「LGBTのカップルのために税金を使うことに賛同が得られるものでしょうか。彼ら彼女らは子供を作らない、つまり『生産性』がないのです」という、7/23の投稿で取り上げた自民・杉田議員の主張は、その主張が掲載された月刊誌が発売されるや否や、大きな波紋を呼び、今もまだその件への注目度は高い。またこれに関して、ネット番組の中で「同性婚や夫婦別姓といった多様性を認めないわけではないんですけど、それを別に法律化する必要はないと思っているんですね。趣味みたいなもので」と発言した同じく自民・谷川議員も大きな話題となった。谷川氏の件については8/1の投稿に書いたが、そこでは先月批判を浴びた政治家らの不適切、場合によっては傍若無人とさえ言える発言をまとめている。要するにここ最近、政治家の馬鹿げた言動は枚挙に暇がない。
他にも護憲派のことを指して「憲法教という新興宗教」と発言した自民・稲田議員(7/30の投稿参照)、もう恐らく失言を失言とすら感じなくなっているとしか思えない麻生副総理大臣(8/2の投稿参照)など、自民党所属議員のおかしな言動が特に目立つが、実際はおかしな発言・主張をする政治家は自民に限った話ではない。例えば「日本国憲法には「天皇奉戴」が明記されている」とSNSに投稿した(8/14の投稿参照)伊勢崎市議会・伊藤 純子議員昨などは、自民党議員ではないようだ。また昨今特にその手の主張・発言が目に付くかのように書いたが、急に増えたわけでもない。 このブログでは昨年来、似たような事案を取り上げているし、自分がこのブログを始める前ずっと前からそのようなことはしばしば、というか常にあるような話だ。
ただ、個人的に危惧しているのは「誤解」という言葉で片付けようとする政治家、非を認めず、今後は「真摯」「丁寧」な対応・言動に努めるなどという話でその場を取り繕い、ほとぼりが冷めるのを待とうという姿勢が見え見えの政治家の多さだ。勿論のこの個人的な危惧に関して、これまでの失言・不適切発言に対する政治家の対処方法と、昨今のそれを具体的に比較したわけではないので、その手のいい加減な言い訳をする政治家が昨今増えたように感じる、というのは単なる私見でしかないが、「誤解」の濫用が増えているとしか思えない。中には不適切発言を繰り返し、その度に「誤解」で片付ける政治家もいる。議論が仕事の一つのはずなのに、頻繁に誤解を招く発言を繰り返すようでは、まともな議論など到底出来ないのではないだろうか。
昨日・8/26、FNNニュースが「ヘリ事故を「自爆」「お粗末」群馬・太田市長」という記事を掲載していた。太田市の清水 聖義市長は、8/25に行われた防災訓練で、8/10に発生し群馬県防災ヘリコプターの墜落事故に関して、「防災をやる者が自分で自爆してしまった。全くお粗末だと思った」などと述べたそうだ。言いたい事は分からなくもないが、遺族の感情などを勘案すれば言葉選びが悪すぎる。これについて市長は翌日、
自分ではしゃべったつもりはないが、無意識に言葉に出てしまったのかもしれない。わたしの言葉で誤解し、不快に思われた方がいたら大変申し訳ないと弁解したそうだ。毎日新聞の記事「群馬・太田市長 ヘリ墜落「自爆でお粗末」 翌日謝罪」にも、
「(事故を起こした防災ヘリ・はるなが)参加できず残念というあいさつの中での発言で、自分ではしゃべったつもりはない」などと釈明、「私の言葉で誤解し、不快に思われた方がいたら大変申し訳ございませんでした」と謝罪した。という記述があるので、 市長の弁明内容はこれらの記事に書かれている内容でほぼ間違いないのだろう。
とうとう「馬鹿げた言い訳もここまで来たか」としか言いようがない。発言自体を「しゃべったつもりがない」と否定するということは、記憶障害か二重人格などの恐れがあるのはないだろうか。それらのハンデを抱える人を卑下するつもりは毛頭ないが、発言に責任を持てない人が市長では、市民は十中八九困るだろう。ここでもお決まりの「誤解」が登場しているが、多くの人は「誤解もクソもないだろう」と感じるのではないだろうか。
多分、彼は
自分は(被害者や遺族の人を不快な気分にさせるような意図で、自爆・全くお粗末と)しゃべったつもりはない、(そのような意図はなかったが)無意識に(そのような)言葉が出てきてしまったのかもしれないのようなニュアンスで釈明したつもりなのだろうが、カッコ部分を省略してしまうと、
自分は自爆・全くお粗末なんて言葉をしゃべっていない、ただ自分が知らない内に口が勝手にそのような言葉を発した恐れはあると言っているように聞こえてしまう。要するに「わたしの言葉で誤解し、不快に思われた方がいたら大変申し訳ない」という、発言に対する批判は、誤解によって生じたものだが、誤解を招いたことは申し訳なく思う、という釈明の中で、更に誤解を生じさせるという恥の上塗りをやっているようなものだ。これでは、たとえ批判されるような意図が彼になかったのだとしても、政治家に必要な日本語での表現能力が著しく足りていないと言わざるをえない。
と、とても優しい観点で批判したが、結局のところ、馬鹿げた言い訳などせずに「表現が不適切でした。申し訳ありません」と誤った方がいいことには間違いない。例えば、いたずらをして親に怒られている子供がこんな不細工な謝り方をすれば、最近は違うかもしれないが、自分が子供の頃なら確実に親父のゲンコツがとんできた筈だ。体罰を正当化するつもりは一切ないが、ゲンコツをくらわされても仕方がないと思う。
国民の手本にならなければならない筈の政治家がこんなことでよいのだろうか。といっても、副総理大臣があの体たらくでは、政治家にその影響が及ぶのも無理はないのかもしれない。政治家のそのような態度は少なからず一部の国民に影響し、更にその子供たちにも影響は及ぶだろう。国会議員を始めとした政治家は、国民が選ぶので国民の鏡だろうが、政治家の姿勢・態度は国民に影響を及ぼすので、国民は政治家の鏡でもある。政治家の劣化は国民の所為でもあり、国民の劣化は政治家の所為でもある。この悪循環をどこかで断ち切らなければならない。