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言い訳染みた正当化の横行


 「愛媛県警松山東署が松山市の20代女性を窃盗容疑で誤認逮捕した問題」に関する調査委結果が昨日公表された。「自白強要「認められなかった」 愛媛県警、誤認逮捕の調査を県議会報告 - 毎日新聞」によれば、篠原県警本部長は「取り調べの過程で尊厳を著しく侵害するとともに、ことさら不安を覚えさせ、また困惑させかねない言辞(言葉遣い)があったことも確認された」と不適切な取り調べを認めた一方で、「自由な意思決定を阻害する、とまでは認められなかった」とし、自白の強要については否定したそうだ。



 調査が行われたのは、今年の1月に松山市内でタクシーから約5万4000円が入った運転手のバッグが盗まれる事件が発生し、「ドライブレコーダーに映った女と顔が似ている」という理由で20代女性が7月に逮捕された。その後愛媛県警が誤認逮捕を認めると、女性が「就職も決まってるなら大事にしたくないよね?」「認めないと終わらないよ」などと自白を強要する取り調べを受けたことを告白した、という事案である。

 毎日新聞の記事は、この事案・調査結果のポイントとして、
  • ドライブレコーダーの映像が女性に似ているとの捜査員の主観をもとに捜査方針を決定し、同乗者や所持品などについて裏付け捜査をしなかった。
  • ポリグラフ(うそ発見器)検査や顔画像鑑定の結果を過大評価した。
  • 捜査の初期段階から捜査幹部によるチェック機能がおろそかだった。
  • 女性への取り調べでは尊厳を著しく侵害するとともに、殊更に不安を覚えさせ、困惑させかねない発言があり、心情に配慮しつつ行うべきだった。
等を挙げている。また、記事には女性が受けたとした「就職も決まってるなら大事にしたくないよね?」「認めないと終わらないよ」などの発言については、実際は無かったという記述がないので、発言が取り調べの中で行われたことは事実なのだろう。
 これで自白の強要には当たらないという判断は果たして妥当だろうか。調査も県警内部で行われたようだし、県警本部長の判断は、責任逃れの為の強引な正当化としか思えない。これが自白強要に当たらないという判断が下されるのであれば、警察の捜査など当てにならないということになってしまう。


 「選択的夫婦別姓を認めないのは違憲」として、事実婚カップルなどが国を訴えていたた裁判について、10/2に東京地裁は原告側の請求を棄却した(夫婦別姓を認めないのは「信条による差別ではない」 東京地裁で原告側が敗訴 BuzzFeed Japan / 「家族のあり方は国が考えることなの?」夫婦別姓集団訴訟、東京地裁では原告敗訴 | ハフポスト)。


 原告側は、元来持つ姓を維持したままの婚姻を希望する旨を明記した婚姻届けを提出したところ、夫婦同姓を定めた民法750条に「違反している」という理由で婚姻届は受理されなかったことなどを根拠として、夫婦別姓の選択肢を認めない民法750条は、夫婦別姓を希望する人をその「信条」によって差別しており、法の下の平等を掲げる憲法14条に違反していると主張していた。
 東京地裁はこれに対して、社会動向として「女性が婚姻、出産後も継続して就業する傾向にあり、選択的夫婦別姓制度の導入に賛成する人も増加傾向にある」としつつも、夫婦同姓を規定した民法を合憲とする2015年の最高裁廷判決を前提とし、「判例変更を正当化しうるほどではない」「国会における立法政策として十分に考慮されるべき事項」とした。

 東京地裁がこんな見解を示したのは大変残念だ。夫婦別姓を求めているのは決して女性に限らない。婚姻によって妻の姓を選択したことによる不都合・不利益を訴えている青野 慶久さんなどはその代表だ(3/26の投稿)。つまり「(社会動向として)女性が婚姻出産後も継続して就業する傾向にあり」云々という話は、婚姻する場合に女性が男性の姓に改名するのがあたかも当然かのような認識、言い換えれば、消極的にかもしれないが男尊女卑を否定しない傾向が、当該裁判官にあることを感じさせる。
 また「判例変更を正当化しうる程ではない」というのも、当該裁判官が実際に夫婦同姓を強制されることによる不都合・不利益を体験していないことで生じる、現状の軽視のように感じられる。更に「国会における立法政策」云々という話もあまりにも無責任だ。夫婦別姓についての政治による議論が一向に進まず、不利益・不都合解消の兆しが見えないので原告らは司法に判断を仰いでいる、という状況なのに、司法は判断を避ける・政治で解決する問題である、という見解を示すのは無責任というより他ない。
 一見まともな根拠で請求を棄却しているようにも思えるかもしれないが、そのような理由によって訴えを棄却するのは、裁判所・裁判官・司法の責任逃れではないのか。


