スキップしてメイン コンテンツに移動
 

「知らなかった」で済めば警察はいらない


 千葉を始めとした関東各地が台風被害に苦しむ中、災害対応そっちのけで発表された国務大臣・与党自民党幹部の新たな人事(9/11の投稿)。その新?内閣の面々については、これまでにも、オリンピック担当大臣が「旭日旗をオリンピック応援に用いるのは問題ない」という見解を示したこと(9/13の投稿)、国家公安委員長や科学技術担当大臣らと反社会的勢力との関係疑惑(9/15の投稿)、防衛大臣・環境大臣・復興担当大臣らが、都合の悪い質問に対して「所管外」として応じない件(9/16の投稿)、環境大臣が「具体的」という言葉を無視し、質問に全く答えないどころか発言の趣旨があるのかすら分からないような返答を示した件(9/18の投稿)など、たった2週間で既に複数の疑惑/不適切な対応が露呈している。
 そして、この週末は新たに違法な献金に関する疑惑が浮上した。しかも2人もだ。

受けた献金額は違えど2人の行為は全く同じで、公職選挙法で禁じられている、国会議員に対し、国と契約を結ぶ当事者が国政選挙に関連する献金を、2017年の衆院選期間中に受けていた。
 「【報ステ】高市総務大臣“違法献金問題”全額返金 テレビ朝日」によれば、高市氏は、
  自民党本部の顧問弁護士に確認をさせて頂きました。その結果、寄付を受けた時点で企業と国の契約関係を知りうる方法はなかったと。(中略)弁護士からの言葉をそのままお伝えしますと、「まったく公職選挙法には抵触しない」
と述べている。果たしてこの説明は妥当だろうか。


 同様の不適切な献金の返還は自民党の議員だけでなく、立憲民主党・辻元議員も、2013年5月に政治資金規正法で規制されている外国人から献金を受けていたとして、2019年2月に返金を行っている(立民辻元氏に外国人献金 1万円、指摘受け返還 | 共同通信)。この件も返金が行われただけで、特に処分は行われていないようだ。
 辻元氏の件も、高市氏/菅原氏の件と似た案件ではあるのだが、個人的には、高市氏や菅原氏の方がより脇が甘いと考える。何故なら2人が当該献金を受けたのは、政治家が最も身を引き締めなくてはならない選挙期間中だし、彼らが献金を受けたのは個人からではなく企業からだからだ。
 辻元氏の件が発覚した際にも、辻元氏本人がそう説明したかどうか記憶が定かでないが、多数の献金を受ければ、少額献金の一人一人を全て調べるわけにもいかず、これが罪になるとしたら、政治家に対して日本名を名乗る外国人に献金させれば陥れることが可能になる、という話があった。但し、高市氏への献金は30万、菅原氏への献金は8万円と決して高額な献金とはいえないが(因みに辻元氏への献金は1万)、どちらも企業名義での献金である。彼らの当該企業と国の契約関係を知らなかったという話が真実だとしても、企業からの、しかも選挙期間中の献金であれば尚更、当該企業がどのような企業か調べるくらいの対策は必要ではないのか。
 そんな脇の甘い政治家は簡単に陥れられそうだ。そんな政治家に国務大臣を任せても大丈夫なものだろうか。現政権では不適切事案の責任を官僚に押し付けがちだが、脇の甘い者が大臣になれば、官僚の管理・統制など出来なくて当然だろう。

 その一方で、本当に彼らが当該企業と国の契約を知る手段を持っていなかったのだとしたら、責任を問うことまでは出来ないかもしれないとも感じる。しかし、もしそうだとしても、国との契約を結びながら、国会議員に対して献金を行った企業には責任を問う必要が出てくるのではないだろうか。もし当該企業の経営者などが、そのような公職選挙法の規定を知らなかったとしても、知らなかったなら仕方がないということにはならないだろう。
 そんな話がまかり通るなら、スピード違反をしても「当該道路の速度規制を知らなかった」と言えば、何のお咎め受けないで済むだろうし、極端なことを言えば、万引きをしても「無料サンプルだと思っていた」と言えば済むことになる。そんな話が通るかと言えばほぼ確実に、というか絶対に通らない。テレビの警察24時的な番組では、スーパーでお菓子や缶詰など数百円程度の万引きしたおばあさんが、「お金を払うから勘弁して下さい」と謝っても警察に連行される場面が毎回のように放送されている。スピード違反・違法改造をした若者などが、一応ボカシ等はかけられているが、まるで凶悪犯のように描かれ吊し上げられている。彼らの中にも「細かい規制を知らなかった」と言う者はいるが、勿論そんな話は受け入れて貰えない。
 つまり、高市氏や菅原氏の説明、そして献金を行った業者、厳しく言えば辻元氏の件についても「知らなかったから仕方ない・対策のしようがない」で済ますのは妥当とは言い難い。


