながら、「 オーディオブックと読書の間にはわずかな違いしかない 」としている。

あんたは市長になるよ

 うんざりすることがあまりにも多い時、面白い映画は気分転換のよいきっかけになる。先週はあまりにもがっかりさせられることばかりだったので、昨日は事前に食料を買い込んで家に籠って映画に浸ることにした。マンガを全巻一気読みするように バックトゥザフューチャー3作を続けて鑑賞 した。

敵より怖いバカな大将多くして船山を上る

 1912年に氷山に衝突して沈没したタイタニックはとても有名だ。これに因んだ映画だけでもかなり多くの本数が製作されている。ドキュメンタリー番組でもしばしば取り上げられる。中でも有名なのは、やはり1997年に公開された、ジェームズ キャメロン監督・レオナルド ディカプリオ主演の映画だろう。