もう今年は2020年で、昭和が終わった1989年から既に30年以上が経過しているにも関わらず、「昭和か!」と思うようなことが、未だにまだまだ日本社会には溢れている。例えばサザエさんの復刊を記念して100日限定で1日1本4コママンガを掲載している公式ツイッターアカウントが、1956年10/27に朝日新聞に掲載された、男尊女卑がテーマの4コママンガを、つい先日ツイートしていたのだが、その内容は今でも全然通用してしまう。
<82日目>
— 100日サザエさん (@sazaesan68) October 27, 2020
1956年10月27日「朝日新聞」掲載
『サザエさん』25巻34ページ#100日サザエさんhttps://t.co/TYYWpb8j4h pic.twitter.com/swhGWWVPDS
このマンガが掲載されてから64年、既に半世紀以上が経過し、その間に男女雇用機会均等法や男女共同参画社会基本法、候補者男女均等法が成立したり、女子差別撤廃条約を批准したりしているのだから、本来、今このマンガを読んだら「そんな時代もあったねぇ」という感覚にならなければならないはずだが、今読んでも恐らく当時と変わらない「いるいる、そんな男」という感覚が湧いてくるのだから、日本社会は半世紀以上進歩がない、若しくは一旦進歩はしたが再び退化した、と考えるのが妥当だろう。
「昭和か!」というのは、男尊女卑傾向からだけではなく、10/30の投稿で取り上げたような同性愛者や外国人への偏見や差別からも感じるし、未だに社会のあちらこちらに蔓延る連帯責任もそう感じる要素の1つだ。10/17、複数の部員が寮内で大麻らしき薬物を使用したことを理由に、東海大学が硬式野球部の無期限活動停止を発表した。
東海大「複数の硬式野球部員が寮内で大麻らしき薬物使用」と発表 - 毎日新聞
「うわ、まだ連帯責任やってるよ、使用した部員だけを処分すればいいはずなのに」としか言いようがない。東海大野球部が組織的に大麻を売りさばいたとか、概ね部員全員が知ってたのに黙認していた、のような状況であれば、部全体の活動停止にも合理性が出てきそうだが、そんな話は示されておらず、複数部員の大麻使用を理由に部全体の活動停止するならば、それは理不尽な連帯責任の強要としか言えない。一部部員の不法行為に対して連帯して責任を負うべきは顧問や部長などの管理監督責任者であるべきで、他の部員に責任を負わせペナルティを課すのはあまりに不合理だ。
連帯責任の不条理については、これまでにもいくつも投稿を書いてきた。
「巻き添え / とばっちり / 連帯責任」で触れた、ピエール瀧さんの薬物使用を理由に、彼が石野 卓球さんと組んでいるユニット・電気グルーヴの楽曲等の公開/販売をレコード会社が自粛したが、電気グルーヴの楽曲の大半はピエール瀧さんではなく石野卓球さんが作ったものであり、本来ペナルティを受けるいわれのない石野 卓球さんの収入が不当に奪われた、というのは、まさに連帯責任の不条理の典型的な例だろう。
小説や漫画等作者がほぼ限定される作品であれば、社会的制裁を科すという意味合いで作品公開/販売の自粛というペナルティを課すことにも合理性はあるかもしれない。しかし楽曲や映画等は複数の関係者が関わっているものが多く、関係者の1人が不祥事を起こしただけで作品の公開/販売を自粛するのは、全ての関係者に連帯責任を不条理に課す行為と言えるだろう。
ピエール瀧さん/電気グルーヴの件以前から、関係者の不祥事による過剰な自粛は如何なものか、という話があったものの、レコード会社や映画会社などは方針を改めようとしなかった。だが、石野 卓球さんがSNS等で前述の不条理を訴えたことがきっかけだったのか、その後少しずつ方針が改められ始めたようにも思える。
