スキップしてメイン コンテンツに移動
 

ファイナルの意味は ”最後” なのに…

 Season / シーズン とは ”季節” を意味する英単語である。また漁やそれぞれのスポーツなどに適した ”時期” を示す場合もある。例えば野球のシーズンは概ね4月から10月頃までで、11月頃から翌4月までは Off Season / オフシーズンだ。ちなみにシーズンオフという言い方は和製英語だそうである。ただし原義はやはり季節で、後者も野球に適した季節、のようなニュアンスから派生した使い方だろう。

 Final / ファイナルとは ”最後の” を意味する英単語である。決勝戦のことを Final と言うし、期末試験は Final examination だが、単に Final とも言うそうだ。複数教科の期末試験を示す場合は、Finals と複数形になる。これ以上ない最後の のような意味で、”究極的な” とか ”決定版”   を示すこともあるようだが、やはり原義は ”最後の” である。

 ファイナルファンタジーといえば、ドラゴンクエストと並ぶ日本の代表的なRPGゲームシリーズだ。ファイナルファンタジーの第1作に自分が触れたのは小学生の頃で、その頃は単なるゲームタイトルとしか認識しておらず何の違和感もなかったが、ファイナルの意味が 最後の だと知って「なんで最後の幻想物語というタイトルのゲームなのに、2や3があるんだよ」と思った。ドラゴンクエスト1-3のロトの勇者シリーズのように、連続性のあるストーリーならまだしも、ファイナルファンタジーシリーズはそれぞれのタイトルが個々に独立して成立している作品で、1つの物語の第〇部ということでもないからだ。続編が出たら、それ以前は ”最後の” 作品ではなくなり、矛盾が生じる

 ファイナルファンタジーシリーズは今までに、ナンバー付きタイトルだけでも15作品、その名を冠した作品なら更に多数で、Wikipediaによればシリーズ作品は現時点で87タイトルにも及ぶそうだ。”最後の” 物語なのに少なくとも15、数え方によっては90近くもあり、それは更に今後も増えそうだ。
 ファイナルファンタジー最大の失敗といえば、2001年に公開された3DCG映画がよく取り沙汰されるが、それよりも何よりも、第1作の時点で Final を冠してしまったことこそが、同シリーズ最大の失敗なのではないか。1990年前後にゲーム雑誌で、究極のファンタジーという意味、のようなことが書かれていた記憶があるが、Final は ”最後の” の方が直感的に連想されるため、やはり、同じ会社が作っている最後の物語が90以上もある、というのには、全く違和感がないとは言えない。そして究極の意だとしても、究極と自負する作品が100近く量産されたら、それは究極の大安売りとも言える状態で、究極感はかなり薄い

 トップ画像からも分かるように、この投稿の主題はファイナルファンタジーではなく進撃の巨人 The Final Season だ。この前の日曜日・4/3で、1月から放送されてきた進撃の巨人 The Final Season Part2 の放送が終了した。予告によると、2023年に The Final Season 完結編 が放送されるようである。

 進撃の巨人のシーズン/第○期の数え方・表現については、1/26の投稿でも示したように、かなり違和感がある。進撃の巨人のTVアニメは、これまでに

  • 2013年4-9月 第1期 全25話
  • 2017年4-6月 第2期(Season2)全12話
  • 2018年7-10月 第3期(Season3)Part 1 全12話
  • 2019年4-7月 第3期(Season3)Part 2 全10話
  • 2020年12月-2021年3月 第4期(The Final Season)Part 1 全16話
  • 2021年1-4月 第4期(The Final Season)Part 2 全12話

が製作/放送されてきた。分かりやすく言えば、先日終わったのは実際には第6期で、来年・2023年に放送予定の The Final Season 完結編 とやらは第7期である。


 アニメやドラマのシーズン/第○期の数え方・表現について知るには、この投稿の冒頭の一般的な英単語としての Season の解説だけでは不十分だ。Wikipediaによると、テレビ番組におけるシーズンの概念は北米発祥のようで、英国ではシーズンではなくシリーズと呼ぶそうだ。
 このテレビドラマやアニメにおけるシーズンも、結局は季節の意から派生した表現だ。だがその期間は、野球のシーズンと同様に概ね半年を意味している。日本では地上波放送がメジャーで、年がら年中新作番組を放送するが、北米ではCATV、日本で言うところのCS放送がメジャーな存在であり、リピート放送、つまり再放送が少なくない。また北米テレビ業界の年度は、学校や他の企業などと同様に9月に始まり、実質的には5月頃にその年度が終わり、6-8月はバカンスになるのだそうだ。つまり、新作番組は主に9月から5月にかけて放送され、6-8月は主にリピート番組が放送されるということだ。6-8月に新作があまり放送されないのには、TV業界だけでなく社会が全般的にバカンスのシーズンに入る為、テレビ視聴が9-5月に比べて減るからでもあるらしい。