 政治の世界では近年何か指摘を受けても、「誤解を招いた」「真摯に受け止める」などの台詞による責任逃れが横行している。例えば9/22の投稿で紹介した、不適切な献金について「返せば問題ない」という態度を複数の大臣が示した件など、支離滅裂とも思える強引な正当化によって責任を取らないということも、この数年枚挙に暇がない。
 それは政治の世界だけでなく、関西電力の経営陣が原発立地自治体の助役から不適切な金品を受け取っていたにもかかわらず(9/28の投稿)、あたかも自分達は被害者かのような言い逃れに終始したり(「お前の家にダンプを突っ込ませる」関西電力の報告書には、森山栄治氏の恫喝が生々しく書かれていた。 | ハフポスト)、 かんぽ生命保険の不正販売が発覚した日本郵政の副社長が、同事案を昨年7月の時点で取材し報じた件(東京新聞:NHK経営委 番組への介入許されぬ:社説・コラム(TOKYO Web))について、 「まるで暴力団と一緒。殴っておいて、これ以上殴ってほしくないならやめたるわ、俺の言うことを聞けって。バカじゃねぇの」と、まるで暴力団の末端構成員かのような発言を公の場でしたり(「NHKはまるで暴力団」日本郵政副社長が記者団に発言 [かんぽ不正]:朝日新聞デジタル)、責任逃れ・開き直り、支離滅裂で強引な正当化の横行は経済界等にも広がりを見せている。


 最後に一つ、言い訳染みた正当化の典型的な例を紹介しておきたい。千葉を始めとした関東各地が台風被害に苦しむ中、災害対応そっちのけで組閣された新内閣の環境大臣・小泉 進次郎氏が、温暖化対策サミットに関連して行われた会見の中で、記者に「石炭は温暖化の大きな原因。日本の環境省は石炭火力発電を今後どうするのか」「どうやって石炭火力発電を減らすのか」と問われ、言葉に詰まった挙句に具体性を欠いた苦し紛れの回答をしたことを9/24の投稿で紹介し批判したが、「小泉環境相 沈黙について「どういう答えが最適か考えた結果」 | NHKニュース / インターネットアーカイブ」によると、小泉氏は、沈黙したことや、具体性がない回答が多いなどの指摘について、
 国際社会の受け止めと、国内の相当なギャップを今回痛感した。その中で石炭火力についても国内の受け止めと国際社会は相当違う。そういったことを鑑みた時に、どういう答えをすることが最適なのか考えた結果だ。沈黙の時間とかよく言われるが不用意に言うことのほうが、私は問題だと思っている
 何をやっても批判は必ずあると思う。いろいろな声を受け止めて、その批判を糧にこれからも努力していきたい
と述べたそうだ。


 確かに彼は大臣になってまだ間もない。これを理由に「まだ試用期間のようなもので、彼の対応が充分でないのも仕方ない」と主張する者もいる。しかし彼は政治家に成り立ての人間ではない。しかも大臣とは、首相がしばしば「適材適所の人選」と強調するように、元々能力のある人間・その道のプロを選ぶのが妥当なはずだ。大臣は新社会人でもなければ、経験不問で誰でも気軽に応募OKのアルバイトでもない。そもそも国際的な会議に準備もせずにのこのこと出ていくような者が相応しいとは思えない。
 以上が個人的な見解だが、それでも優しい目でみれば、この件を教訓にして大臣の職に真摯に向き合う覚悟を表明しているようにも思えるが、これまでの彼の内容の殆どない発言(9/18の投稿)、政界に蔓延する責任逃れ・責任の矮小化が横行している傾向に鑑みれば、トンチにばかり精を出し、批判や指摘を真摯に受け止めずはぐらかす男に見えて仕方がない。なぜ彼は「具体的な考えを持ち合わせていない」と正直に答えなかったのか、答えられなかったことを奇をてらった発言で正当化しようとするのか。彼も他の政治家同様、責任逃れが常態化してしまっているとしか思えない。


 トップ画像は、Gerd AltmannによるPixabayからの画像 を使用した。

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