10/29、俳優の伊藤 健太郎さんが車でUターンしようとした際に、反対車線を直進してきたバイクと衝突して運転者らにけがをさせたが、その場から車で立ち去った為、ひき逃げの容疑で逮捕された(俳優の伊藤健太郎容疑者を逮捕 ひき逃げ疑い、2人けが―「パニックに」と供述:時事ドットコム)。逮捕当日に放送予定だったフジテレビ「アウト×デラックス」は、事前に収録していた伊藤さんの出演回を放送する予定だったが、急遽内容を変更し、当日収録した回を放送したようだが(伊藤健太郎容疑者出演予定の「アウト×デラックス」緊急収録で放送 矢部「扱えないアウトもある」― スポニチ Sponichi Annex 芸能)、伊藤さんが出演する映画、10/30公開の「とんかつDJアゲ太郎」、11/6公開予定の「十二単衣を着た悪魔」は、再編集などもせず予定通り公開/上映した・するそうだ。
「個人の罪と作品は違う」伊藤健太郎さん主演『十二単衣を着た悪魔』予定通り公開との発表に様々な声 | ハフポスト
フジテレビなのか同番組のスポンサーなのかは分からないが、相変わらず感覚が古いとしか言いようがないし、映画を予定通り公開する、なんてことをわざわざ発表しないといけない状況、そんなことに記事化する価値がある社会は異様だ。ただ、少しづつではあるが傾向に変化が生まれていることは喜ばしい。喜ばしい?当たり前のことが当たり前になりつつある、つまりやっとマイナスからゼロになることが喜ばしいというのも変ではあるが。
ORICON NEWSは伊藤さんの件に関連して、とんかつDJアゲ太郎の舞台挨拶での北村 匠海さんのコメントを記事化している。
北村匠海、主演作公開も複雑胸中「不安な気持ちがある」 “共演”伊藤健太郎容疑者の逮捕を受け | ORICON NEWS
まずは本当に無事、映画が公開できたことと、正直『この映画をフラットに見てくれる人がどれだけいるのか』という不安な気持ちがある。僕もきょうここに立つことが少し怖かったり、いろんな思いがある
北村さんら共演者を不安にさせたのは、当然不祥事を起こした伊藤さんである。だが、出演者や関係者が1人でも不祥事を起こすと、連帯責任を課すかのように出演作品/関係作品までも自粛させようとする人や、それに屈して自粛する映画会社やレコード会社や出版社、更にはそのような風潮を煽る記事を書くメディアだって、彼らを不安にさせている、させてきたと言えるのではないか。
そもそも関係者が不祥事を起こさないことがベストではあるが、不条理な連帯責任がまかり通るような社会でなければ、共演者や関係者が不安を感じることもないはずだ。
このような側面から見ると、連帯責任の不条理な強要とレイシズム・属性による偏見や差別には共通点がある。例えば、イスラム教徒の一部に原理主義者や過激派がいることをきっかけに盛り上がりを見せた反イスラム傾向は、一部のイスラム教徒が犯罪を犯したことによってイスラム教徒全体に連帯責任を課すのとほぼ同じだ。在日ベトナム人の一部が家畜の盗難を犯したことを理由に「これだからベトナム人は」とか「外国人を入れるな!」なんて言うのも、在日ベトナム人や外国人全般に不当に連帯責任を課すのとほぼ同じだろう。
一部の部員が不祥事を起こしたことを理由に、部全体の活動を停止するということは、不祥事を起こしていない部員も含め部全体へのレッテル貼りを加速させかねない。責任の所在を明確化する為にも理不尽な連帯責任は止めるべきだ。特に東海大学のような件は、顧問や部長、そして学校側など本来責任を負うべき者が、自分達の責任を他の部員たちに転嫁しているようにすら見えるし、それは一人の関係者が不祥事を起こしたことで、作品を自粛する映画会社やレコード会社や出版社などにも同じ事が言えるのではないか。
責任を負うべきは当事者と管理監督者であるべきで、不合理な連帯責任でその責任を他へ転嫁してはならない。
トップ画像は、Samir Basante ValenciaによるPixabayからの画像 を使用した。