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パイナップルの果実は美味いが、表皮は固くて苦い

 パイナップルの果実は美味いが、その表皮は固くて苦い。初めてパイナップルを見た人が、「これは果物だよ」以外になんの説明も受けなければ、皮ごと食べようとしてそのままかぶりつき、「こんな固くて苦いものは食べられたものではない」と評価しても、そこにはそんなに驚きはない。

 しかし今の日本では、パイナップルは皮を剥いて果実だけを食べることは最早常識の範疇だ。だから、皮ごと食べようとかぶりついて「こんな固くて苦いものは食べられたものではない」なんて言ったら、何をバカなことを言ってるんだ?と笑われる。その人が一般的な生活をしているなら、ネットで食べ方調べたら分かるのになんでやらないの?とも言われるだろう。
 知らないことは何も悪いことではないし、それ自体は恥でもないが、知らないことを知ろうとしないことは、場合によっては恥にもなるし、たとえば、日本でもチューインガムを路上に吐き捨てることはマナー違反ではあるが、国によっては明確に罪に問われるなど、場合によっては、知らないことを知ろうとしないことは悪にもなる。

 何にせよ、現代の日本において、パイナップルの皮ごとかぶりついて、果実を食べずに、固くて苦くてまずい、と評価するのは、つまり本質ではなく表層だけでそれを評価するのは、とても滑稽だ。


 ミステリー小説家で医師だと胸を張る、知念 実希人がこんなツイートをしている。

 知念の別のツイートから判断しても、これは、昨日の投稿でも触れた、ヤングマガジンで連載中の漫画「月曜日のたわわ」の全面広告が、4/4の日本経済新聞全国版に掲載されたことに関するツイートであることは明白だ。昨日の投稿でも書いたので、その理由の詳細はもうここでは書かないが、このツイートで知念は、

 私は何が問題視されているのか理解できないバカです

と自ら告白しているにも等しい。
 なのに、このツイートに対して、投稿を書いている時点で(ツイートから約2日間)で、3万超の同調者がいる、というのが日本の現状なのだ。日本の男女格差が解消しないのも無理はないし、男女格差解消に消極的な政党が与党であり続けているのも当然である、という残念な感想しなない。

 更に付け加えると、これは所謂 Whataboutism でもある。

Wikipedia の解説には、自身の言動が批判された際に、“What about...?”(英語で「じゃあ○○はどうなんだ?」の意)というように、直接疑問に答えず、話題をそらすことを指す、とある。この場合は、知念自身の言動が批判されているわけではないが、知念が擁護する言動が批判されている、とは言える。だから少なくとも Whataboutism の類いとは言えるはずだ。つまり知念は、類似の例を持ち出している、という体裁を使った論点ずらしをやっていて、それに3万以上もの賛同が示されている、という状況でもある。

 知念は、小説家を自称しているが、こんな壊滅的な読解力でどうやって文章を書いているんだろうか。文章を生業にしている者が自ら、私には壊滅的な読解力しかない、と告白することはかなり致命的だ。また医者だとも言っているが、こんな読解力が壊滅的な医者は、どうやって問診するんだろう。こんなに壊滅的な読解力では誤診が頻繁に起きるのではないか。そんな医者に診てもらうなんて考えたくもないが、患者は医者を選べないケースのほうが多く、こんな医者に当たってしまうかもしれない、と思うと恐ろしくて仕方がない。


 以前からフェミニストを自称してきたエマ ワトソンが、雑誌の企画で盛大に胸元のはだけた衣装姿を披露し、「体を見せ物にしながらフェミニストを名乗るのはおかしい」「偽善的だ」と言われたのは2017年のことだった。

Vanity Fair

 フェミニズムはドレスコードはなく、フェミニズムの本質は女性に選択肢を与えることだ、という反論がなされ、そのような批判は合理性を書いている、ということが、この件で強く示されたはずだが、その件はもう5年も前のことなのに、知念をはじめとした日本人の一部は、未だにそれ以前の感覚を持ち続けている、ということである。

 勿論、エマ ワトソンの件について彼らが知らなかった、ということも充分に考えられる。だが、彼らは果たして知ろうとしたかのか、知ろうとしなかったのではないか、としか言えない。冒頭で示したように、知らないことは罪ではないが、このエマ ワトソンの件の後も、似たような馬鹿げたフェミニスト/フェミニズムへの、批判とは到底いえないレッテル貼り、中傷のようなことは何度も起きている。にも関わらず、そのようなことを知ろうともせずに、かなり話題になったこの件以前の感覚を未だに披露し続けている、というのは最早悪と言ってもよいのではないだろうか。
 また、月曜日のたわわの広告の件についても、なぜ批判を受けているのか、という本質を見ようともせず、知ろうともせず、または知っているのに/見ているのに自己都合に合わせて無視し、表層だけを切り取って著しく合理性を欠いた反論をしているのは、パイナップルに皮ごとかぶりついて、固くて苦くてまずい、こんなもの食えない、と言っているも同然である。



 トップ画像には、パイナップル フルーツ トロピカル - Pixabayの無料写真 を使用した。

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