スキップしてメイン コンテンツに移動
 

まともな政治・政党・政治家を選ぶ、という有権者による自助の重要性

 昨年・2020年9月に、持病の悪化(自称)を理由に首相を辞した安倍の次に自民党総裁/首相となった菅 義偉は、その政策理念を「自助・共助・公助、そして絆」というキャッチフレーズで示した。

令和3年 菅義偉総裁に聞く新年の決意 | ニュース | 自由民主党

 これについては、政治家がまず最初に自助だと言い、公助は最後だなんて、政治の役割を放棄しているに等しい、などの批判が飛び交った。

 勿論、肯定的な所感を示す者もいたが、自分の知る限り論理的とは言えない話ばかりだった。たとえば、ダイヤモンドオンラインや東洋経済オンラインなどで、大江 英樹なる人物が「自助・共助・公助、そして絆」の擁護を繰り広げている。

しかし、まず何より、

これに対して野党は「まず自助というのは政府の役割を放棄しているに等しい」と批判している

としているが、批判を示したのは野党だけでない。つまり、彼はこの話を野党批判に使いたい、という思いがにじみ出ている。更に、菅が「まず自助」としたことが妥当な理由として、戦前は自助が基本だった、とし、また、

そもそも人が生きて生活を営む上においては、まず自らが働くことが第一であるのは言うまでもない

とも言っている。戦前は自助が基本だったからなんだと言うのか。戦前が現在よりもすばらしかったなら、それに倣えというのは分かる。しかし決してそんなことはない。また、まず自助が言うまでもないなら、なぜその言うまでもないことを敢えて強調するのか。言うまでもない当たり前のことならわざわざ強調する必要などない。それを強調するのは、強調することになんらかの意図があると考えるのが自然だ。菅は安倍政権時代の官房長官をおよそ8年務めていて、社会保障を減らしてきた側である。この大江という人の話は、そのような男が、まず自助、と強調したこと、つまり背景を全く度外視した強引な擁護としか言えない。
 よくも、「自助・共助・公助」を批判する人の大きな間違い、なんて強気なタイトルを記事に掲げて恥ずかしくないものだな、としか思えない。間違っているのは果たしてどっちだろうか。


 と、菅の「まず自助」という話は全く酷いと思っていたわけだが、昨日の投稿の最後の文「日本人はそれに学ばずに、時間を浪費する政党を再び与党に選んだのだから、ある意味で自業自得か。勿論、自公を支持せずに現野党を支持した人にしてみれば本当にいい迷惑でしかない」を書いて、まず自助というのは正しいかもしれない、と感じた。勿論、菅が言っていたのとは別の意味ではあるが。
 ちなみに本来は、自助 共助 公助とは、災害に対してまずは個人がそれぞれに備えを行い、消防や自衛隊による公助が届くのには少し時間を要するから、まずは隣近所や地域など市民同士お互いによる共助で対応しよう、のような意味だ。しかし昨日感じたのは、それともまた別の意味で、である。


 先月あたりから、ウイグル自治区や香港民主派への弾圧など人権問題を理由に、2022年2月に開催予定の北京オリンピックに関する政治的なボイコットをいくつかの国が表明し始めている。これは国の代表を開会式等に出席させない、というボイコットであり、選手を全く送らないという対応ではないが、そもそもオリンピックは政治と一線を画すべきで、国家単位で政治家が式典などに参加すること自体がおかしい。勿論開催される国も含めて。限定的なボイコットもまたオリンピックの政治利用でしかなく、本来は国が主体となってボイコットを表明するのではなく、選手や各国のオリンピック委員会がそれを主導すべきだ。ただし、中国当局の人権弾圧行為への抗議という意思表示自体には反対するものではない。オリンピックを政治家がそのような形で利用するのがおかしいという話だ。
 このような、他国の人権問題に口をはさむ行為は、明らかに自助ではない。このようなケースにおける自助とは、その国の国民や有権者が自らの政府に対して主体的に反対を表明する行為で、他国の民間/または政府による抗議は共助、国連のような機関による牽制が公助に該当するだろう。

 中国以外でも、9月に米軍が撤退したことで再びタリバンが支配することになったアフガニスタンや、2月に軍によるクーデターが発生し、強権的な軍による支配が行われているミャンマーなども、他国や国連などから批判を受けているが、国外の勢力がより強い措置を行うことには相応の問題もあり、そのような悪い事態を招かない為には、まずその国の国民、有権者がそうならぬように努めなければならない。つまり、自助が大変重要である、ということだ。


