ツイッターを使っているとあるツイートに対して、反射的・感情的に反論しているリプライ/引用リツイートなど、脳みそを使っていないとしか思えないような反応に頻繁に出くわす。元のツイートの書き方が曖昧で数通りの解釈ができそうな場合でなく、思い込みが激しいなどの理由で、元のツイートの主張を明確に曲解したケースを頻繁に見かける、という話だ。
ツイートはそもそもが、基本的に一言+アルファ程度の刹那的な主張であり、性質としては文章よりも口語やチャットに近いので、言葉尻を捉えた反応が示されがちではあるが、それにしても、あまりにも読解力がなさすぎる、盛大な曲解・歪曲を、場合によっては意図的にやっているとしか思えないケースがかなり多い。
小売業で数年働いていたので、社会の中には、自分の見たいものしか見ない人や、どんなに説明しても都合の悪いことは無視し続ける人、日本語のようなものを話しはするが、殆どコミュニケーションが成立しないような人などが、思いのほか多くいる、ということは承知しているが、調べたら誰の主張かはすぐに分かるので決して匿名とは言えないが、現場ではとりあえず素性が隠せるツイッターの特性上、そのような人たちが実社会以上に大腕を振って歩いているな、というのが実感だ。
しかも、日本ではこの10年、自己都合に合わせて、都合のよいことは盛大に強調し、歪曲や捏造をいとわず、都合の悪いことは非合理的な強弁やそもそも無視するなどの手法で有耶無耶にし、都合の悪いことを隠す為には捏造や隠蔽も厭わないような政治をやる政治家をトップに据える政党が、ずっと与党に選ばれ続けてきた。
つまり、自分の見たいものしか見ない人やそんな人たちによる政治、どんなに説明しても都合の悪いことは無視し続ける人や政治、日本語のようなものを話しはするが、殆どコミュニケーションが成立しないような人や政府が、ずっと容認され続けていると言える。このことから判断すると、自分の見たいものしか見ない、どんなに説明しても都合の悪いことは無視し続ける、日本語のようなものを話しはするが、殆どコミュニケーションが成立しないようなのは、つまり論理的な話が成立しないのは、少なくともし難いのは、日本の国民性と言っても過言ではないのかもしれない。
これまでに、4/6の投稿、4/10の投稿、4/17の投稿、4/18の投稿と、既に4度にわたって書いてきた、4/4の日本経済新聞全国版に掲載された、ヤングマガジンで連載中の漫画「月曜日のたわわ」の全面広告の件について、元はリクルートが発行していたフリーペーパーで、現在はサイバーエージェントのグループ企業が運営しているWebメディアである R25 が、こんなツイートをしていた。
本当にタチが悪いな、というのがこれを見た際の実感だった。ツイッターの広告枠か使ってか、報道扱いを受けてか、これがトレンドに、「興味がない/表示しない」などの選択肢が与えられないかたちで表示されていたことも、そう感じられた大きな理由だ。
日経紙に掲載された月曜日のたわわの広告について否定的な見解を示している人の中には、見たくない表現に触れない権利を論点にしている人は1人もいない、なんて言うつもりはない。だが、自分の目には、そんな論点で否定している人が否定の主流には全く見えない。つまりこのR25のツイート/記事は、見たくない表現に触れない権利を論点とした論争が起きている、という歪曲だし、厳しく言えばフェイクニュースの類いとすら言えるだろう。
当該広告について否定的見解を示している人の多くは、明らかに未成年を性の対象にしている作品を見て、社会人に元気になってもらいたい、という広告趣旨の問題性を指摘している。自分もこれまでにブログで再三それについて書いてきた。このR25のツイートの歪曲については引用ツイートにて指摘もした。そしてかなり多くの人が、同じ指摘をリプライや引用リツイートで行っている。R25のツイートはまさに事象の本質を解していない表面的で短絡的な内容だ。いや、分かった上で歪曲している恐れすらある。
このツイートがリンクしているR25の当該記事には、見たくない表現に触れない権利が論争になっている、という前提の意見しか取り上げられておらず、つまりSNSとWEBメディアを使った歪曲を、R25がやっていると言える状況だ。
確認はしていないが、見たくない表現に触れない権利が論争になっている、と言い出したのは、AbemaTVで配信されている AbemaPrimeという番組なのだそうだ。AbemaTVはサイバーエージェントとテレビ朝日が主体的に運営しているネット配信メディアなので、多分その話は間違っていないんだろう。
ちなみに、R25とは、25歳前後(主に男性)に向けた情報誌のような意味合いで名付けられたんだろうが、その創刊は2004年であり現在はR25とは名ばかりで、これ以外もおっさん臭がプンプンする企画が目立つ。
少し前に、映画監督や俳優による立場の優位性を利用した性的行為の強要が明るみになり、先週末には、牛丼チェーン最大手の吉野家の常務取締役が、早稲田大学での社会人講座に登壇し「田舎から出てきた右も左も分からない女の子を無垢・生娘のうちに牛丼中毒にする。男に高い飯を奢ってもらえるようになれば、(牛丼は)絶対食べない」などと発言、しかも会場では笑いが起きたという。
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政治の世界では、60-70代あたりが前世紀の感覚でやりたい放題やっているが、日本全般を見渡すと、その次に年齢別人口が多い団塊ジュニアとその周辺の世代、つまり40-50代が前世紀の感覚を引きずってやりたい放題やっている、という感がある。この世代は、バブルの狂乱を、メインプレイヤーとしてではなくても体験していた世代で、当時への歪んだ憧れのようなものがあるのかもしれない。2021年1/22の投稿でも、過去の栄光を引き摺る世代の悪影響と題して、バブルを体験した世代には、それ以前の感覚を今も引きずって感覚をアップデートできない者が少なくないと書いた。同じようなことを、この数週間で再び強く感じている。
今の情勢であれば、今夏の参院選でもまた自民党が消極的理由であれ支持されそうな雰囲気で、多分今の状況は今後当分変わることはないんだろう。そうやって足踏みしている間に日本はどんどん諸外国から取り残されていく。
では一体いつ日本は前世紀の感覚から脱却できるのか?それは、現在の40-50代、つまり団塊ジュニアとそれに準ずる世代が日本の多数派でなくなるまで、この惨状は変わらないのかもしれない。彼らの感覚がアップデートされそうな空気感は、今のところ一切感じられないのだから。