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健全なる精神は健全なる身体に宿るか


 千葉を始めとした関東各地が台風被害に苦しむ中、災害対応そっちのけで国務大臣・与党自民党幹部の新たな人事が発表された(9/11の投稿)。首相を除く19人の閣僚の内17人が入れ変えられ、13人が初めて大臣になるそうだが、暴言太郎(9/10の投稿)はそのまま野放しだ。
 新たに大臣になった者の中には、且つてスピードスケート・自転車競技でオリンピックへ出場し、1992年のアルベールビル冬季オリンピックでは銅メダルを獲得した橋本 聖子氏もいる。彼女は1995年に政治家へ転身した現在5期目の参院議員である。今回の内閣改造で初入閣を果たし、五輪担当大臣に就任した。NHKの記事「橋本五輪相 会場に「旭日旗」持ち込み問題ない」によると、橋本氏は9/12の会見で、
 旭日旗が政治的な宣伝になるかということに関しては、決してそういうものではないと認識している
と述べたそうだ。彼女も実質的に、組織委員会と同様(9/4の投稿)に「旭日旗をオリンピック応援に用いることに問題はない」という認識を示したことになる。



 橋本氏の発言はかなり残念な内容だった。政治的云々という話を抜きにしても、そもそも悪名高い戦前の日本軍の象徴の旗、そして今も自衛隊旗であり、国外から見れば紛れもない軍旗を、平和の祭典であるオリンピックやスポーツの応援に用いても問題ないという姿勢は全く容認し難い。
 2017年のACL(サッカーアジアチャンピオンズリーグ)で、川崎フロンターレのサポーターが旭日旗を応援に使用し、AFC(アジアサッカー連盟)は倫理規定に反するという裁定を下している。フロンターレには、執行猶予付きではあるが、AFC主催のホームゲーム1試合の無観客試合、さらに罰金1万5000ドル(約167万円)の処分が下された(旭日旗問題、川崎の異議は認められず…AFCが上訴棄却を発表 | サッカーキング)。
 AFCの裁定が必ず正しく、IOC/JOCもそれに準じた大会運営をしなくてはならない、とまで言うことはできないが、少なくともアジア諸国では、旭日旗が概ねどのように認識されているかは、2017年のACLの件から理解できるはずだ。オリンピックには当然アジア諸国も参加するのだし、太平洋戦争でアジア諸国に対する日本軍の加害行為が少なからずあったことは紛れもない事実だし、これからも隣国として付き合っていくことを考慮すれば尚更のこと、日本がアジア諸国へ配慮しなくてはならないのは当然なのに、どうやらオリンピック組織委員会も担当大臣も、それが理解できないらしい。

 そもそも、参加選手の内のどれだけが、旧日本軍旗でもある旗を振って応援してもらいたいと思っているだろうか。日本のスポーツ選手は概ね何も言わないが、ここで何も言わなければ、選手たちも組織委員会や大臣と同類と見なされる恐れがある。少なくとも、平和の祭典で軍旗・軍国主義の象徴的な旗が振られることを何とも思わない、若しくはそんなことすら理解できないスポーツバカと認識される恐れがある。スポーツ選手はスポーツだけしていればいいなんてことはない。
 軍旗であり軍国主義の象徴でもある旗があちらこちらで振られるオリンピックの異様さを想像してみて欲しい。アジア諸国の人の目には概ね、ナチス政権化でのベルリンオリンピックの再現のように見えるだろう。個人的には、旭日旗はハーケンクロイツと同様の存在と定義するのにはやや無理があるとは思うが、もしそんなオリンピックが現実になれば、旭日旗はハーケンクロイツに準ずる存在だという認識を、かえって世界中に広めることにもなりかねない。そうなれば、旭日旗同様に日の出を模したデザインの多くが謂れのない批判に晒されることにもなってしまう。大漁旗・商標等にも用いられる文化としての日の出を模したデザインを今後も維持したいのなら、オリンピックで旭日旗を振るなんて馬鹿げた行為は止めるべきだし、組織委員会も担当大臣も「問題ない」なんて認識をしめしてはならない。
 「旭日旗をオリンピックで振っても問題ない」なんて言う大臣が就任しているのだから、日本のメディアは「欧米で極右勢力が拡大」なんて言ってる場合ではない。自国政府が右傾化していることへの懸念を強く指摘すべきだ。それが出来ないメディアはハッキリ言って何の役にも立たない。 政府の戦前戦中回帰を明らかに危惧しなければならない状況だし、メディアも戦前戦中の御用メディア化も既に始まっていると思えてならない。


 残念な元オリンピック日本代表と言えば、6月に新たにJOC会長に就任した山下 泰裕氏も同様だ。彼は1984年のロサンゼルスオリンピックに出場者し、柔道無差別級で金メダルを獲得した。同大会の決勝・対ラシュワン選手選は、フェアな勝負の代名詞として多くの人の記憶に残っている(山下泰裕 - Wikipedia #決勝)。彼は引退後指導者を経て2013年にJOC理事となった。個人的には、ロサンゼルスオリンピックの英雄というイメージもある彼のことを、何となくではあるが、日本のスポーツ界に貢献する人格者だと思っていた。
 しかし山下氏は、9月からはJOC理事会を非公開にすると言い出した(「9月からJOC理事会は非公開」問題 竹田恒和前会長が辞めた理由を忘れてないか? | 文春オンライン)。


