言語表現を生業にする職業はいくつかある。作詞家や小説家、広義で言えば漫画家を含む作家全般もその類だ。彼らは造語や既存表現の新たな解釈を作り出す場合もある。しかし一方で極力既存の解釈を尊重し、できる限り正規の表現を心掛けるべき職業もある。それは言語表現による議論等を生業とする政治家や、事実を正確に伝えることがその役割である、記者などの報道関係者だ。
その、本来既存の言語表現を極力尊重すべき人達によって、今日本語が次々と破壊されている。厳密に言えば、責任逃れや印象のすり替えの為に、複数の言葉の意味や解釈が捻じ曲げられている。
- 適材適所とは...(2018年11/21)
- 「真摯な受け止め」の陳腐化・言い逃れの為の常套句化(2019年4/21)
- 有効性を失いつつある表現「誤解」(2019年9/5)
- 日本語の破壊者(2019年10/21)
- 印象操作とは何か(2020年5/25)
など、これまでにも似た趣旨の投稿を書いてきたが、その傾向はとどまるところを知らず、更に拍車がかかっている。
前首相の安倍が、昨年懸案となった桜を見る会に関連する公選法違反の問題に関して「募ったが募集はしていない」という趣旨の発言したことは、未だに多くの人が覚えているだろう(2020年1/29の投稿)。政府与党にはこの手の下手くそな言葉遊びによる言い逃れが蔓延している。2017年に自衛隊の日報隠蔽問題が明るみになった際には、当時防衛大臣だった稲田が「武力衝突であり戦闘行為ではない」と説明した(2017年2/8の投稿)。また、現在裁判が行われている元法務大臣の河井 克行とその妻 安里の両議員によって行われた買収による公選法違反事件について、克行は「(金を配ったことは認めつつ)買収の意図はなかった」と言っている(河井克行前法相「買収の意図ない」 現金配布は政治活動と説明:東京新聞 TOKYO Web)。また昨年・2020年末に、コロナ感染拡大防止の為に政府として国民へ会食や外出などの自粛を要請している中で、首相の菅や自民党幹事長ら二階がステーキ店で忘年会を行っていたことが発覚したが、それについて二階は「(ステーキ店で)8人で会っただけで、会食をやったわけではない」と発言した(2020年12/28の投稿)。
自粛要請を行っている側である政府与党の政治家による会食は、その後も複数報じられている。
- 自民党の石破元幹事長、大人数会食に参加 「深くおわび」:時事ドットコム
- 12人がコロナ感染 二階派“秘書軍団”が「和歌山カラオケバー会食」 | 文春オンライン
- 与党議員、緊急事態宣言下で深夜まで外出 銀座のクラブなど 自民・松本氏、公明・遠山氏:東京新聞 TOKYO Web
- 自民・金田勝年元法相が高級ホテルで「4人会食」 本人直撃すると「2人」と“ウソ”【独自】 (1/2) 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)
休業の要請に応じない店や、入院を拒否した感染者に対する制裁を可能にする法案を、現在国会に提出し成立を目指しているのは政府与党だ。それらの罰則が必要ならば、会食や外出の自粛要請に応じずに遊興している政治家なんてのは、まさにその対象であるべきで、法案の妥当性を主張するなら、まずはそのような政治家らを処分してからにするのが筋だ。
最近は「休業の要請」という表現が主流になったが、以前は「営業自粛の要請」が主流だった。そして昨年の4-5月頃になされた緊急事態宣言の下で、営業自粛要請に応じない店舗名を公表するということが一部時自体や報道機関によって行われた。
「自粛」とは一体なにか。読んで字のごとく、自分から進んで行いや態度を慎むことを意味する(自粛とは - コトバンク)。つまりそもそも、要請が行われ休業するなら、それは厳密には営業自粛ではない。言うなれば営業の他粛である。しばしば「自主退学させられた」という話を耳にするが、それも実際には他主退学させらているわけで、単に「退学させられた」と表現するのが実情に即している。営業自粛の要請も同じであり、自粛という言葉が捻じ曲げられている。
更に、営業自粛要請に応じない店舗名を公表する、つまり営業自粛要請に応じない店に制裁を科すというのも、要請という言葉の意味を捻じ曲げている。「要請」とはなにか。要請とは - コトバンク によれば「必要だとして、強く願い求めること」である。つまり、要請に応じないと制裁が加えられるなら、それはもう要請ではない。強制・規制である。これは「休業の要請」でも同じことで、実態は強制・規制なのに、それを要請と表現することは、あからさまな羊頭狗肉・印象の操作だ。
新型コロナ: コロナ入院拒否は罰則 特措法・感染症法改正案を決定 : 日本経済新聞
政府は22日、新型コロナウイルス対策を強化するため新型インフルエンザ対策特別措置法と感染症法、検疫法の改正案を閣議決定した。営業時間短縮や休業の要請に従わない飲食店などに命令を出せるようにし、違反した場合の罰則を設ける。入院を拒否した新型コロナ患者への刑事罰も導入する。
政府や報道機関によって、自粛や要請の意味が捻じ曲げられている、というのがまさに現実で、言い換えれば、
政府や報道によって日本語が捻じ曲げられている、破壊されている
とも言える。
更に酷いことに、自民 松本、公明 遠山らが女性が接客する所謂クラブなど3店舗で会食や遊興していた件に関して、大手メディアは宴会や会食・遊興などの表現を避け、外出・訪問という表現を使っている。前述の東京新聞の記事もその類だが、NHKは、
菅首相 与党幹部の「深夜まで飲食店訪問」で陳謝 参院予算委 | 新型コロナウイルス | NHKニュース
という見出して報じている。
恐らく「」をつけたことで「これは菅の言葉ですよ」という体裁なのだろうが、この見出しでは、菅が実態とは異なる表現を用いたことは伝わらない。寧ろ菅が用いた表現を肯定的に捉えているニュアンスが、見出しだけでなく記事からも感じられる。このような記事を書くから、NHK報道は信用ならないし、政府のプロパガンダに加担しているとすら感じる。それが強制徴収される受信料によって行われているのかと思うと、NHKなんて必要ないという気持ちにしかなれない。
現政府や与党・自民党の積極支持者には、「日本大好き」「日本人でよかった」のようなことをSNSのプロフィールに書いている人が多い。彼らは何故その大好きな国固有の言語を捻じ曲げている人、最早破壊していると言っても過言ではない人達に嫌悪感を持たないのだろうか。
彼らが大好きなのは決して日本ではなく自民党なのだ。最早宗教的で、自民党が絶対的に正しく、彼らの使う日本語こそが日本語だと思っているのだろう。そう解釈すれば、そんな矛盾の仕組みが説明できる。