 どうもこの数年、日本はどんどん責任を取らなくてもよい国になりつつあるように思う。但し一定の立場の者に限った話である。実質的に「返えすだけで済ます」「ほとぼりが冷めるまで待つ」「誤解を与えたとして取り消す」事案があまりにも横行し過ぎている。誤解云々については9/5の投稿で書いたし、ほとぼりが冷めるまで待つなんてのは枚挙に暇がない。中にはほとぼりが冷める前から開き直る政治家までいる(9/2の投稿)。
 日産の前会長は不適切な収入等の問題で警察沙汰になっているのに、彼の後釜で強くその不適切さを指摘していた人物にも、同種の事案が発覚したにもかかわらず(西川氏不正報酬に厳しい批判 日産、危機管理も問われる - 産経ニュース)、検察は不起訴で済ますそうだ(西川社長の報酬不正問題、立件は困難 東京地検特捜部 [ゴーン前会長]:朝日新聞デジタル)。
 冒頭でも触れた台風被害への対応について、政府やそれに忖度し発災当日/翌日殆ど何も動かなかった千葉県知事への批判が高まっているのだが、その知事が「千葉・森田健作知事「誰が悪い、これが悪いではない」 : 国内 : ニュース : 読売新聞オンライン」という見解を示した。しかし、県知事がその見解を示した翌々日には「非常用発電機の半数超が活用されず 千葉県、倉庫に眠る:朝日新聞デジタル」という記事が掲載された。大規模な停電が災害によって発生したにもかかわらず、それに備えて備蓄されていた資材が活用されていないのなら、少なからず当該自治体の首長、つまり千葉県知事の責任が生じる。「誰が悪い、これが悪いと言ってる場合ではない」という話に問題があるとは思わないが、責任を負う立場の者が自ら発信する種の話ではないのではないか。個人的には、自分の責任逃れを念頭に置いた発言としか思えない。

 どうしてこんなことになったのか、その大きな理由の一つに「暴言太郎」の存在がある筈だ。自分の監督する官庁で公文書の改竄という前代未聞の事態が生じても、「起きた理由が分かれば苦労しない」と責任を現場に押し付け、まるで他人事のように開き直り、また、暴言/放言を度々示し、その度にまるで謝罪にすらなっていない謝意を示すだけで済んでしまい、同じ事を更に繰り返す。そんな人物が副総経理大臣・国のNo.2の座に居座り続けられるのだから、その後輩政治家や少なからず彼と関係を持つ企業家などが影響されるのも無理はない。彼を筆頭に他の大臣や、首相や官房長官ら国を代表する者がそんなことをしていれば、一部の国民が「それでいいんだ、何でも強引に言い切れば切り抜けられる」と思ってしまうのも仕方ない。
 勿論、実際には仕方ないで済ますことなど許してはならない話なのだが、そんな暴言太郎を何年も起用し続ける政党を、国民が選挙の度に容認し続けるのだから、国民がそんな日本を選んだとも言えそうだ。


 このままでは、この国の低迷・没落は更に深刻化してしまうだろう。

このブログの人気の投稿

マンガの中より酷い現実

 ヤングマガジンは、世界的にも人気が高く、2000年代以降確立したドリフト文化の形成に大きく寄与した頭文字Dや、湾岸ミッドナイト、シャコタンブギなど、自動車をテーマにしたマンガを多く輩出してきた。2017年からは、頭文字Dの続編とも言うべき作品・MFゴーストを連載している( MFゴースト - Wikipedia )。

同じ規格品で構成されたシステムはどこかに致命的な欠陥を持つことになる

 攻殻機動隊、特に押井 守監督の映画2本が好きで、これまでにも何度かこのブログでは台詞などを引用したり紹介したりしている( 攻殻機動隊 - 独見と偏談 )。今日触れるのはトップ画像の通り、「 戦闘単位としてどんなに優秀でも同じ規格品で構成されたシステムはどこかに致命的な欠陥を持つことになるわ。組織も人も特殊化の果てにあるものは緩やかな死 」という台詞だ。

フランス人権宣言から230年、未だに続く搾取

 これは「 Karikatur Das Verhältnis Arbeiter Unternehmer 」、1896年ドイツの、 資本家が労働者を搾取する様子を描いた風刺画 である。労働者から搾り取った金を貯める容器には、Sammel becken des Kapitalismus / 資本主義の収集用盆 と書かれている。1700年代後半に英国で産業革命が起こり、それ以降労働者は低賃金/長時間労働を強いられることになる。1890年代は8時間労働制を求める動きが欧米で活発だった頃だ。因みに日本で初めて8時間労働制が導入されたのは1919年のことである( 八時間労働制 - Wikipedia )。

話が違うじゃないか

 西麻布に Space Lab Yellow というナイトクラブがあった。 一昨日の投稿 でも触れたように、日本のダンスミュージックシーン、特にテクノやハウス界隈では、間違いなく最も重要なクラブの一つである。自分が初めて遊びに行ったクラブもこのイエローで、多分六本木/西麻布界隈に足を踏み入れたのもそれが初めてだったと思う。

馬鹿に鋏は持たせるな

 日本語には「馬鹿と鋏は使いよう」という慣用表現がある。 その意味は、  切れない鋏でも、使い方によっては切れるように、愚かな者でも、仕事の与え方によっては役に立つ( コトバンク/大辞林 ) で、言い換えれば、能力のある人は、一見利用価値がないと切り捨てた方が良さそうなものや人でも上手く使いこなす、のようなニュアンスだ。「馬鹿と鋏は使いよう」ほど流通している表現ではないが、似たような慣用表現に「 馬鹿に鋏は持たせるな 」がある。これは「気違いに刃物」( コトバンク/大辞林 :非常に危険なことのたとえ)と同義なのだが、昨今「気違い」は差別表現に当たると指摘されることが多く、それを避ける為に「馬鹿と鋏は使いよう」をもじって使われ始めたのではないか?、と個人的に想像している。あくまで個人的な推測であって、その発祥等の詳細は分からない。