 9/10に初めて非公開で行った理事会の後に山下氏は
 これまで出なかった議論が出た。開かれたものを閉じたわけだから、透明性はできるだけ確保しないといけない
という、小学生でもその支離滅裂さ加減が分かるであろう見解を示したそうだ(JOCの理事会、初の完全非公開:朝日新聞デジタル)。敢えて分かり切ったことをツッコむが、透明性を確保したいなら、開かれたものを閉じるのはおかしい。開いたままにしておくのが透明性を確保するのに最も適している。且つての英雄がこんなことを言っているのを見ると、言葉が悪いかもしれないが、英雄・人格者なんてのがそもそも間違った認識だったか、朱に交わって赤くなったのか、若しくは歳をとって耄碌したかのいずれかだろう、と感じてしまう。


 東京オリンピックに関連した支離滅裂な話というのは、橋本氏や山下氏だけに限った話ではない。例えば、2/24の投稿で書いたように、アマチュアの祭典だったオリンピックだが商業化が進み、今回の東京オリンピックではそれに更に拍車がかかっており、IOC/JOCはオリンピックを盛り上げたいのか盛り下げたいのかよく分からないことをやっているし、酷暑が懸念される時期に大会を開催することがそもそも問題であるのに、テスト大会に降雪機を導入しようなんて動きがあったり(暑さ対策に人工雪 東京五輪、テスト大会で降雪機導入へ - 東京オリンピック:朝日新聞デジタル)、マラソンのテスト大会で給水所にかち割り氷、ゴールに氷入りの風呂を設置すると陸連が発表し、関係者が「こうした暑さ対策こそマラソンのレガシーになる。選手たちの感触も聞き、五輪に向けてよりいいものを準備したい」なんて馬鹿げたことを言ったりもしている(ランナーに「かち割り氷」、ゴールには氷風呂…MGCで五輪向け暑さ対策)。
 酷暑が確実視される時期にわざわざ大会を開催しなければ、そのようなアホな対策はそもそも全く必要ない。つまり最大の暑さ対策は開催時期を酷暑にならない時期にずらすことである。危険な暑さの中選手に競技をさせておいて、氷風呂を用意することがマラソンのレガシーになる?馬鹿も休み休み言って欲しい。そんな支離滅裂な話を関係者が恥ずかしげもなくしてしまう状況は確実に異常だ。


 オリンピックに限らず日本のスポーツ界全般が狂っているのかもしれないと、朝日新聞「テコンドー代表合宿、大量ボイコットへ 協会側へ不信感」を見て感じた。協会への不信感を理由に、強化合宿に招集されたテコンドーの代表候補選手・23人中20人が不参加を表明した、という内容だ。
 勿論、大半の競技団体/協会はまともな運営を行っているだろうことは理解しているのだが、昨年来スポーツ界で起きた不祥事/パワハラ案件を考えると、どうにも日本のスポーツ界全般が狂っているのかもしれないと思えて仕方がない。日大アメフト部の問題、レスリング協会の伊調選手いじめ問題、体操協会の塚原夫妻のパワハラ、ボクシング協会山根会長の独裁、更に高校野球・甲子園の開催時期・暑さ対策・球数制限への消極性など、そう思えてしまう例は枚挙に暇がない。
 更に言えば、JOC会長や五輪担当大臣という、日本のスポーツ界を代表する人物が、前述のような合理性に欠けた発言をすれば、日本のスポーツ界全般が…という印象が生じるのも決して不自然ではないだろう。確かに、悪い例だけを見て全体を判断するのは妥当とは言えないが、5/18の投稿でも書いたように、JOC会長や五輪担当大臣という立場の人間は、日本のスポーツ界という看板を背負った立場であると言っても過言ではない。各競技の協会理事や代表選手などもそれは同様である。つまり、彼らの言動は日本のスポーツ界全般のそれとして受け止められる側面が確実にある。彼らの言動を制限しようとする意図はないが、合理性を欠いた見解を示したり、支離滅裂な主張をすれば、「あなたは日本のスポーツ界を代表する存在なのだから、それを肝に銘じた上で行動せよ」と批判されるのは当然だろう。勿論、逆に表明すべき意思表示をしない場合も、同様の指摘を受けることになるだろう。何の代表であるにせよ、日本代表という肩書を与えられたならそれはある意味当然ではないだろうか。
 再確認だが、スポーツ選手はスポーツをしていればいいだけの存在ではない


 健全なる精神は健全なる身体に宿る

という言葉がある。「体が健康であれば、それに伴って精神も健全である」のような意味で用いられることが多い表現だ。この投稿を書いていると、決してそんなことはないと思えてならない。
 この言葉を調べてみると、実は誤訳から広まった表現だという指摘が多数見つかる。健全なる精神は健全なる身体に宿る - 故事ことわざ辞典 によると、「ローマの詩人ユベナリスの『風刺詩集』にある「大欲を抱かず、健康な身体に健全な精神が宿るようように祈らなければならない」の一部が訳され広まった」そうだ。
 確かに、健全でない身体にも健全なる精神は宿る。健全の定義の問題はあるが、例えばパラスポーツ選手の多くは身体に何かしらの不具合を抱えている。しかし健全な精神を持った選手は決して少なくない。逆に健全な肉体を有する選手が健全なる精神を宿していない例も決して少なくない。例えば、違法なギャンブルやドーピングに手を染める選手もいれば、八百長に関わってしまう選手というのもいる。また、そこまでではなくとも、当該競技以外のことは何も知見を磨かずに大人になる選手というのも決して少なくない。そのようなスポーツ選手は健全なる精神を有しているとは言えないのではないか。
 そんなことを考えると、少なくとも橋本 聖子氏や山下 泰裕氏は恐らく、合理性の判断すらつかないような人、言葉は悪いが、単なるスポーツバカだったんだろうな、と思えてならない。
 

 トップ画像は、PexelsによるPixabayからの画像 を使用した。

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