何故か最近、約1年前に書いた「誠実な見出しの重要性、大袈裟な見出しは信頼を損ねる」という投稿のアクセスが増えている。このブログは月間アクセス数が1万に届かない零細ブログなので、書いてから1ヶ月も経てば、記事の大半はアクセスがほぼゼロに等しくなる。それでも、何かの拍子に再びアクセスが増える記事が一部にはあり、前述の記事はそのような例の1つで、先月末あたりからアクセスが復活し始めた。
掻い摘んで説明すると、当該記事はタイトルの通りの内容で、記事の内容にそぐわない見出しを付けることは、見出しに興味を惹かれて記事を読んだ者に「読んで損をした」という感覚を与えかねず、当該メディア全体への信頼感が損なわれることにもなりかねない、ということについて書いた。
勿論何事にも例外があって、例えば東京スポーツは大袈裟、事実に即しているとは言い難い見出しを大々的に掲げることで有名なスポーツ新聞だが、東京スポーツがそのような傾向にあることは多くの人が把握しており、読者にも寧ろ大袈裟な見出しを楽しんでいる側面がある。しかし視点を変えれば、東京スポーツの大袈裟な見出しは真に受けてはいけない、つまり信用するに足りないものと認識されているとも言え、やはり大袈裟な見出しを用いることは、その媒体の信頼性に関わる、ということに違いはない。
前述の投稿で書いたのは大袈裟な見出しの危険性のような話だったが、逆に過小な見出しにも危険性はあるし、記事の中の複数の要素から何故それを見出しに据えたのか?と感じられるような、妥当性の低い見出し、記事内要素の重要度を見誤った見出しにも問題性はある。つまり、記事の見出しには正確性と妥当性が求められる。正確性と妥当性に欠ける見出しは、その記事を掲載した媒体の信頼性に関わる、というのがより正確だろう。
昨日の投稿の中でJNN(TBS)が行った世論調査に触れた。 この投稿で注目するのはその調査に関するTBS NEWSの報道だ。TBS NEWSは先週末に行ったJNN世論調査を報じるのに「JNN世論調査、一斉休校の要請「評価する」68% TBS NEWS」という見出しを掲げた。
次の映像は同記事に掲載された映像で、3/9の昼のニュースでも同じ映像を使用していた。
この映像からも分かるように、3/7-8の行ったJNN世論調査の中から、TBS NEWSは
- 内閣支持率 48.9%(-0.9%)
- 感染拡大による経済への不安感じる 92%
- 政府の感染防止策評価しない 50%
- 一斉休校要請評価する 68%
- イベント自粛必要 87%
- 五輪開催すべき 49%
- 検事長丁寧延長反対 60%
- 桜を見る会問題首相の説明納得しない 76%
つまり、感染防止対策全体としては評価されていないという結果だったにもかかわらず、感染防止対策の一つとして行われた全国一斉休校の要請だけに注目した設問をクローズアップして、記事全体の見出しにするということは、「政府の対応が評価されている」という印象を醸成したい意図があるのでは?と感じてしまう。
あくまでも個人的な評価ではあるが、この記事の見出しは誠実性に欠けていると考えている。「評価されている」という印象を作り出す為に、一部を恣意的に切り取った見出しに思えてならない。
更に言えば、感染防止対策全体では「政府の」としているのに、一斉休校については「安倍首相の」としている点にも恣意性を感じる。確かに一斉休校要請については、安倍氏がほぼ独断で決めた、という報道がされているので、実際には「安倍首相の」でも間違いではない。しかしこの動画で用いられている表現は、調査の設問をそのまま使ってはおらず、政府全体としての対応は評価されていないが、安倍氏が決めた対応は評価されている、というニュアンスを醸し出そうとしている、という意図も感じられる。
記事の見出しが「政府対応評価しない、50%」だったら、そうは見えなかったかもしれないが、見出しに恣意性を感じる所為もあって、そのような意図を感じてしまう。
NHKの記事「新型コロナウイルス G20が協調した対応の可能性 麻生財務相 | NHKニュース / インターネットアーカイブ」にも恣意性を感じずにいられない。
この記事は、麻生氏が3/10の財政金融委員会で、新型コロナウイルスの感染拡大に対するG20の対応について、「アメリカを含めてまとまりつつある」と述べ、各国が協調した対応を取る可能性もある、という認識を示したという内容だ。しかし注目すべきはその点ではなく、記事の最後にある
また麻生副総理は新型コロナウイルスについて、「武漢発のウイルスの話で、新型とかついているが、『武漢ウイルス』というのが正確な名前だと思う」と述べました。という記述だ。
3/3の投稿で、WHOが「名前がいわれのない差別や偏見に利用されることを防ぐことが重要だ」として、COVID-19という名称を設けたこと(新型コロナウイルス感染症の正式名称は「COVID-19」。もう“武漢の肺炎”と呼んではいけない理由がある | ハフポスト)を全く無視し、自民・山田 宏議員が国会での質問の中で「日本と韓国の対応の所為で感染が蔓延していると言われかねないので、どこに原因があったかを明確にする為、私は新型コロナでなく武漢肺炎と呼ぶ」という旨の発言をして、武漢肺炎と連呼したことを取り上げた。
国会議員が偏見を煽ると強く懸念される主張を国会で繰り広げた、という、日本人として恥ずべき行為なのに、大手メディアでは殆ど取り上げられておらず、そこに日本全体が偏見や差別に疎いことが滲み出ている、ということも3/5の投稿で書いた。
あまりにも酷い発言をしているし、これまでの暴言・放言から彼らに対して敬意を示す気には全くなれないので呼び捨てにする。麻生が言っていることは前述の山田と全く変わらない。国会議員が差別や偏見を煽るだけでも大問題なのに、しかも彼は日本の副総経理大臣だ。なのになぜNHKはそれには注目せずに、記事の最後に添え物のように書いただけなのか。見出しにして報じる程の問題発言という認識がないことに、最早怒りすら感じる。
視点を少し変えると、添え物のようにでも一応そのことが書かれたのは、現場の記者は書きたかったが、上部からそのようなことを書かさないような、強調するなというような圧力があるのではないか?とも感じられる。そんな空気の中で、苦肉の策として添え物のようにこのことが書かれた、という可能性もあるかもしれない。
しかしもしそうだったとしても、
NHKが全体として、副首相が偏見や差別を煽りかねない主張をしても問題視しない媒体
であることは明白であり、それが受信料を強制的に徴収して運営されている日本の公共放送機関の姿勢なのだから、これも同時に日本人として恥ずべきことだ。今でも一部にまだ良心が残っていると思える報道をする番組もあるが、それでも日本のテレビは全般的に信頼に値しない、それらのメディアによる世論調査も「世論」調査ではないかもしれない、世論操縦をしている恐れが強い、という疑念を拭うことが出来ない。
トップ画像は、Photo by Markus Spiske on Unsplash を加工して使用した。