川と川が合流する場所は世界中に無数に存在する。その中に、水質の異なる川が合流し、しばらく混ざり合わずに境目が見える場所、というのがいくつかある(2つの川の色が混ざることなく、見事なコントラストを織りなしている世界の11の川 : カラパイア)。トップ画像に用いたのは、ドイツ・パッサウで合流するイン川とドナウ川の写真だ。
トップ画像に用いた写真では少々分かり難いが、別の写真を見れば明らかなように、この場所は同種の地点の中でもさらに珍しく、2本の川ではなく3本の川が合流している。写真上側のイン川、その下のドナウ川、そして一番下のイン川、それぞれの間に2本の境界線が見える。
イン川とドナウ川の水質は大きく異なるのでその境界がハッキリと見えるが、ドナウ川とイン川の水質の違いは気にしていなければ見逃す程度でその境界は少し曖昧だ。ただ合流地点ではハッキリしているイン川とドナウ川の境界も、下流に行けば行くほど曖昧になり、やがては判別がつかなくなっていく。
全ての境界は曖昧である。地図上では一見ハッキリとしているように見える境界も、実際に行ってみると結構入り組んでいることがしばしばある。 一見綺麗に別れているように見える山形/新潟/福島の県境は、山形と新潟の県境に福島県が不思議な形でくい込んでいる(標高2000メートルの盲腸県境と危険すぎる県境 :: デイリーポータルZ)。
また2020年2/28の投稿でも書いたように、一見真っ直ぐに見える線も拡大すれば直線でない場合が多い。その影響による微妙な取り合いの認識の差などによって、境界線を巡る争いが起きるという例は枚挙に暇がない。領土や領地など陸上でもそういうことはしばしば起きるし、特に全く物理的な目安のない領空や領海などは、入った入らないのいざこざが起きやすい。
程度の差はあれ境界が概ね曖昧なのはある意味で当然だ。何故なら、基本的に不完全である存在の人間が設定しているのだから。
しかし全ての境界は曖昧であるということに甘えてはいけない。全ての境界は曖昧で、微妙なグラデーション状態にあっても、そのグラデーションの外側にあるものも確実にある。
勿論例外もあるが、人間とは基本的に何にでも慣れてしまう生き物だ。例えば、一度万引きに成功してしまうと罪悪感が薄れ、繰り返せば繰り返す程平気になっていく。殺人も同じで、平和な社会の中で人を殺すのには様々な葛藤が生まれるが、戦争下で敵を殺さないと自分や仲間などが殺される状況に置かれたら葛藤は薄れるし、それを繰り返せば躊躇はなくなっていく。子供の頃からずっと銃やナイフを握らせられていれば、それを使うことへのハードルは、そうではない環境で育った者とはかなり差が出るだろう。
そのように、平和な社会では犯罪・道義的に許されないとされることであっても、環境が違えば人間は慣れてしまい、犯罪と非犯罪・道義的に許されることと許されないことの境界に疎くなっていく。
そういうことは平和な社会の中でも起きる。子どもに暴力的・性的なコンテンツを見せることは、基本的には好ましくないとされる理由もそれだ。子どもの頃から頻繁に、暴力的なコンテンツに無頓着に多く触れていれば、暴力的か否かの判断に支障をきたすことになるだろう。性的なコンテンツも同様で、エロ非エロの境界を判断する感覚が、社会一般的な感覚と乖離してしまう恐れがあり、最悪性犯罪に至るかもしれないという懸念があるからだ。
しかしこのようなことは子どもにのみ起きることではない。しばしば成人にも起きる。例えば、2019年11/6の投稿で触れた秋葉原の街頭巨大看板や、2020年2/15の投稿で触れた献血ポスターやJAポスターなどもその類だ。そのような件が近年あったにも関わらず、再びそんな事案が起きた。
沖縄県中城村公認 初代バーチャル観光大使・琉花 ツイート炎上にさまざまな声 - Togetter
ツイッター投稿を全削除 中城村公認Vチューバ-のツイートを村が謝罪「不適切だった」 - 琉球新報デジタル|沖縄のニュース速報・情報サイト
沖縄・中城村の広報のためのバーチャル観光大使が「 #私の容姿が性癖に刺さる人に届いてほしい 」というハッシュタグを使ったり「わからせおじさん」というエロ漫画用語を使ったSNS投稿をしていたという内容である。担当者は、エロアニメやエロゲ趣味が高じて、エロと非エロの境界が分からなくってしまったんだろう。
この件を目の当たりにして、18歳で大麻を覚え、「これはいいものだ!」という思いに取り憑かれ、親に本気で勧めてしまい、通報されて執行猶予になったバカな知り合いのことを思いだした。自分は大麻の使用自体は嫌悪しない。寧ろ肯定的ですらある。しかし所持が違法な状況では、その取扱いは慎重になるべきで、やっていいこととやってはならないことの境界はわきまえるべきだ。境界をわきまえられなかったからそんな結果になったんだろう。
中城村バーチャル観光大使の件も、担当者がエロと非エロの境界を適正に認識していたら起きなっかったであろう事案だ。
この事案に関してまだ「表現の自由云々」と強引に擁護している声があるが、彼らもまたエロと非エロの境界を的確に認識できていない人達だ。問題になったバーチャルキャラクターが、自治体の観光大使ではなくゲームなどの宣伝担当なら特に問題はない。勿論子ども向けのゲームなら多少の問題にはなっただろうが、成人向けゲームなら全く問題にならなかったのではないか。しかし自治体の観光大使なのだから、エロとかわいいの微妙なラインはしっかりと見極めなくてはならない。つまりこの件の擁護に「表現の自由」を持ち出すのは、見当違いとしか言えない。
ぼうごなつこさんがツイッターへ投稿している #100日で収束する新型コロナウイルス シリーズの1/30の投稿に、
裏で政治を動かしているうちに、表と裏の区別が出来なくなってしまい、とうとう裏の世界の人が表に出て来たしまったという状態。
— matoudai (@NyMatoudai) January 29, 2021
自民党政治がいよいよ集大成を迎える
というリプライがあった。
もう数年前から、与党の傲りとか気の緩みと言われるような議員/事案が後を絶たない。昨日の投稿でも触れたように、昨年末に、コロナ感染拡大防止の為に政府として国民へ会食や外出などの自粛を要請している中で、首相の菅や自民党幹事長ら二階がステーキ店で忘年会を行っていたことが発覚し批判を浴びたにもかかわらず、相変わらず会食や遊興をする与党議員が後を絶たない。中には、政治資金でキャバクラ通いをしていた者までいる(公明・遠山氏の秘書が政治資金でキャバクラ 役職辞任、自民・松本氏も:時事ドットコム)。
圧倒的な議席数を持つ与党というぬるま湯に浸かった結果、いや、有権者が、自民党や公明党そして大阪では維新などを、そんなぬるま湯に浸からせ続けた結果、やっていいこととと悪いことの境界をわきまえない政治家ばかりの党になってしまっている、というのが現実である。でなければ、こんなにも公選法違反/買収/贈収賄、そしてそれを隠す為の答弁拒否や虚偽答弁、更には政府と与党に不都合な文書やデータの改竄・捏造・隠蔽が、こんなにも横行することはないはずだ。
トップ画像は、File:Passau - three rivers.jpg - Wikimedia Commons を加工して使用した。