豆腐の角に頭をぶつけて死んでしまえ、という言い回しは、四代目橘家円喬の演目・情死の情死(心中の心中/花見心中とも)に出てくる「生きていたって甲斐性がない奴は豆腐の角へ頭をぶつけて死んでしまった方がいい」という、落語の言い回しからきた言葉なのだそうだ(心中の心中 しんじゅうのしんじゅう 演目 落語あらすじ事典 web千字寄席)。
自分がこの言い回しに触れた最初は、The Blue Hearts の曲・ダンスナンバーの歌詞、
君の事笑う奴は トーフにぶつかって死んじまえ
だったと思う(ダンスナンバー_the blue hearts - YouTube)。「豆腐の角に頭をぶつけて死んでしまえ」という言い回しについて、noteにその考察があった。
豆腐の角に頭をぶつけて死ぬには340m/sの速さが必要らしい|平木隆太|note
この投稿で触れているのは、秒速340mの速さでぶつかれば豆腐にぶつかって死ねる、という計算だが、自分もブル―ハーツの曲を聞きながら、どうやったら豆腐に頭をぶつけて死ねるかを考えたことがあり、辿り着いたのは、モービルのエンジンオイルのCM「バナナで釘が打てます」だった。
1977年CM エクソンモービル モービル1 バナナで釘が打てます - YouTube
これはモービル1エンジンオイルの不凍性をアピールする内容で、-40度でも凍らずに潤滑性を保てると訴えている。 で、「-40度の世界ではバナナで釘が打てます」と、あんなに柔らかいものでもカチンコチンになることを比較対象にしている。
柔らかいバナナでも-40度で冷凍すれば釘が打てるほどに固くなるなら、豆腐だって冷凍すれば鈍器になり得るのでは。推理小説のトリックでも凶器に氷柱が用いられることがあったりするし、水分を多く含む豆腐も冷凍すれば想像通りに固くなるのではないだろうか。「角に頭をぶつけて」とあるので、国語辞典サイズ程度の大きさの豆腐を冷凍するのがよいかもしれない。
そんな風に大真面目に考えること自体が、「豆腐の角に頭をぶつけて死んでしまえ」の思う壺かもしれない。何故なら「豆腐の角に頭をぶつけて死ねの意味や定義 Weblio辞書」によると、これは、
「死ね」という罵倒表現を冗談めかして滑稽に述べる言い方。落語に由来する。冗談を冗談と受け止められないようなつまらない人間を揶揄する(明白な冗談であるが真に受けてしまえという意味を込めた)言い回し
だそうで、つまり冗談を真に受ける奴は間が抜けている、というニュアンスが込められているらしいからだ。
しかし昨今、大真面目に「豆腐の角に頭をぶつけて死んでしまえ」のような人、冗談のような話を大真面目に言う者があまりにも多い。特に為政者に。前首相の安倍の「募ったが募集してない」などもその類だし(1/29の投稿)、それで充分に説明を果たしていると評価する自民党やその支持者も同様だ。学術会議任命拒否に関する菅の説明も、同様に全く冗談のような、というか冗談にもならないよな矛盾だらけの間の抜けた話を、大真面目に言い張っているのだから「豆腐の角に頭をぶつけて信じまえ」の類である(11/25の投稿)。7月に「旅行自体が感染を起こすことはないですから、もしそれが起きていれば日本中は感染者だらけ」と言っていたのに、感染者が増え始めたら「人々の動きと接触を短期間で集中的に減らすことが、感染の沈静化には必須」などと言い始めた、政府お抱え専門家の尾身も同種である(12/7の投稿)。「コロナ議論の充実を」と言いつつ、国家会期延長を拒む所属政党には何も言わない野田 聖子らなどもそうだ(12/6の投稿)。
こんな落語の与太話ネタみたいな人達が権力を握っている、そして有権者がそれを容認しているんだから、日本一億総「豆腐の角に頭をぶつけて死んでしまえ」みたいな状況である。またおかしいのは中央だけでなく、大阪や神奈川、名古屋なども、豆腐の角に頭をぶつけて死んだほうがいいような者を知事に選んでしまっている。それは東京も同様で、昨日はこんな話がでてきた。
豊洲市場、累計160人がコロナ感染 クラスターはなし [新型コロナウイルス]:朝日新聞デジタル
東京の豊洲市場で160人もの感染者が確認されたのだが、都の担当者は「感染経路が特定できないからクラスター(感染者集団)ではない」と言っているのだそうだ。感染時期が2週間以上離れていることも集団感染でない理由に挙げているそうだが、例えば感染者がいなかった全くの空白期間があるのなら、別系統からの感染の恐れもあるだろうが、160人もの感染があれば個々には間隔があっても、全く空白期間などないのではないか。
また最近は感染者のウイルスを分析することで、どこに由来した感染なのかをグルーピングできる(なぜわかった「同室で感染」 広がるコロナのゲノム解析:朝日新聞デジタル)。解析にかかる手間やコストの問題もあるだろうが、できることをやらずに「集団感染ではない」と言い張るのはあまりにも筋が悪い。
160人感染も集団感染ではない、はまさに、豆腐という柔らかいものに頭をぶつけて死ぬ、みたいな馬鹿馬鹿しい話なのだが、そんな冗談みたいな話を都の担当者が真顔で言い、都知事もそれについて「おかしい」と言わず、付け加えれば、それを取り上げたメディアも「明確に矛盾している」と指摘・批判しないのだから、まさに日本は一億総「豆腐の角に頭をぶつけて死んでしまえ」みたいな状況で、世も末だとしか言いようがない。この国は集団催眠にでもかかっているのだろうか。