あなたの考えは尊重されるべきだが、尊重されるべきなのはあなたの考えだけではない。全ての人の考えを等しく尊重する必要がある。この場合の”等しく”とは、常に同じ分量だけ、ということではなく、合理性を加味した上で、合理性のある考え方が優先され、場合によっては非合理的な考え方は全く尊重されない、ということもあり得る。
何を念頭に置いてこんなことを書いたかと言えば、トップ画像からも分かるように、セクシャルハラスメントに関してだ。昨日の投稿でも”女性を性の対象物にする表現/行為”について書いたが、今日もまたそれに関する話だ。
この投稿を書く直接のきっかけは、クーリエジャポンのこの記事だった。この記事は英ガーディアン紙の記事を元に書かれている。
イタリアで除幕された女性像の「服がスケスケ」すぎて大変なことに | 女性の体を性の対象物にするな! | クーリエ・ジャポン
Italy: bronze statue of scantily dressed woman sparks sexism row | Italy | The Guardian
ガーディアンの記事の見出しは「スケスケドレスの女性像が性差別問題に火をつけた」だ。クーリエジャポンの記事はガーディアンの記事を翻訳して引用した体裁になっているが、ガーディアンの記事と殆ど同じ内容で、実質的には転載記事のようなものだ。
ざっくりと言えば、イタリアの歴史的な詩人ルイジ
メルカンティーニの詩「La Spigolatrice di
Sapri」にちなんだ女性像が、イタリア南部のサプリに新たに設置されたのだが、女性像のドレスが不自然に尻にまとわりついている表現になっており、まるでスケスケのドレスを着ているかのように見える為、女性政治家などが「女性と歴史に対する侮辱だ」と批判している、という内容で、昨日の投稿の前提となった、千葉県警が子ども向けの啓蒙動画に用いたVTuberの衣装が過度に露出度が高く、下半身はほとんどモーションがつけられていないのに、動く度に胸が揺れるという表現もされており、過度に性的である、女性に対する蔑視だ、などとフェミニスト議連から抗議が出た件(9/17の投稿、9/22の投稿)と、2020年2月に話題になった、静岡の農協が作ったラブライブのキャラクターを用いたポスターで、スカートが股間に不自然にまとわりついた表現になっていた件(2020年2/15の投稿)の要素を合わせたような話である。
イタリアの女性像がどんな設定なのかは詳しく知らいないが、日本の件はどちらも未成年(若しくはそう見えるキャラクター)が性的に描かれているという要素もある為、深刻さで言えばイタリアの方がまだマシなのかもしれない。
クーリエジャポンの記事やガーディアンの記事で取り上げられている、下院議長を務めたこともあるイタリアの女性政治家、ラウラ ボルドリーニのツイートにある写真を見れば、女性像がどのような衣装なのか、尻の周りがどんな表現になっているのかは一目瞭然だ。
La statua appena inaugurata a #Sapri e dedicata alla #Spigolatrice è un’offesa alle donne e alla storia che dovrebbe celebrare.
— laura boldrini (@lauraboldrini) September 26, 2021
Ma come possono perfino le istituzioni accettare la rappresentazione della donna come corpo sessualizzato?
Il maschilismo è uno dei mali dell'Italia. pic.twitter.com/2msLhgJvso
クーリエジャポンの記事にもガーディアンの記事にも、この像がどこに設置されたのかは明示されていないが、写真から判断するに、誰でも利用できる公園か広場のような場所のように見える。ボルドリーニのツイートにもそれを示唆する要素があり、つまり公共空間にこの像が設置されたんだろう。
この像が設置されたのが美術館の中だとか、誰か個人宅の庭であるなら、何も問題はないだろう。しかし、環境型セクシャルハラスメントには、ヌードポスター等を職場に貼ること、雑誌等の卑猥わいな写真・記事等をわざと見せたり、読んだりすることも含まれている。ヌードでなくても、過度に露出度の高い水着等や、必要以上にボディラインを強調した衣装などでも該当する場合がある。不自然に衣服がまとわりついて尻の形が尻の割れ目どころか股間の位置まで分かる表現のこの像を公共空間に設置すれば、セクシャルハラスメントだと指摘されるのも当然かもしれない。
セクシュアル・ハラスメント - 人事院
イタリアでも日本同様に強引な擁護をする人達がいるようで、前述のラウラ
ボルドリーニのツイートに対して、裸婦を描いた絵画やこれまでに設置されてきた裸婦像を例に出して、何が問題なの?と言っている人がいる。
日本でも街中の至る所で結構多くの裸婦像を見かける。場合によっては明らかに未成年の女児をモチーフにした裸婦像もある。しかし、そもそもそれらはどの様な状況で設置されてきたのか。一説によれば、駅前広場や公園などに設置される像の多くは、予算の使いきりと政治家の人気集めで行われる側面が強いのだそうだ。有名な(世界的/全国的でなくて地域的に有名な場合も含む)人物や、有名な作家の作品を設置することは話題にしやすく、手っ取り早く名を売りたり政治家がよくやる手法なのだそうだ。予算の使いきりという話も、新型コロナウイルス対策の予算で巨大なイカの像を作った能登市の事案を見れば、信憑性のない話ではない。
但し、このような強引な擁護が生じる原因には、
「女性と歴史に対する侮辱だ」「女性の体を性の対象と見なす作品を受け入れることはできない」
のような批判・指摘の仕方にも問題があると思う。クーリエジャポンの記事にも「女性の体を性の対象物にするな!」とあって、これではまるで、女性を性の対象にすることが全般的に差別や侮辱に該当する、と言っているようにも見えてしまう。問題性を孕むのは、場所をわきまえずに女性を(に限らず男性でも)性の対象物にすることであって、ボルドリーニの批判も「(公共の場にこのような象を設置するのは)女性と歴史に対する侮辱だ」「女性の体を性の対象と見なす作品(を公共の場に設置することは)受け入れられない」であるべきだ。
但し、ボルドリーニはツイートで「サプリに設置されたばかりのスピゴラトリーチェに捧げられた像は、女性と、像によって称賛されるべき歴史に対する侮辱である。 女性の体を性的に表現することを、公共的な機関は受け入れるべきだろうか? 男尊女卑はイタリアの弊害の一つ」と言っており、ボルドリーニが普段どの様な主張をしているかにもよるが、ガーディアンやクーリエジャポンはボルドリーニの表現を不適切に切り取り、公共の場で、というニュアンスを消したとも言えそうだ。切り取りは言い過ぎでも、ガーディアンやクーリエジャポンはニュアンスを変える誇張をやっているようにも見える。
メディアが不正確な伝え方をすれば余計な論争を煽りかねず、当然ながらメディアの責任は重大である。メディアは問題の本質を示しつつ、このようなことを伝えるべきだ。それが公正な報道ではないだろうか。
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