自由。他からの強制・拘束・支配などを受けない、自らの意思や本性に従っていることをいう(自由 - Wikipedia)。トップ画像に用いたのは、フランス19世紀の画家・ドラクロワが、フランス革命を題材に描いた「La Liberté guidant le peuple / 民衆を導く自由の女神」である(民衆を導く自由の女神 - Wikipedia)。
フランス革命については11/10の投稿でも触れたが、法の下の平等、経済的自由、人民主権、権力分立などを市民が求めて起きた、フランス革命の基本原則として示されたフランス人権宣言は、現在の民主主義/自由主義国の土台を担うもので、人間の自由と平等、人民主権、言論の自由、三権分立、所有権の神聖など17条からなる。
他者の権利を侵害しない限り自分の意のままに振舞うこと、つまり自由、を標榜する政党が日本にある。その名も「自由民主党」だ。だが、その自民党に所属する議員や、その支持者たちは果たして自由や民主の意味を理解しているのかはかなり怪しい。そう思って書いたのが6/28の投稿「自由を尊重もしないし、民主的でもない党なのに自由民主を名乗る党」や、9/2の投稿「現在の日本の与党は寡頭統制党」だった。そしてまた、自民党と所属政治家や支持者らが「自由」の意味を分かっていない、分かった上で無視しているとしか言いようがない話が出てきた。
近年、選択的夫婦別姓制度を求める機運が明らかに高まっているが、自民党はこれまで「国民の間にさまざまな意見がある」などとして、その議論に消極的だった。今年・2020年の通常国会では、国民民主党の玉木代表が衆院代表質問で選択的夫婦別姓の導入を主張した際に、「それなら結婚しなくていい」というヤジを飛ばす議員まであらわれた(1/27の投稿)。
一方で、選択的夫婦別姓制度導入に賛成する人は既に70%を超えている。
「選択的夫婦別姓」賛成が7割以上|TBS NEWS
結婚前の姓を名乗れる選択的夫婦別姓 7割が「賛成」 | NHKニュース
しかも、昨日今日急に賛成派が増えたわけではなく、数年前からずっと賛成が反対を上回っており、特に選択的夫婦別姓制度を必要とする率の高い女性に限って言えば、反対よりも明らかに賛成派の方が多い(夫婦別姓、安倍首相が「孤立」? 自民支持層が示した「意思表示」)。
因みに、11/13の投稿で指摘したように、自民党政権は「憲法改正の議論をしないのは思考停止だ」と言っていたが、選択的夫婦別姓の議論をこの期に及んでしないのであれば、「自民党は思考停止している」と当然批判されることになる。彼らが如何に詭弁屋であるかはこの点からも明白だ。
選択的夫婦別姓とはその字面が示すように、必要であれば別姓を「自由に」選択できる制度であり、従来のように夫婦同姓を望む者は同姓を「自由に」選択できる制度でもある。つまり現在の強制的に同姓を強いられる制度は、選択的夫婦別姓に比べて自由、自分の意のままに振舞うことを制限する制度であることは明白だ。
にもかかわらず、自由を標榜する自民党の議員らが、選択的夫婦別姓に反対する議連を立ち上げるそうだ。
選択的夫婦別姓に異論 自民有志、25日に「絆」議連設立へ - 産経ニュース
実際には、記事には「選択的夫婦別姓に反対する議連」とは書かれてはいない。だが、
自民党の有志議員が、家族や地域社会の絆を重視する議員連盟「『絆』を紡ぐ会」(仮称)を設立することが17日、分かった。
地域社会の絆、家族の絆など、わが国の更なる発展のための政策を検討すべく設立する
夫婦別姓をめぐっては、稲田朋美前幹事長代行や橋本聖子男女共同参画担当相らが導入に前向きな姿勢を示している。議連は、子供の姓をどちらにするのかで家庭内で混乱や対立が生じる事態などを危惧。旧姓の通称使用の拡大などを検討する方針だ。
とあり、つまり「(選択的夫婦別姓よりも)家族や地域社会の絆を重視する議連」、言い換えれば「選択的夫婦別姓に反対する議連」、優しく言っても「選択的夫婦別姓をあの手この手で否定したい議連」であることは間違いない。
自由を標榜する党に所属するのに、支持しているのに、個人の自由よりも家族や地域の絆を重視する、なんて本当にどうかしている。日本語の意味を理解していないとも言えるのではないか。家族や地域の連帯は重要でないなんて言わない。だが、家族や地域の同調圧力に苦しむ人も決して少なくない。そんなことを勘案すれば、彼らの主張ははまさしく個人の自由を抑圧する全体主義的に見える。
「姓が異なると絆が失われる」人がいてもおかしくはない。そう考える人も当然いていい。そんな人達はこれまで通り夫婦同姓を選択すればいい。つまり絆云々という理由から選択的夫婦別姓を否定することは、「日本人全てが姓が異なると絆が失われる、守れない人」であると言っているも同然だ。中国や韓国などのように伝統的に夫婦別姓の国もあるが、それらの国では家族や地域の絆はないのだろうか。近年選択的夫婦別姓を導入した国で家族や地域の絆が失われているという、何か具体的なデータ等根拠があるのだろうか。もし根拠もなく「姓が異なると絆が失われる」と言っているなら、それはそれらの国や地域の人達への蔑視である。そうではなく「それらの国の人達は姓が異なっても絆を守れるが、日本人には無理」と言っているなら、それは明らかに日本人を馬鹿にしている。もし後者であればそれは、一部の人達の言う「反日」的な主張ではないのか。
そもそも伝統的な家族観などと言うが、日本で姓を名乗ることが庶民に許されたのは近代以降であり、近代以前の、姓を名乗れず同姓になれなかった日本の庶民、つまり日本人の大半には家族や地域の絆がなかったと言うのだろうか。自民党の政治家と支持者が信じてやまない、最も尊ぶ天皇家には姓がなく、姓が異なる以前の状態なのだが、「姓がないので天皇家は家族の絆が希薄、もしくはない」と言いたいのだろうか。
このように、何重にも筋の通らないことを言っているのが、自民党の家族や地域社会の絆を重視する議員連盟「『絆』を紡ぐ会」(仮称)に参加する政治家、そしてその支持者としか言いようがない。