 これが、昨日の投稿の最後の文章「日本人はそれに学ばずに、時間を浪費する政党を再び与党に選んだのだから、ある意味で自業自得か。勿論、自公を支持せずに現野党を支持した人にしてみれば本当にいい迷惑でしかない」を書いていて、まずは自助というのはある意味間違っていない、と感じた理由だ。
 強引な憲法解釈を行い、憲法の精神を無視し、日本を再び戦争を出来る国にしようとしているのが自民党だが、世界で最も影響力の強い国の1つであるアメリカは、寧ろそれを望んでおり、日本が再び戦争が国になることに対しては恐らく無言を貫くだろう。戦前戦中に日本による侵略を受けたアジア諸国からは異論も出るだろうが、東南アジア等では中国脅威論も存在する為、強い異論が呈されるとは限らない。また、自民党やその支持者らは詭弁を使って批判や反論を強引に抑え込もうとする傾向にあり、そんな人達が主導する憲法改定が行われたら、戦前のような不自由な日本に戻ってしまう恐れもある。
 そんな大きな視点だけではなく、もう少し身近な視点で言っても、まさに昨日の投稿で指摘したように、新型ウイルス対策だけを見ても、自民政権はまともな対応をやらない。そのような政治から自分達の社会を守るのに必要なのは、間違いなく有権者自身による自助だ。勿論、この場合の自助とは、まともな政治・政党・政治家を選ぶ、ということである。


 ミャンマーや香港やアフガニスタンの人達を、自助を怠ったのだから自業自得だと責めるつもりはない。それらの地域の状況は今の日本とは明らかに違う。しかし、かろうじて民主制が機能している日本では、まだまだ国民/有権者による自助で最悪の状況を避けることが出来る。国外からの共助や公助は、最悪の事態が起きてから、若しくはその目前まで期待できないし、最悪の事態や目前になって共助や公助が行われても、前述の地域などを見れば分かるように、大抵は焼け石に水にしかならない。

 だから、まともな政治・政党・政治家を選ぶ、という有権者による自助は、恐ろしく重要なのだ。昨日の投稿では、「若い時間も、誰にとっても限られたものだが、大半の人は失ってからそれに気づく」と書いたが、民主制やまともな政治も同じ様なものだ。それは当然にそこにあるものではなく、先人たちが積み重ねた血のにじむ様な努力の末に勝ち取り、日本で言えば、70年前の戦争の失敗によって確立したものであり、だから現在の憲法には、それを不断の努力によって維持しなければならない、とある。
 民主制やまともな政治は、一度失うと取り戻すのが恐ろしく大変である。それは、近代以降の世界だけを見ても明らかだ。だからそうならない為の自助を怠ってはならない。共助や公助には殆ど期待できないのだから。


このブログの人気の投稿

話が違うじゃないか

 西麻布に Space Lab Yellow というナイトクラブがあった。 一昨日の投稿 でも触れたように、日本のダンスミュージックシーン、特にテクノやハウス界隈では、間違いなく最も重要なクラブの一つである。自分が初めて遊びに行ったクラブもこのイエローで、多分六本木/西麻布界隈に足を踏み入れたのもそれが初めてだったと思う。

マンガの中より酷い現実

 ヤングマガジンは、世界的にも人気が高く、2000年代以降確立したドリフト文化の形成に大きく寄与した頭文字Dや、湾岸ミッドナイト、シャコタンブギなど、自動車をテーマにしたマンガを多く輩出してきた。2017年からは、頭文字Dの続編とも言うべき作品・MFゴーストを連載している( MFゴースト - Wikipedia )。

読書と朗読を聞くことの違い

 「 本の内容を音声で聞かせてくれる「オーディオブック」は読書の代わりになり得るのか? 」という記事をGigazineが掲載した。Time(アメリカ版)の記事を翻訳・要約した記事で、ペンシルベニア・ブルームスバーグ大学のベス ロゴウスキさんの研究と、バージニア大学のダニエル ウィリンガムさんの研究に関する話である。記事の冒頭でも説明されているようにアメリカでは車移動が多く、運転中に本を読むことは出来ないので、書籍を朗読した音声・オーディオブックを利用する人が多くいる。これがこの話の前提になっているようだ。  記事ではそれらの研究を前提に、いくつかの側面からオーディオブックと読書の違いについて検証しているが、「 仕事や勉強のためではなく「単なる娯楽」としてオーディオブックを利用するのであれば、単に物語を楽しむだけであれば、 」という条件付きながら、「 オーディオブックと読書の間にはわずかな違いしかない 」としている。

あんたは市長になるよ

 うんざりすることがあまりにも多い時、面白い映画は気分転換のよいきっかけになる。先週はあまりにもがっかりさせられることばかりだったので、昨日は事前に食料を買い込んで家に籠って映画に浸ることにした。マンガを全巻一気読みするように バックトゥザフューチャー3作を続けて鑑賞 した。

敵より怖いバカな大将多くして船山を上る

 1912年に氷山に衝突して沈没したタイタニックはとても有名だ。これに因んだ映画だけでもかなり多くの本数が製作されている。ドキュメンタリー番組でもしばしば取り上げられる。中でも有名なのは、やはり1997年に公開された、ジェームズ キャメロン監督・レオナルド ディカプリオ主演の映画だろう。