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ネット・携帯・SNSは生活必需品?


 このブログを書き始めたのは2017年1月だった。最初期にノロウイルスに感染して寝込み、5日程度休んだことがあったが、それ以降は毎日1本投稿を書き続けており、後1か月弱で1000本の投稿に達する。元々文章を書くのは嫌いではなかったし、公開して恥ずかしくない程度の文章は書けると思っていたのだが、今、当初の投稿を見ると結構恥ずかしくなる。今書いているこの投稿も恐らく、数年後に見れば同じ気分になるんだろう。自分はそのようなタイプの人間だ。
 Gigazineに「SNSを1年やめてみて何が変わったのか、という実際の記録」という記事が掲載されていた。この記事は「SNSが人のメンタルに悪影響を及ぼしている……という研究結果やニュースはそこかしこに存在します」という書き出しで始まる。記事をかいつまんで紹介すると、「SNSをやめて100万ドルの価値があるスタートアップを創設することができました」とかいう話もあるが、「100万ドルの会社を立ち上げる」のような劇的なことは起こらなかったものの、SNS断ちによって生活の質を大きく向上させることはできた、という内容だ。


 記事で紹介されているのはSNS断ちという話なので、ネットや携帯は当然使用する生活をしていたのだろう。自分はこのブログを書き始める以前のおよそ1年半程度の間、ネット環境も携帯電話も持たない生活をした経験がある。SNSどころではなくネット・携帯断ちだ。ただ実際は、断とうと意気込んで断ったわけではなく、一時的に困窮した結果、料金が捻出できない状況に陥ってどちらとも解約し、数ヶ月後に安定して支払える状態に回復したものの、ネットや携帯がないと不便ではあるが、無いとにっちもさっちも行かないわけではないということを体感し、積極的に復旧せず結果的にネット・携帯断ち状態だった、というのが実状だ。

 自分の知り合い等を見ていると、若い人程携帯なしに1日過ごすことは出来ないという感覚でいるように思う。例えば自分などは、ネット・携帯断ち以前から、しばしば携帯を家に忘れて出かけることがあった。そんな日は取りに帰ることはせずに「今日は1日携帯無しで過ごす日」としていたのだが、今は多くの人が、忘れたことに気付いた時点で、割合遠くまで出かけていてもほぼ取りに帰る。自分の目にはある種の脅迫観念のようにすら見える。
 しかし、仕事にもよるだろうが、1日くらい携帯がなくても生活には全く支障は出ない。携帯がなくても支障をきたさないのだから、SNS断ちなら本当に問題のないことだと思う。SNSは生活必需品のように思っている人も多いだろうが、現にSNSを利用していない高齢者は今も大勢いるわけで、確かにある種のインフラと化している側面もあり、使わない/使えないと不便ではあるものの、SNSは決して、電気・水のようなレベルの生活必需品とは言えない


 Gigazineの記事は「SNS断ちによって生活の質を大きく向上させることができた」という話だったが、自分には、SNSだけでなくネット・携帯を1年以上断った経験によって、生活の質が大きく向上したという感覚はなかった。勿論逆に大きく低下したという感覚もなかった。それは断つことを積極的に行った人と、消極的に成り行きでそうなった者の感覚の差かもしれないし、それ以前の個人の感覚や環境の差なのかもしれない。
 自分にとって、ネット・携帯のない生活は大きな変化をもたらさなかったものの、しかし確実に変化はあった。ネットという媒体に触れる時間が無くなった分、確実にテレビの視聴時間は増えた。ネットで情報収集できない分、ネット普及以前のように、テレビや雑誌・新聞から情報を得る機会が増えた。


 ここのところこのブログでは、既存メディア報道への不信感、特にテレビ報道への不信感について書くことが多い。例えばこんな風に。


 テレビのニュース番組で、出演者/コメンテーターなどが、首相や政府の対応が遅かったという指摘をした、ということを紹介するツイートが複数タイムラインに流れてくるが、それらを見ても同じ様に感じる。
 ネット・携帯断ちした頃は、既に「日本の報道の自由度に懸念がある」という話はあったが、それでも今ほど既存メディア報道、特にテレビ報道への不信感はなかったし、寧ろ信頼できると感じる報道機関・テレビ局もいくつかあった。だからネットが使えなくても情報源に困ることはなかったが、もし今の、既存メディア報道への不信感が高い状況でネットが使えなくなったら、多分かなり高いストレスに晒されることになり、当時とは全く違う体験になるだろう

 先週来何度も書いているのでくどいかもしれないが、前述のツイートで引用した記事で触れている台風被害に関して、政府は明らかに災害対応よりも組閣・内閣改造を優先させていたし、既存メディア報道も同様にそちらを優先していて、未明に台風が直撃した月曜、内閣の新しい人事が発表された火曜は、それに関する既存メディア報道は殆どなかったと言っていい。しかし月曜の時点で既にSNS上には被害の大きさを訴える投稿が見られたし、フリーのジャーナリストらは火曜の時点で現地取材を初めていたのに、既存メディア報道がそれについて触れ始めたのはおおよそ水曜あたりからだった。


自分もたまたまこのツイートで触れている場面(9/13放送)を目にしたのだが、全く同じ事を感じた。


 自分が再びネット契約を復活させたのは、テレビ番組でコメンテーターらが好き勝手言っているのに「反論できない」と言えば大袈裟だが、ただ黙って聞いていることしかできない状況に嫌気がさしたからでもある。ネット以前のメディアでは、選ばれた者しか主張することが許されない。ネットを使えば、どれだけの人の目に触れるかは定かでないが、誰でも主張することが可能になるし、また、既存メディア報道に頼らない情報収集も可能になる。勿論ネットを介して得ることの出来る情報には嘘も多く、取捨選択には注意を払わなければならない。ただそれはネットに限った話ではなく、既存メディア報道でも同じ事だ。
 この投稿の前半で、「SNSは決して、電気や水のようなレベルの生活必需品とは言えない」としたが、既存メディア報道に信頼性をおけない状況下では、SNSは電気や水のようなレベルの生活必需品と言えるかもしれない。そのような状況であるのに、一部の国務大臣のSNSアカウントが、自分と主張の異なる国民をブロックするような状況(6/23の投稿)は、果たして許されるのだろうか。そもそも今の政府の信頼性も相当低いので、彼らから得られる情報に大きな価値があるとは思っていないが、しかしそれでも、一部の国民には状況を提供しない、という話に妥当性が生まれるわけではない。


  トップ画像は、Kate StejskalによるPixabayからの画像 を使用した。

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