 つまり、テレビ番組におけるシーズンの概念発祥の地・北米では、1シーズンは概ね半年/22前後のエピソード、話数で構成されるそうで、場合によっては、12-1月頃のホリデーシーズンに1ヶ月程度のブランクを挟む、という状況である。ちなみにその期間は、日本同様に特番が増える期間だそうである。

 一方で日本は、学校も企業も年初は大抵4月であり、1年の半分を半期、1/4を四半期とする考え方に基づいて、テレビ業界は四半期を1クールとして数えているようである。4月を年初として、3ヶ月/13週ごとに1クールとして期間を区切るのが一般的だ。

 自分が小学生だった1980年代は、中には半年単位の作品もあったが、アニメは大抵1年単位で放送されていた。たとえば、自分が初めてリアルタイムで見たガンダム、機動戦士Zガンダムは1985年3月から1986年2月末までの放送で全50話だった。人気作品だと、ドラゴンボールやキャプテン翼のように、2-3年かそれ以上放送が続くことも多かった。しかし今は、基本的に1クール、3ヶ月/13話前後が製作/放送の基本単位になっていて、人気が見込まれる作品の場合でも2クールで25話前後の製作/放送が一般的である。そして、大抵の場合、1つの連続放送期間(1ないし2クール分)を1シーズン/1期と数えるのが一般的だ。つまり、現在の日本のアニメに関して言えば、1シーズン/1期は1-2クールで連続放送した13-25話で構成されるのが普通だ。
 ちなみにこれは、大人を主なターゲットにしたプライム帯から深夜帯に放送されるアニメに関してであり、小学生以下が主なターゲットの作品はこの限りではなく、1980年頃と同様に半年/1年単位で放送され、人気作品の場合は何年も放送が続く。たとえばワンピースやポケモン、名探偵コナンなどのように。

 このような状況から考えても、アニメ進撃の巨人のシーズンの数え方は一般的とは言い難い。Part1/2に分かれたシーズン3にしても、前後の放送期間におよそ半期のブランクを挟んでいるので、それを1シーズンと数えるのはどうか。シーズン1は全25話の連続放送分で、シーズン2が全12話の連続放送分だったのだから、シーズン3 Part1/2 なんて数えずにシーズン3/4にするべきだったのだ。ただ、米国では1シーズンが概ね22話前後であること、半期の期間はまたいでいるが放送期間は概ね2クール/半年分であることを考えれば、それでもまだギリギリ1つのシーズンと数えられる範疇かもしれない。
 しかし The Final Season は明らかにシーズンの概念を逸脱している。Part1/2の放送期間には、約1年ものブランクがあり、この時点で同じシーズンに括るべきでないにもかかわらず、更にまた約1年もの放送期間を空けるであろう完結編も同じシーズンに括るというのだ。話数から言っても、The Final Season は既に28話に達しており、1シーズンの概念に収まらないのは明白だ。勿論1シーズンで30話を超えるドラマなどもあるが、それは概ね連続した放送分をまとめているからで、進撃の巨人 The Final Season の括り方はやはり異様だ。

