話の筋道が論理的でないこと、論理が破綻していること、理にかなった根拠に基づかない話などを指す表現、非論理的。非論理的な話を展開する人が厄介なのは、論理を無視した思考を行うことを厭わない、というか寧ろ率先するタイプなので、論理的な説明が通用しない点だ。
ある仮説を提起し、それを立証する為に根拠を積み上げるという論じ方は決して珍しいことではない。寧ろセオリーの1つである。しかし非論理的なことを平然と言ってのける人の大半は、自分が立てた仮説への思い入れが強すぎる為、理にかなわない根拠をあたかも理にかなっているように論じ、その非論理性を指摘しても受け入れない。その種の人とは大抵議論なんてのは成立しない。
サッカーで言えば、ハンドリングを指摘しても「これは私の手ではない、神の手だ。だから反則ではない」と言い張るような人のいるチームとの間には、まともな試合が成立しないのと同じだ。
小籔千豊 森喜朗会長辞任に「変な切り取り方した報道の人も辞任せなあかん」 | 東スポのニュースに関するニュースを掲載
お笑い芸人の小籔 千豊は、2/12に出演したMBSのワイドショーで、オリンピック組織委会長 森の女性蔑視発言について、
僕も最初ネットかなんかで文字見たとき『あ、えらいこと言いはったな』と思ったんですけど、全文読んだら、たぶんみんな印象変わると思うんですよ
と発言したそうだ。小藪は更に、
別に今回だけじゃなくて、どっかの市長の発言も切り取ってバン!って出たら『えらいこと言うたんやな』と。でも全部のこと見たら『そらしゃあないわ』って人、多かったと思うんです。変な発言したから『おい責任とれ! 辞めろ!』っていう空気にするなら、変な切り取り方して、後任決まらへんような状態にした報道の仕方をした人も、辞任とかせなあかんのちゃうかなと
とも述べたそうで、つまりメディアが、ハッキリとは言っていないが、最初に報じた朝日新聞が、森の発言を部分的に切り取り、本質とは異なるイメージを作り出している、と言っている。東スポが小藪の発言を部分的に切り抜き、小藪の発言の本質とは異なるイメージ作り出していない限り、そうとしか解釈のしようがない。
小藪は本当に、2/4の投稿でも書いた、森の当該発言をしっかりと聞いた/読んだのだろうか。 2/5の投稿で書いた釈明になっていない釈明会見や、その直後の出演番組での発言など、ことの顛末をしっかりと理解しているのだろうか。全く理解しているとは思えない。
だが、森の発言を聞いて、その後の姿勢も理解した上で「アレは女性蔑視発言じゃない」と解釈する自由は誰にでもある。しかし、あの発言、その後の森の姿勢を見て「女性蔑視発言ではない」と解釈するのなら、そう解釈する者は読解力が著しく低い、曲解を平気でやる、と認識されることになる。つまり私は非論理的であると自ら証明してみせたも同然だ。
一発芸や見た目の奇抜さなどをウリにするタイプや、ダメ人間や所謂天然をウリにしているタイプの芸人が、私は非論理的である、読解力が著しく低いと自ら証明しても、勿論どんなことについてかにもよるが(差別や蔑視はそれでも許されない)、そんなに活動に支障はないかもしれない。
しかし小藪はその類の芸人ではなく、寧ろ喋りをウリにしているタイプであり、しかもワイドショーにコメンテーターとして出演するような立場にある。そんな話芸タイプの芸人が、私は非論理的である、読解力が著しく低いと自ら証明することは致命的で、自殺行為にも等しい。
因みにキリトリ報道とは、2/7の投稿で書いたような、意味が全く異なってしまうように部分的強調をすることを指す。小藪がキリトリだと言っていることは、全体を見ても意味が変わらないどころか、寧ろ当該報道は酷さの一部しか伝えきれていないと言っても過言ではなく、全くキリトリとは言えない。
自分は今後小藪の顔も見たくないし声も聞きたくない。だがそれでも、彼を一切起用するなとまでは言わない。しかしもし毎日放送や、他のテレビ局やメディアなどが、芸人としてではなく、小藪を今後もコメンテーターのような文化人的な枠で起用するようであれば、その番組や局は、非論理的で著しく読解力が低い者をそのように扱うということであり、その程度の番組・局であると評価せざるを得ない。更に言えば、その番組や局は女性蔑視に寛容であるということにもなる。
在阪局を中心に、そして在京局でも、そのような傾向は確実にある。嘘を吐いてまで政府側を擁護する田崎 史郎(1/20の投稿)を未だに起用しているテレビ番組もあれば、YoutubeやSNSで陰謀論を広めているフィフィを未だに起用する番組もある。そんな番組は信頼されなくても当然だし、そんな番組を放送し続ける局自体の信頼性が下がるのも当然だ。更に言えば、そのような傾向がどの局にも少なからずあるのだから、テレビ業界全般の信頼性に関わるのも当然である。
そのように認識されたくないのであれば、「テレビはーと雑に一括りにしてレッテル貼りするな」なんて言っている場合ではない。業界関係者こそが自分事として考え、批判や指摘を積極的にしていかなければならない。自浄作用とはそういうものだ。
それと同じことが日本全体にも言える。特に日本人男性こそが、森の発言や、森やその周囲の姿勢を積極的に批判/指摘しなければ、同類と見なされることになる。更に付け加えると、日本国内における外国人差別や民族差別に関しても同様で、国内の問題だからこそ積極的に批判/指摘する必要がある。沈黙は黙認と同じだ。沈黙すればまた同じ間違いが繰り返されることにもなるだろうし。
トップ画像は、 Hans BraxmeierによるPixabayからの画像 を加工して使用した。