スキップしてメイン コンテンツに移動
 

形骸化する法の下の平等 (差別のない状態)


 国外から見て、日本の国旗がこんな風に見えていないかとても心配だ。来年は東京オリンピックが開催されるそうで、平年以上に国外からの注目も集まる、というか既に集まっている。そんな中で、10/14の投稿でも書いたように、まさにオリンピック開催都市である東京の台東区で、大きな被害を出した台風が直撃する中でホームレスが避難所の利用を断られる、ということが起きた。ナチとは差別の対象とした者が異なるが、公的な機関、役人が差別を平然と行ったという点では差がない。更に今の日本では、政権批判をする者を警察が排除する事案も複数起きているし、政権に都合の悪い表現活動を強引に抑圧する動きも確実にある。


 台風が直撃する中でホームレスが避難所の利用を断られた事案について、台東区は、
 自主避難所では入り口で避難所カードに名前や住所をご記入いただいています。そこでいらっしゃった住所不定者の方が『住所がないんです』とおっしゃり、避難所は区民の方への施設ということで、お断りをさせて頂きました
などと説明していた(台東区が路上生活者の避難所利用を拒否。「来るという観点なく援助の対象から漏れた」と担当者 BuzzFeed Japan)。しかしNHKは昨日、「ホームレス拒否も区外住民は受け入れ 台東区の避難所 | NHKニュース / インターネットアーカイブ」と報じた。


記事によると、
 台東区が台風19号に備えて開設した避難所で、路上生活者を「区民ではない」という理由で受け入れを拒否した一方、区外に住む人たちを受け入れていた
そうだ。「当日、区外に住む人や他県から来た旅行者などを受け入れていたことが区への取材でわかりました」という記述もある。つまり住所云々という話は、ホームレスの人達を避難所から排除する為の口実に過ぎなかった、ということだ。
 当初の報道の時点で既に感じられたのは、台東区は住所の有無を理由に避難所利用を断る、という行為を、正当化とまでは言わないがある種の言い訳として用いて、責任逃れ・責任の軽減を図っていたのではないか、ということだ。その思いは、この事実で強く補完されることになった。台東区が行ったことは明らかな命の選別、明確な差別と言わざるを得ない。これを批判・非難・否定しなければ、台東区民・東京都民は判断を下した台東区やその役人らと同類と見なされても仕方がない。というか台東区民・東京都民に限らず全ての日本人について同じことが言えるだろう。この件が発覚した当初から、SNS上で一部の者が、台東区の行為を肯定したり擁護したり容認していることはとても残念だし、それが「国外から見て、日本の国旗がトップ画像のように見えていないかとても心配」と感じられる所以である。


 10/4の投稿は「言い訳染みた正当化の横行」について書いたが、この台東区での一件でも同様のことが起きている。また、9/29の投稿では「日本の警察にも、差別的な認識を持つ者が少なからずいる」ということを書いたが、一般市民や警察だけでなく、役人、そして政治家にも差別的な認識を持っている者、差別を正当化しようとする者が少なからず存在している、ということもこの一件からも再確認できる。警察官や役人、そして政治家だって人間だし、彼らも一般市民の中から選ばれるので、一般市民に差別的な認識を持つ者、差別を正当化しようとする者がいれば少なからずそのような者が混じる。それはある意味では当然なのだが、しかしそんなことが起きるのは当然だから仕方がない、容認すべきとは口が裂けても言えない。今日自分が標的にされていなくても、差別をする者を許容すれば、明日は新たな線引きが行われ自分が標的にされるかもしれない。簡単に言えば「明日は我が身」になりかねない。

 最近このブログで最もアクセスがあるのは、1/29に書いた「日本は言う程狂ってない?」だ。その投稿はパトリック ハーラン(パックン)さんがテレビ番組にコメンテーターとして出演した際に示した
 僕は正直日本は皆さんが言う程狂ってないと思う。全世界に比べると今、例えば国家主義・ナショナリズム・ポピュリズムなどの波は日本には押し寄せてきてはいない。政府に対する不信は確かに国民の間にあるが、他国に比べたら(不信のレベルは)まだ低いし、で、野党がしっかりしてないのは間違いない、与党も色んな問題だらけなんだけども、でも官僚は何とかしっかりしているような気がしている
という見解に対する違和感について書いた。
 改めて言いたい。「日本にも国家主義・ナショナリズム・ポピュリズムの波は押し寄せているし、政府に対する不信も決して低くないとは言い難いし、官・役人も全くしっかりしているとは言えない」。つまりパックンの認識は決して妥当とは言い難い。それは当時からそうで、その後状況が急変したわけでもない。今もまだパックンと似たような感覚の日本人も少なくないようだが、これこそが日本人の「平和ボケ」というやつなのではないか。


