外国人労働者の受け入れ拡大を実現する為の「入管難民法改正案」が、12/10に閉会した2018年の臨時国会で可決・成立したことはまだまだ記憶に新しい(毎日新聞の記事)。しかしこの法案は複数の点で合理性に疑義が呈され、自民党内部からもそのような指摘があった。政府・厚労大臣や官僚らはそれに対する充分な説明をしていたようには到底思えないし、大手新聞社の世論調査でも軒並み違和感・低評価が、容認・高評価を上回っている(読売・毎日・朝日の記事)。つまり入管難民法改正案は充分な審議が尽くされぬまま、与党・自民公明の賛成によって法案が可決成立した、という評価が一般的である。
充分な審議を尽くさずに法案を成立させ、その後首相が「国民の皆さまの理解を得る為に、今後も丁寧な説明を行う」等と述べるが、実際は何もしないというのは、この入管難民法改正案に限った話ではなく、特定秘密保護法、安保法制、共謀罪法案、働き方改革を標榜して成立させた高プロ導入、水道法改正案、そして入管難民法改正案と、日増しにその程度は酷くなっている。特定秘密保護法、安保法制の頃から、説明が強引で合理性に欠けることはしばしばあったが、「充分な審議を尽くした」という体裁を保つために審議の時間だけはある程度確保していた。しかし今年の通常国会以降は丁寧な説明・答弁だけでなく、時間をかける事さえも怠るようになった。これについては12/10の投稿「入管難民法改正案を成立させたのは、安倍政権でなく日本の国民」で更に詳しく書いている。
昨日の投稿「小泉進次郎氏の妊婦加算への見解から感じる、政府・与党のいい加減さ」では、小泉氏が示した妊婦加算への見解から、国会だけでなく自民党や政府内でも充分な議論・検討が尽くされぬまま制度設計がなされ、実際に運用されるに至る傾向が見える、という事を指摘した。このような状況は民主主義の崩壊の第1段階と言えるのではないだろうか。勿論、このような政治状況を主体的に作り出しているのは首相を中心とした政府、そして政府と一体化している与党なのだが、前述の12/10の投稿や、12/12の投稿「政治家・議員・大臣らの傍若無人な振舞いが許される状況について」、12/25の投稿「ブラック企業大賞から考える権利行使の重要性」等でも触れたように、その政府・与党を選挙の度に信任してきたのは紛れもなく日本の国民で、間接的にではあるが、日本の国民が日本の民主主義を崩壊に向かわせているという側面が確実にある。このブログでは何度か書いてきたが、悪名高いドイツのナチス政権も、民主的なプロセス・選挙によって選ばれた。つまり民主主義は万能な存在でなく、国民一人ひとりが常に権利行使して維持に努めなければ、間違った判断を下す事もあるし民主主義自体が崩壊することも充分にあり得る。それは革命と王政復古を繰り返したフランスの歴史からも、民主化を求めて起きた「アラブの春」の結果、その震源地だったチュニジア以外の国がどうなっているかからも明らかだ。
国会だけでなく自民党や政府内でも充分な議論・検討が尽くされぬまま制度設計がなされ、実際に運用されるに至る傾向が垣間見える記事「「東北で塩辛作っていた人が東京へ」外国人材流出に懸念」を朝日新聞が掲載している。政府は12/25の閣議で、新制度の全体的な方向性を示す基本方針と、業種ごとの受け入れ見込み人数などの詳細を記した分野別運用方針を決めたそうだが、基本方針と分野別運用方針は、閣議決定前の12月中旬に自民党の各部会などで議論されたそうだ。19日に開かれた水産分野の会合では、小野寺 五典議員が、
気仙沼でイカの塩辛をつくっていた実習生が、(新制度で)特定技能に移ると東京の総菜屋やパン屋で働ける。みな首都圏に行ってしまうと、外国人労働者が都市部へ集中するのではないか?という危機感を示したらしい。
この記事を読んで「自民党内でちゃんと議論が行われているじゃないか」と思う人もいるだろう。しかしよく考えて欲しい。なぜその危機感や種々の懸念を、提出される法案策定の際に示さなかったのか、なぜ国会の審議でその危機感や懸念を示さないのか、小野寺氏は、入管難民法改正案を主体的に検討した法務部会所属ではないかもしれないが、なぜ可決成立前にその懸念を示さなかったのか、なぜ危機感や懸念を感じる法案成立に賛成票を投じたのか。明らかに順序がおかしい。「危機感や懸念を感じたのに、法案成立に賛成票を投じるなんてバカなの?」としか言いようがない。バカは言い過ぎかもしれないが、小中学生だってそう感じるのではないだろうか。つまり、法案の提出・可決成立の過程において充分な議論・検討を尽くしていなかった、という事の確たる証拠が現在の状況と言える。
政府は同じく12/25の閣議で、クジラの資源を管理する国際捕鯨委員会(IWC)からの脱退を正式に決めたそうだ(ハフポストの記事)。個人的には、欧米諸国のイルカ・クジラに関する視点は、やや過剰な動物愛護感に偏っている側面があるように思え、必要以上に捕鯨禁止を求める姿勢にも違和感を感じるが、一方で日本には、マグロやウナギ、他の水産資源に関しても生態系に影響を及ぼしかねないレベルで水揚げしている側面があり、日本の商業捕鯨再開の意向に関して懸念が示されるのも理解出来ないわけではない。にもかかわらず「気に入らないから脱退」のような態度、国際協調を蔑ろにするような態度を我が国が示せば、今後日本同様に「だったらウチも勝手にさせてもらいます」のような国が増えかねない。
トランプ大統領が自己中心的な論理を振りかざして国際的な枠組みからの離脱を複数表明し、明らかに国際協調路線に背を向けている。またナショナリズムの台頭は、欧米を始めとした各国でも確実に見られる。自国の政府がそのような路線に陥るのは好ましいとは思えない。そのような事を考慮できない日本政府の方針はとても残念だ。IWC脱退も、大した議論もされぬまま短絡的に決められてしまったように思えてならない。