スキップしてメイン コンテンツに移動
 

因果応報

 因果応報とは、本来仏教用語であり、前世や過去の行いが原因で、その結果として様々な報いを受ける、という考え方だ。死んだ人は閻魔様に裁かれ、善行を重ねた者は天国へ、悪行を重ねた者は地獄に送られ責め苦を受ける、のような考え方も、因果応報に基づく思考かもしれない。

 また仏教にはカルマ:業という概念もあるが、それもまた、善悪の行動に対して相応の報いがあるという考え方で、因果応報ととてもよく似ている。どちらも、自分がしたことは自分に返ってくる、のような考え方だ。
 しばしばこの因果応報という考え方を悪用する者がいる。たとえば障害者差別を正当化しようと「障害者が障害を持って生まれるのは、前世で悪行を重ねたことによる因果応報」とか、「障害者が健常者よりも冷遇されるのは因果応報だ」のように(2018年8/29の投稿)。

 また、因果という言葉に引っ張られて、善悪の行動に対して相応の報いがある、のような仏教的な要素を全く省き、結果には原因がある、のように、因果関係が必ず存在する、のような意味合いで使っている人も少なくないように思う。言葉は生き物と言うし、意味合い的に全くの誤用ではないものの、本来の意味とは少し異なる用法だ。


 京都新聞によると、京都市営地下鉄の乗務員2名が、新型ウイルスに感染した疑いがあったにもかかわらず、職場に報告せず勤務を続けていたそうで、1人は陽性だった。市交通局は2人を厳重文書訓戒のけん責処分としたそうだ。ちなみにこれは今夏・7月頃の出来事である。

コロナ感染疑いも勤務続ける 京都市営地下鉄の乗務員2人処分、1人は陽性 |社会|地域のニュース|京都新聞

 この記事を読んで、社会保障の質が低いからこのようなことが起きる、と思った。陽性になって働けなくなっても収入や生活が保障される、という見込みがないなら、感染を隠そうという動機が生まれる。
 日本は他の先進国に比べて、新型ウイルス危機で困窮した人などへの公的支援が明らかに薄い。飲食店などを中心に休業要請が行われ、要請とは名ばかりで応じなければ罰則を科すという実態は強制でしかなかったのに、あまりにもその為の支援が少なかった。それで多くの店が廃業に追い込まれていった。
 社会保障の質が低いのは新型ウイルス危機に関してだけではない。この10年与党 自民党の政治家などが、ナマポなんてスラングまで用いて生活保護嫌悪を頻繁に煽ってきた。また行政も生活保護を適切に支給してこなかった。いや今も申請者を不当に追い返すという行為が行われている。日弁連は、生活保護が必要な水準の所得で生活している人のうち、実際に生活保護を受けている人の割合・生活保護の捕捉率は、日本では2割程度しかないとして、以前から制度や運用の改善を求めている。ちなみにヨーロッパでの捕捉率は5割を超えるそうだ。


 これは因果応報だ。社会保障の質が低いから感染隠しが起きて、その結果感染が拡大する恐れがある、という純粋な因果関係だけでなく、低い社会保障しか提供しない政治、政権を日本の有権者が支持してきたことのツケが、感染隠しの動機を生じさせ、その結果感染が拡大した、と考えれば、悪い行いへの報いと言える。
 また、日本では感染者に対する差別や偏見も多く見られた。企業や学校、保育所等が、感染者や感染の疑いがある者、そしてその家族を排除するなどの仕打ちをするケースが少なからず起きた。感染したこと・感染の疑いがあることが周囲に知れたら不当な扱いを受ける恐れがあることもまた感染隠しの動機となる。それは結果として不要な感染拡大の原因になる。これも日本人の悪い行いへの報いと言えるだろう。


 勿論そんな政権を支持しない人、支持してこなかった人、感染者差別をしない人だって大勢いて、その人達にとっては因果応報とは言えないだろうが、社会全体で見れば、社会保障を軽視する政治が選ばれ、差別が少なからず存在する社会への因果応報、と言えるのではないか。
 何にせよ社会保障の軽視は感染隠しの動機になるし、感染者差別だって感染隠しの動機となる。それが良い選択でないことは誰の目にも明らかだ。



 トップ画像には、Karma graffiti, Bordeaux | duncan c | Flickr を使用した。

このブログの人気の投稿

マンガの中より酷い現実

 ヤングマガジンは、世界的にも人気が高く、2000年代以降確立したドリフト文化の形成に大きく寄与した頭文字Dや、湾岸ミッドナイト、シャコタンブギなど、自動車をテーマにしたマンガを多く輩出してきた。2017年からは、頭文字Dの続編とも言うべき作品・MFゴーストを連載している( MFゴースト - Wikipedia )。

話が違うじゃないか

 西麻布に Space Lab Yellow というナイトクラブがあった。 一昨日の投稿 でも触れたように、日本のダンスミュージックシーン、特にテクノやハウス界隈では、間違いなく最も重要なクラブの一つである。自分が初めて遊びに行ったクラブもこのイエローで、多分六本木/西麻布界隈に足を踏み入れたのもそれが初めてだったと思う。

読書と朗読を聞くことの違い

 「 本の内容を音声で聞かせてくれる「オーディオブック」は読書の代わりになり得るのか? 」という記事をGigazineが掲載した。Time(アメリカ版)の記事を翻訳・要約した記事で、ペンシルベニア・ブルームスバーグ大学のベス ロゴウスキさんの研究と、バージニア大学のダニエル ウィリンガムさんの研究に関する話である。記事の冒頭でも説明されているようにアメリカでは車移動が多く、運転中に本を読むことは出来ないので、書籍を朗読した音声・オーディオブックを利用する人が多くいる。これがこの話の前提になっているようだ。  記事ではそれらの研究を前提に、いくつかの側面からオーディオブックと読書の違いについて検証しているが、「 仕事や勉強のためではなく「単なる娯楽」としてオーディオブックを利用するのであれば、単に物語を楽しむだけであれば、 」という条件付きながら、「 オーディオブックと読書の間にはわずかな違いしかない 」としている。

あんたは市長になるよ

 うんざりすることがあまりにも多い時、面白い映画は気分転換のよいきっかけになる。先週はあまりにもがっかりさせられることばかりだったので、昨日は事前に食料を買い込んで家に籠って映画に浸ることにした。マンガを全巻一気読みするように バックトゥザフューチャー3作を続けて鑑賞 した。

敵より怖いバカな大将多くして船山を上る

 1912年に氷山に衝突して沈没したタイタニックはとても有名だ。これに因んだ映画だけでもかなり多くの本数が製作されている。ドキュメンタリー番組でもしばしば取り上げられる。中でも有名なのは、やはり1997年に公開された、ジェームズ キャメロン監督・レオナルド ディカプリオ主演の映画だろう。