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表現の自由を軽視し、あたかも不敬罪があるかのように政治家が振舞うことを許してはならない


 昨日の投稿「熱中症対策・鈍感な人には「激しい運動」では伝わらない」で引用した映像は、8/3に放送された大河ドラマ「いだてん」の一部である。日中にNHKの画面に表示される熱中症の啓蒙があることからも分かるように、その映像は8/3の土曜日・13:05から放送された再放送であり、この第28回「走れ大地を」は7/28・日曜日に初回放送された。
 この回は1932年のロサンゼルスオリンピック前夜の話だ。当時の政府の要人・高橋 是清や犬養 毅なども登場し、1931年に発生した満州事変(Wikipedia)や1932年の五・一五事件(Wikipedia)にも触れ、日本が日中戦争/太平洋戦争に向かってどんどんキナ臭くなっていく様子も描かれている。次のムービーは 第28回「走れ大地を」| あらすじ | NHK大河ドラマ『いだてん 〜東京オリムピック噺(ばなし)〜』 に掲載された当該回のダイジェスト版だ。




 テレビ報道では妙に扱いが小さいが、8/3の投稿8/4の投稿でも触れた「あいちトリエンナーレ2019」の企画展「表現の不自由展・その後」が、名古屋市長や官房長官らからの圧力や、テロ予告にも近い脅迫によって中止に追い込まれた件は、今もまだ大きく注目されていると言っても過言ではない。
 同展が注目を浴びた大きな理由は、慰安婦少女像と昭和天皇の御真影を焼いたように見える作品を展示したことにある。同展を不適切とする人達の殆どは、これらの展示が問題だと言っている。名古屋市長は慰安婦少女像をとりわけ問題視していたが、この数日、国会議員らが昭和天皇の御真影を焼いたように見える作品の是非、主に非についてツイートしている。例えば、





 どうも彼らは、日本にはいまだに不敬罪が存在していると勘違いしているようだ。例えば映画を見て「あれは面白くなかった」とか、ゲームを遊んだ後に「ゲームシステムが煩雑」などと評価するように、慰安婦少女像や昭和天皇の御真影を焼いたように見える作品についても、作品自体を低評価することは鑑賞者の自由である。しかし彼らが主張しているのは、自分にはどう見てもその範疇を超えているとしか思えない。
 まず、現在名古屋市長らの政治的圧力と、テロ予告にも等しいガソリンを撒いて火をつけると示唆する脅迫行為によって、同展が中止に追い込まれた状況であることを誰もが勘案すべきで、国会議員や地方自治体の首長であれば尚更だ。つまり現在は同展の企画や展示物の評価よりも、表現の自由が危ぶまれている状況の方を重視し憂慮すべき事態になっている。
 また、表現の自由とは、表現の内容の良し悪しにかかわらずどんな表現であっても基本的に排除されないという概念だ。例えば、


のように、表現・作品に対する批判は、それ自体も表現の自由の範疇なので当然問題ないが、他人の権利を害さない限り、どんな表現も公権力によって排除されることがあってはならないというのがその概念だ。前述の人達は、一般市民でもあるが同時に国会議員や地方自治体の首長という公権力に属する人達でもある。ということは、彼らはたとえ表現や作品に対する批判であっても、公権力による排除と捉えられないように、一般市民が批判をする以上に細心の注意を払わなければならない立場だ。そんな人達が、あたかも現在不敬罪が存在しているかのような主張を繰り広げているのであれば、彼らは公権力を笠に着て特定の表現を排除しようとしている、と捉えて、
 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。
という日本国憲法12条を理解する見識を持ち合わせていないと言っても良いのではないだろうか。しかも、そんな人達が憲法の改定に前向きであるということは、かなり憂慮すべき事態だろう。
 また、例えば「誰の写真だろうが、それを焼くとは、写っている人の尊厳を傷つける行為だから認められない」という旨の主張ならば、自分は賛同しないが一応合理的な主張と認めることだけは出来そうだ。しかし昭和天皇の御真影を焼いたように見える作品を批判している人の殆どは、それが昭和天皇の御真影を焼いたように見える作品だから批判しており、それでは、憲法14条で規定されている全ての人の法の下の平等を無視することになりそうだ。現在の日本では天皇だろうと皇族だろうと、首相や国会議員や地方自治体の首長だろうと、一般市民と等しく平等であり、それは犯罪者であっても同じである。勿論外国籍の人も同様だ。
 つまり、天皇の写真だから焼いてはならない、というのは、天皇は一般市民よりも尊い存在であると消極的に言っているも同様だ。果たして政治家がそんな主張をしてもよいのだろうか。少し考えれば問題があることが分かりそうだが、それが分からない政治家が多く存在しているのが日本の現状だ。彼らを選挙で選んでいる日本の有権者も同じ様なレベルと言えるだろう。政府への抗議の一環として、首相などの絵・写真を焼く・破る者に対しても同様の主張をする者がいるが、それもこの天皇の写真云々という話と同じことである。その表現に賛同するか否か、不快と感じるか否かは別として、その表現を問答無用で排除しはならないし、行為自体を犯罪化してはならない。それが表現の自由の根本的な理念である