 トップ画像は、DavidRockDesignによるPixabayからの画像 を加工して使用した。

このブログの人気の投稿

話が違うじゃないか

 西麻布に Space Lab Yellow というナイトクラブがあった。 一昨日の投稿 でも触れたように、日本のダンスミュージックシーン、特にテクノやハウス界隈では、間違いなく最も重要なクラブの一つである。自分が初めて遊びに行ったクラブもこのイエローで、多分六本木/西麻布界隈に足を踏み入れたのもそれが初めてだったと思う。

大友克洋がAKIRAで描いたのは、2020東京五輪だけじゃない

 2020東京五輪招致、そしてそれが予定通りに開催されなかったことが、見事に劇中の設定と同じであることで知られる、大友 克洋のマンガ/アニメ映画・AKIRA。3巻の巻末にある次巻の予告ページでは、劇中で発行されている体裁の新聞がコラージュされていて、その中に「WHO、伝染病対策を非難」という見出しがあり、コロナ危機をも言い当てていた?という話も話題になったことは記憶に新しい。

さようなら、モーニングCROSS。今までありがとう。

 MXテレビの朝の報道系番組で、ジャーナリストの堀 潤さんがMCを務めている モーニングCROSS 。以前はこの番組で放送されたことについて、ちょくちょくこのブログに書いたりもしていたが、ここ最近は同番組のことを取り上げる気分にはなれなくなっていた。その転機は今年の5月頃だった。  5/21の投稿「 MXテレビ・モーニングクロスは信用に足る番組か 」で書いたように、同番組は、放送中に視聴者がハッシュタグ・ #クロス で呟いたツイートを画面に表示している。しばしば誤った内容のツイートや、差別や偏見を助長する内容のツイートも表示され、そんなツイートへの番組内での注釈が充分とは決して言えない為、「 結果的に番組が誤った情報を拡散したり、差別や偏見を助長することになる 」と、これまでも 何度もこのブログに書いて 、その都度リンクを当該タグや 番組アカウント ・ 堀 潤さんのアカウント へのリプライとしてツイートしたり、番組Webサイトへ直接意見として投稿したりもしてきたのだが、何年も改善の様子がない為「無駄なことをしている」気分になった。

同じ規格品で構成されたシステムはどこかに致命的な欠陥を持つことになる

 攻殻機動隊、特に押井 守監督の映画2本が好きで、これまでにも何度かこのブログでは台詞などを引用したり紹介したりしている( 攻殻機動隊 - 独見と偏談 )。今日触れるのはトップ画像の通り、「 戦闘単位としてどんなに優秀でも同じ規格品で構成されたシステムはどこかに致命的な欠陥を持つことになるわ。組織も人も特殊化の果てにあるものは緩やかな死 」という台詞だ。

ノートルダム聖堂の火災、沖縄の「女は政治は無理 女は台所に帰れ」

 2019年4/15に パリのノートルダム聖堂で火災が起きた 。石造りのファサード(建物の正面部)は残ったが、木造だった屋根や19世紀に加えられた尖塔は焼け落ちた(パリ・ノートルダム聖堂本体は1163年に着工し、1225年に完成したそう)。因みに、 Wikipedia によると「ノートルダム」はフランス語で聖母マリアを指す表現で、ノートルダムと名のつく教会はフランス語圏に複数存在しているらしい。日本でも弁天様・弁財天を祭る有名な寺に上野・寛永寺や奈良・興福寺などがあるが、それ以外にも弁天様を祭る寺は複数存在し、更に、本来弁財天は仏教の女神なのだが、弁天様を祭る弁天神社というのも各地に存在するのと似たようなことなのかもしれない。  フランス人にとってのパリ・ノートルダム聖堂がどのような存在だったか、フランス人でもなくキリスト教徒でもない自分が上手く想像できているのかよく分からないが、宗教的なシンボルで歴史もあり、観光名所にもなるような建造物という風に捉えれば、東京で言えば浅草寺、関西で言えば清水寺などが相当するような建物なのだろうと想像する。それらで火災が発生し大部分が焼けたとしたら、多くの日本人が悲しみ、そしてパリ・ノートルダム聖堂同様に再建を望むだろう。