言葉遊びとは、早口言葉や尻取り、回文、しゃれ、韻踏みなど、主に言葉の音に注目して行うゲームや遊戯、音の重なり等を重視した表現を指す表現である(言葉遊びとは - コトバンク)。いろは歌やドレミの歌などもその類だ。
音ではなく意味に注目した言葉遊びもある。例えば
- 今日は朝から夜だった
- どんより曇った日本晴れ
- 昨日生まれた婆さんが
- 八十五、六の孫連れて
- それをめくらが発見し
- おしがつんぼに電話した
- 遠い南の北極で
- 正義の味方の悪漢が
- 黒い白馬に跨った
- 一人の兵隊ぞろぞろと
- 曲がった道を一直線
- 前へ前へとバックした
のように。これは矛盾した表現を集めた言葉遊びの歌だ。その発祥はよく分かっていないようだが、自分は多分保育園で習った?ような気がする。いやいくら1980年代でも、めくらとかつんぼとかを、保育園で園児に教えることはないだろうから、多分その頃に友達か友達のお兄さんから教えて貰ったのかもしれない。
この歌には地域等によってバリエーションがいくつもあるようで、順序や表現などが異なるようである。例えば「今日は」ではなくて「その日は」だったり、「一人の兵隊」でなく「一人の警官」だったり、「昔々のつい最近」とか「全速力で急停止」、「真っ暗闇の月夜の晩」などが含まれていたり。
言葉遊びを話のフックにした投稿はこれまでにも何度か書いたな、と思い検索してみた。その最初は、このブログを書き始めて間もない2017年2/8で、南スーダン日報隠蔽問題に関して、当時防衛大臣だった稲田が「戦闘ではなく武力衝突(だからPKO部隊を撤退させる必要はなかった)」と言い張ったことに関してだった。
次は2018年10/23で、複数の中央官庁で障害者雇用数が水増しされていたことについて、水増しが意図的だったか否か、という話が出てきて、「意図的でなかった」という報告が検証委員会によってなされたことについて、そんなのは責任逃れの為の言葉遊びでしかないと指摘している。
その次からも安倍とその周辺の言葉遊びや、恣意的な言い換え、表現についてだ。2019年3/17は安倍が伊勢志摩サミットで「(現在の状況は)リーマンショック前に似ている」などと言って他の首脳を唖然とさせたこと、2019年4/23は主に「思考停止」について、2019年7/4は「印象操作」「就職氷河期世代を人生再設計第一世代と言い換えた」こと、その他にも酷い言い換えが複数あることについて、2019年9/2は「非正規労働者という呼称を使うなという政府の通達」「武器輸出三原則を防衛装備移転三原則と言い換え規制を緩めたこと」、2019年12/26は「北方領土と言わずに北方四島と呼ぶように」「努力する義務がある、終止符を打つとは言うが、返還を実現するとは言わない」など北方領土問題について、2020年7/12は「先制攻撃を自衛反撃と言い換える」ことについて。
2021年1/29の投稿では、再び複数の恣意的な言い換えに触れていて、自民党幹事長 二階の「(ステーキ店で)8人で会っただけで、会食をやったわけではない」、元法務大臣 河井の「(金を配ったが)買収の意図はなかった」、実質的には休業の強制なのに「自粛要請、休業要請」という表現が平然と用いられていることなどに触れた。そして何と言っても典型的だったのは、桜を見る会に関連する公選法違反の問題に関して安倍が、
募ったが募集はしていない
と国会で発言したことだった。その後、一番最近では、3/29に「多用な働き方」「女性活躍」が如何に羊頭狗肉だったか、美辞麗句に過ぎないかに触れている。
どの件も、言葉による議論を生業とする政治家や、法に則って国家の運営を担う官僚の発言としてかなり酷いが、中でも「募ったが募集していない」のインパクトの大きさは群を抜いている。あまりにも直球の矛盾過ぎて、それはなかなか超えられない。あまりにも稚拙すぎて前述の言葉遊び歌にも入れられない程だ。
「幅広く募ったが、募集はしていない」 桜を見る会 安倍首相、苦しい答弁続く 衆院予算委 | 毎日新聞
首相答弁でツイッター大喜利状態 「募る」と「募集」の違いをまじめに考えた:東京新聞 TOKYO Web
それに関するメディア報道も異様だった。ここに並べた2つの記事は論調に違いがある。後者の東京新聞の記事は「募るも募集も同じだ」ということに明確に触れている。しかし毎日新聞の記事はそれには触れず「苦しい答弁」としか書いていない。毎日の記事も決して肯定的ではないが、しかし「募ったが募集はしていない」は苦しい答弁程度なのか。明らかに直球の矛盾をしていることは誰が見ても分かる。「募ったが募集はしていない」は苦しい答弁ではなくデタラメ、赤点、失格レベルだ。
このレベルの話は、もう流石にそうそう出てこないだろうと思っていたのだが、昨日読売新聞がこんな記事を掲載している。
接種7月末完了と発表なのに「8月を勧められた」…100%でなくても「接種完了」とする自治体も : 社会 : ニュース : 読売新聞オンライン
改めて他の自治体の状況を調べると、100%に達しないのに「接種完了」としている自治体があることがわかった。接種を希望しない人も一定数いると想定されるからだ。そこで、市は「68%であれば7月末を完了とみてもよいのでは」と考え、完了を前倒しすることにした。
接種を希望しない人も一定数いることは事実であり、またその他にも接種出来ない理由のある人はいるだろうから、接種率100%でないと接種完了とは言えない、というのは厳しすぎる話ではあるが、それでも、最大で全体の68%しか完了するペースでしか接種を進められないのに、それで「接種完了と言い張れる」という自治体がある、という話である。その背景には政府が自治体に高齢者へのワクチン接種を7月中に完了しろとゴリ押ししていることがある。
この話には、安倍の「募ったが募集していない」程の直球の矛盾はない。しかし実際は「全部終わってはいないが完了した」と言っているようなものだ。
例えば、テレワークなどで仕事を家に持ち帰り、1週間後までにそれを仕上げるという状況で、仕事を進める上で何かしらの不備が発覚したり、資料が手に入らないなど、どうやってもその期間内に必要な手順が進められない要素があったりすることもあるだろうから、100%完全に仕上げられなくても、その9割程度を仕上げられたら「完全ではないが概ね完了した」と言うことはできるだろうが、この記事のニュアンスから伝わってくるのは「68%終われば100%終わったことにしてしまおう」だ。
もしノルマの68%しか達成していないのに、あたかも100%達成したかのように表現したら、間違いなく上司に叱られるし、取引先から請け負った仕事であれば、間違いなく取引を切られる。そういうことを政府や自治体がやろうとしている。
このように、政治の世界では日本語の歪曲が横行している。「盗んだが窃盗ではない」とか、「ナイフで胸を刺したが死ぬとは思わなかった」とか、「返済期限は過ぎたが返さないつもりはない」とか、そんな言い訳が通用しないとおかしい。いや、おかしいのはそんな言葉遊びも甚だしい言い訳が通用してしまう社会の方で、つまり、今の政治はおかしい、ということである。
トップ画像には、ひらがなブロックで遊ぶとらちゃん 2013/2/25 | Tatsuo Yamashita | Flickr を使用した。