 あいちトリエンナーレの開会は8/1で、同展が注目を浴びたのはそれ以降のことである。つまり、冒頭で紹介した大河ドラマ「いだてん」の第28回はそれ以前に放送された。そのタイミングで日中戦争/太平洋戦争に向かって日本がキナ臭くなっていく様子が描かれた回が放送されたのは単なる偶然だろう。しかし偶然とは思えないようなセリフが当該回にはある。
 冒頭のダイジェストの中にも、昨日の投稿で掲載したムービーの中にもそのシーンが含まれている。それは桐谷 健太さん演じる新聞記者・河野 一郎の、
 新聞はもう駄目だ。言論の自由はいずれ軍に奪われる。
というセリフだ。他にも、そのシーンの少し前(昨日掲載したムービーの冒頭)にも、ビート たけしさん演じる古今亭志ん生の、
 当時はな、日本に都合の悪い記事は、新聞は書けなかったんだ。
というセリフもある。


表現の不自由展・その後 が前述のような形で注目を集め、そして中止に追い込まれ、一部の政治家らが素っ頓狂な見識を開陳するこのタイミングの直前に、このようなドラマが放送されたのは全くの偶然なのだろうが、まるで、そんなことが起きることを予測して放たれた皮肉のようでもある。


 このように、NHKも報道以外は概ねまともと言えそうだが、このブログでは何度も書いているように、個人的に、NHKの報道には既に信憑性を感じていない。どんなNHKの報道も、他の報道機関の情報を確認するまで信用しない。他の報道も当たる必要があるのは、NHK報道に信憑性を感じていても同じなのだが、例えば、このスレッド化したツイートのように、現在自分はかなり懐疑的にNHKの報道を見ている。
 昨日の投稿で書いた、甲子園中継との整合性を図る為に、環境省は「激しい運動は熱中症の原因の一つ」と指摘しているにもかかわらず、NHKが熱中症対策の啓蒙から「日中の運動は控える」という文言を外したのを見ていると、現在NHKは高温注意報が発令されると他の災害情報と同様にL字の帯を表示しているが、来年オリンピックが始まれば、その中継との整合性の為に、高温注意報が発令されてもL字帯を用いた啓蒙自体を取り止めかねないと危惧する。
 更に言えば、何かにつけて都合のよい解釈を繰り返す政府は、オリンピックに合わせて高温注意報の発令自体を止めるかもしれないと危惧してしまう。これまでの日本ではそんなことは考えられなかったが、今の政権内では、最早説明の必要がないくらいに捏造・改竄・隠蔽・不適切な廃棄が繰り返されており、今の日本政府ならそんなこともしかねない。

 昨日、「18年の実質賃金、0.4%のマイナス 衆院調査局」(日経新聞)という報道があった。これは、昨年末に厚労省の毎月勤労統計の不正が発覚し、その後示されていた懸念そのままの内容なので、昨日初めて発覚した話でもない。しかしそれでも現政権の支持率は不支持を上回っている。なぜそれでも支持率が下がらないのかと言えば、今の政府は山のように嘘をつくことで、どの調査を信用したらいいか分からない状況をつくり、国民に信じたいことだけを信じさせることに成功しているからだろう。このままでは日本は戦前に逆戻りしかねない。中国共産党が支配する中国の社会のようになりかねない。

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