No Doubt / ノーダウトは、主に1990年代に活躍したカリフォルニアのスカパンクバンドだ(No Doubt | Official Site)。日本でも相応の人気を博したバンドだが、日本では、原宿系カワイイカルチャーを好み、Harajuku Girls や What You Waiting For?、Rich Girl など、それをテーマにした曲を個人名義でリリースしている、ボーカルのグウェン ステファニーさんの方が有名かもしれない。
トップ画像に使ったのは Tragic Kingdom というアルバムのジャケットで、トラジックキングダムは1995年にリリースされた彼らの出世作だ(Tragic Kingdom - Wikipedia)。
厳密に言えば、彼らを一躍有名にしたのはトラジックキングダムの前にリリースした The Beacon Street Collection だが、それはインディーズ時代のシングル集であり、オリジナルアルバムとしてはトラジックキングダムが出世作と言えるだろう。同アルバムからは複数の曲がシングルカットされ、ヒットにも恵まれた。
Tragic Kingdom とは日本語に直すと「悲劇の王国」である。アルバムの名称は、ギタリストの学生時代の先生が、彼らの育ったカリフォルニア州アナハイムにあるディズニーランドをそう呼んだことに由来するらしい。またトラジックキングダムはアルバムの最後の曲のタイトルでもある。その歌詞は中世ファンタジーの世界観を感じさせる内容で、どことなく、盲目的に王の権威を信じる民衆、虚像の王国、というニュアンスを感じさせる。
現在の日本は王国ではないが、今の状況にこの「悲劇の王国」を連想したので、今日の投稿のトップ画像と冒頭の話題にノーダウトのトラジックキングダムを選んだ。昨日の投稿、一昨日の投稿でも書いたように、横浜港に停泊中のクルーズ船では最早悲劇という状況が生まれ、政府の杜撰な管理体制を裏付ける話が次々と明らかになっている。昨日は
という話が新たに明らかになった。
また新型コロナウイルスに関する件だけでなく、桜を見る会の問題、法の趣旨に反する東京高等検察庁の検事長の定年延長の問題等でも、政府側の合理性を書いた説明が続いており、それらについて今月は何回も投稿を書いてきた。また、メディア報道の在り方、特にテレビ報道の酷さについても何度も指摘し、2/18の投稿では、テレビ報道はもう救いようがないレベルに達している、とさえ書いた。
週明けにどこかの政権支持率調査結果が発表されるかもしれないが、現時点での最新は先週末(2/15-16)に行われた調査結果で、各社とも支持率低下が見られるものの、それでもまだ40%前後の支持率があるのが実状だ(安倍内閣支持率が軒並み低下、新型肺炎対策「評価しない」半数-調査 - Bloomberg)。
週明けにどこかの調査結果が発表されるとして、その結果が先週と同様ならば、まさに今の日本は「悲劇の王国」と言わざるを得ない。 2/21の投稿でも書いたが「今できる最善の対応は、我田引水が過ぎる司令塔を今すぐに変えること」である。舵取りは舵取り能力のある者に任せるべきだ。運転免許証を持たない者に運転を任せるわけにはいかないし、認知症の恐れがあるなど、運転能力を著しく欠いている恐れのある者の運転免許をそのままに、運転の仕方の不備を指摘するだけでは適切な対応とは到底言えない。
相変わらずメディア報道の他人事感が漂っているのも「悲劇の王国」を連想する理由の1つで、例えば検事長定年延長問題について、東京新聞は「首相答弁 信頼性揺らぐ 事前解釈変更、証拠なし 検事長定年延長」という見出しの記事を掲載している。
東京新聞は、産経新聞や読売新聞とは違い、現政権に対して批判的な論調の記事が多いが、それでもこの内容で「首相答弁 信頼性揺らぐ」という見出しを付けているのだ。
信頼性が揺らぐ?これ以前から常に安倍氏の答弁は、抜ける寸前の乳歯以上にグラグラだ。アウトとハッキリ言っても分からないような輩に対して何を甘いことを言っているのだろうか。こんなことだから正直者が馬鹿を見ることになる。
またNHKは、「定年延長問題 検察内部からも説明求める声「信頼疑われる」」 という記事を掲載している。
NHK報道、特に政治報道にはもう何も期待していないし、信憑性も最早感じていない。単なる大本営発表忖度広報機関だと思っている。だからこの手の見出しや記事内容にも何の不思議もない。
記事には、
東京高等検察庁の検事長の定年延長をめぐり全国の検察幹部が一同に集まる会議では現職の幹部から「検察への信頼が疑われる」などとして国民に経緯を説明すべきだという意見が出たとある。今更「検察への信頼が疑われる」?いやもう結構前から信頼してない。検察関係者は認識が甘すぎる。そういうことはもっと前に主張・指摘するべきだった。若しくは「失われてしまった」と断定した見解を示すべきだ。
コロナ騒動をきっかけに、やっと政権の姿勢に懐疑的な主張が、これまで見られなかった各所から出始めたこと自体は歓迎するが、それでも深刻さが適切に認識できていない人もまだまだ多いのではないだろうか。
薬局チェーン大手のコクミンドラッグは、品薄状態のマスクを他の高額商品とセットで販売する、「抱き合わせ商法」をしていたことを認めたそうだが、
「利益を求めるゆえの戦略だったのか」と聞いたところ、明言はしなかったものの、「販売方法を工夫しようという一環で店長が指示をした」とした。そうだ(コクミンドラッグ、品薄マスクを高額商品とセットで販売。「販売方法を工夫しようという店長の指示だった」広報明かす | ハフポスト)。なぜ、「販売方法を工夫して、不安に乗じてボロ儲けしよう」という一環だったと素直に認められず、微妙に矮小化して恰好をつけようとするのか。
何度も放言/暴言を繰り返し、その度に「誤解を与えたなら謝罪し撤回する」と言い、そしてまた同じ事を繰り返すジジイがこの国の副総理大臣の席に居座っている(1/14の投稿)。また首相も、何度も国会審議中にヤジを飛ばしては、口先三寸の謝罪を繰り返す人物である(2/18の投稿)。
失敗や深刻さの度合いを適切に認識できなければ、同じ事を再び繰り返すことになるのは、この二人が強く物語っている。
そんな者に7年以上も国を任せているのだから、この国はやはり「悲劇の王国」と言っても決して間違いとは言えないだろう。