 こんな言葉の概念を壊すようなシーズンの数え方をして、一体誰が得をするのだろうか。シーズン3がPart1/2に分かれていたことから、The Final Season もそうなるんだろう、とは予測していたが、そもそも Final、最後のシーズンを謳っているのに、Part2があるなんてのは羊頭狗肉だ。Part2があったらPart1は最後じゃない。せめて、Part1の時点でPart1を明言してPart2があることを示しておくべき、Part2が始まる前に今期で終わらないことを示しておくべきだったんだろう。Final に整合性を持たせる為にはそうすべきだった。
 大半の人が、The Final Season と言われたら、今期で最後まで物語を見られる、と思うはずだ。漫画単行本の最後に「次が最終巻!」とあれば、誰でも次巻で物語が完結すると思うはずだが、実際に次の巻を買って読んでみたら、その巻で物語が終わらず、巻末に「次は最終巻Part2!」なんて書いてあったらどう思うか。更に、その最終巻Part2を買って最後まで読んだら、今度は「次が最終巻 完結編!」なんて書いてあったら、バカにされている、騙された、と思うのが普通ではないだろうか。進撃の巨人 The Final Season / Part2 / 完結編という表現にはそれと同じことを感じてしまうのである。
 アニメが2クール連続で製作/放送されることは決して異例とは言えないのだから、The Final Season Part2 を見ていて、この調子じゃ1クールじゃ最後まで収まらないな、と途中で思った人も、このまま7月頃まで放送が続くかも、と思ったのではないだろうか。でも実際は4月の初頭で放送は終わり、2023年に The Final Season 完結編という、終わりの終わりを放送するというのだから、Final Season なんてのは明らかな羊頭狗肉としか言いようがない。最後じゃないなら Final を謳うな、と言いたい。


 なんでこんなにこのような羊頭狗肉が気に食わないのか。それは昨今、羊頭狗肉、言葉の歪曲、雑な表現があまりにも多すぎるからだろう。政府が都合よく歪曲する言葉は枚挙にいとまがないし、それに倣って「誤解を招いた」ですべてをなしにしようとする輩があまりにも多すぎる。進撃の巨人を放送するNHKは、年末にオリンピックデモには金銭で人員が動員されていた、というデマ番組を放送し、それもデマ番組を放送したとは認めずに、なんだかよく分からない歪曲で有耶無耶にした当事者でもある。
 言語表現がいい加減でもOKな社会になったら、議論も契約も成り立たなくなる。どんな言葉を交わそうが、事後的に強引に覆すことが可能になってしまうからだ。だから、最後じゃないのに最後だと言っているものには強く不信感が募るのだ。



 トップ画像には、困る社員7 – イラストストック「時短だ」 を使用した。

このブログの人気の投稿

マンガの中より酷い現実

 ヤングマガジンは、世界的にも人気が高く、2000年代以降確立したドリフト文化の形成に大きく寄与した頭文字Dや、湾岸ミッドナイト、シャコタンブギなど、自動車をテーマにしたマンガを多く輩出してきた。2017年からは、頭文字Dの続編とも言うべき作品・MFゴーストを連載している( MFゴースト - Wikipedia )。

話が違うじゃないか

 西麻布に Space Lab Yellow というナイトクラブがあった。 一昨日の投稿 でも触れたように、日本のダンスミュージックシーン、特にテクノやハウス界隈では、間違いなく最も重要なクラブの一つである。自分が初めて遊びに行ったクラブもこのイエローで、多分六本木/西麻布界隈に足を踏み入れたのもそれが初めてだったと思う。

読書と朗読を聞くことの違い

 「 本の内容を音声で聞かせてくれる「オーディオブック」は読書の代わりになり得るのか? 」という記事をGigazineが掲載した。Time(アメリカ版)の記事を翻訳・要約した記事で、ペンシルベニア・ブルームスバーグ大学のベス ロゴウスキさんの研究と、バージニア大学のダニエル ウィリンガムさんの研究に関する話である。記事の冒頭でも説明されているようにアメリカでは車移動が多く、運転中に本を読むことは出来ないので、書籍を朗読した音声・オーディオブックを利用する人が多くいる。これがこの話の前提になっているようだ。  記事ではそれらの研究を前提に、いくつかの側面からオーディオブックと読書の違いについて検証しているが、「 仕事や勉強のためではなく「単なる娯楽」としてオーディオブックを利用するのであれば、単に物語を楽しむだけであれば、 」という条件付きながら、「 オーディオブックと読書の間にはわずかな違いしかない 」としている。

あんたは市長になるよ

 うんざりすることがあまりにも多い時、面白い映画は気分転換のよいきっかけになる。先週はあまりにもがっかりさせられることばかりだったので、昨日は事前に食料を買い込んで家に籠って映画に浸ることにした。マンガを全巻一気読みするように バックトゥザフューチャー3作を続けて鑑賞 した。

敵より怖いバカな大将多くして船山を上る

 1912年に氷山に衝突して沈没したタイタニックはとても有名だ。これに因んだ映画だけでもかなり多くの本数が製作されている。ドキュメンタリー番組でもしばしば取り上げられる。中でも有名なのは、やはり1997年に公開された、ジェームズ キャメロン監督・レオナルド ディカプリオ主演の映画だろう。