スキップしてメイン コンテンツに移動
 

コロナ疲れではなく、まともじゃない人達への対処疲れ


 もう何週間も、テレビのニュースや情報番組が新型コロナウイルス感染拡大に関する話に終始している状況が続いている。政府や首長らの緊張感の感じられない後手後手以下の対応など、報じられている内容だけでなく、他人事のような報じ方・番組作りにも、とてもイライラさせられる為、テレビのニュースや情報番組は殆ど見なくなった

 NHK総合に関しては、緊急事態宣言がなされた4/7以降、ほぼ常に画面の左側と上端にその旨が書かれた帯をつけて放送している。あれにもかなりイライラさせられるので、ニュースや情報番組に限らず全般的に見ていない。但し、全く見ないのも問題はあるので、仕事がなくなって自宅にいるより仕方がなくなった4月以降、幾つかの局の昼のニュースだけはチェックしている。
 このようなイライラや不安の増大のことを、巷では「コロナ疲れ」と呼んでいる。

「新型コロナ疲れ」どうすれば? 「遠慮なく現実逃避を」「心を込めて手を動かして」 - 毎日新聞


自分は、この2ヶ月ほぼ毎日このブログで、首相や政府、そして一部の、矛盾したことを言う、若しくは「フェーズが変わった」などと言って先見性がなかったことを誤魔化す専門家や政治家などを批判してきた。しかし、あまりにも同じ批判の繰り返しでうんざりしている。だが批判せずに現実逃避すれば益々状況は悪化するだろうし、自分個人の力は微力でも、批判しないわけにはいかない。この状況は、コロナ疲れというよりも、まともじゃない人達への対処疲れと言った方が妥当だろう。
 4/8の投稿でもBuzzFeedの「新型コロナでイライラや不安増えてない?日本赤十字社が「こころの健康」を保つためのガイドを公開。」という記事に触れ、個人的には、無策などころか見当違いなことばかりして、肝心なことは何もしない行政が人々をイラつかせている部分の方が大きいと考えている、と書いたし、つい一昨日にも、首相や政府は「バカも休み休み言え」をテーマにした投稿を書いたばかりだ。


 今朝起きたら、こんな首相のツイートに対する批判が吹き荒れていた。


 この安倍のツイートには、星野 源さんが感染拡大防止を呼びかける為にSNSへ投稿し、投稿した動画とセッションしたりするなど自由に加工してほしいと呼びかけ、著名人を含む多数の人が引用・使用したことで話題になっていた「うちで踊ろう」という曲のオリジナルの横に、自宅リビングルームでソファに腰かけて犬をなでたり、ぼーっとお茶を飲んだり、本を読んだり、テレビを見たりする安倍の映像が添えられている。
 安倍の頭の中は一体どうなっているのだろうか。緊急事態宣言を出した行政の最高責任者が、緊急時であるにもかかわらず自宅リビングで呑気にくつろいでいる映像を見せれば、国民が安堵する、不安が和らぐと本気で思っているのだろうか。いや、間違いなく本気でそう思っている。でなければこんなSNS投稿を出来る筈がない。本気でそう思っていないのにこれをSNSへ投稿したのであれば、間違いなくそれは国民に対する嫌がらせだ。

 まともじゃない人達への対処疲れここに極まる

というより他に言葉が見当たらない。


 2011年、震災が起きた年の8月に、


と、当時震災と原発事故対応に当たっていた民主党政権を批判していたコピーライターが、つい3日前に、


とツイートしたことが話題になっていた。削除された場合のことを考慮して、一応引用してあるツイートの内容にも触れておく。引用しているのは


という自身のツイートである。
 このコピーライターは、じぶんのこと、つまり首相としてすべき対応をせずに、呑気に有権者の感情を逆撫でさえするSNS投稿をしている首相を一体どう考えているのだろうか。じぶんのすべきことしていない人を責めずに、どうやって状況が好転するだろうか。
 この人のSNS投稿も、間違いなく「バカも休み休み言え」案件である。


 SNSには、こんな風に盲目的に安倍総理だって頑張っているのに」「国難なんだから批判するな」といった声が間違いなく存在している。

「国難だから政権批判するな」が生み出す「本当の国難」 - 毎日新聞


だからSNSもテレビと同様に、見ていたらイライラしてしまうことが多々ある。但し、テレビと違ってSNSやネットには、他人事ではなく自分事として捉えた、若しくは当事者としての不満に満ちた、妥当性が感じられる主張も多く存在しており、イライラを解消する為の要素も多い。
 勿論、あまりにも自分の欲する情報だけを選別してしまうことはバランスを欠いた状態を招きかねない。だから一応テレビも昼のニュースだけは目を通すようにしている。しかし、その分量ならテレビ局の他人事な姿勢は我慢出来ても、伝えられる政府や首相、そして自治体や首長らの積極性に欠ける対応にはやはりイライラさせられる。

 確かに現在は「国難が降りかかっている」と言っても過言ではないだろうが、国難は、新型コロナウイルス感染拡大ではなく、間違いなく政治の機能不全だ。自分が感じているのも間違いなく新型コロナ疲れではなく、政治の機能不全疲れだ。


 トップ画像は、Photo by Jose Pablo Garcia on Unsplash を加工して使用した。

このブログの人気の投稿

マンガの中より酷い現実

 ヤングマガジンは、世界的にも人気が高く、2000年代以降確立したドリフト文化の形成に大きく寄与した頭文字Dや、湾岸ミッドナイト、シャコタンブギなど、自動車をテーマにしたマンガを多く輩出してきた。2017年からは、頭文字Dの続編とも言うべき作品・MFゴーストを連載している( MFゴースト - Wikipedia )。

話が違うじゃないか

 西麻布に Space Lab Yellow というナイトクラブがあった。 一昨日の投稿 でも触れたように、日本のダンスミュージックシーン、特にテクノやハウス界隈では、間違いなく最も重要なクラブの一つである。自分が初めて遊びに行ったクラブもこのイエローで、多分六本木/西麻布界隈に足を踏み入れたのもそれが初めてだったと思う。

読書と朗読を聞くことの違い

 「 本の内容を音声で聞かせてくれる「オーディオブック」は読書の代わりになり得るのか? 」という記事をGigazineが掲載した。Time(アメリカ版)の記事を翻訳・要約した記事で、ペンシルベニア・ブルームスバーグ大学のベス ロゴウスキさんの研究と、バージニア大学のダニエル ウィリンガムさんの研究に関する話である。記事の冒頭でも説明されているようにアメリカでは車移動が多く、運転中に本を読むことは出来ないので、書籍を朗読した音声・オーディオブックを利用する人が多くいる。これがこの話の前提になっているようだ。  記事ではそれらの研究を前提に、いくつかの側面からオーディオブックと読書の違いについて検証しているが、「 仕事や勉強のためではなく「単なる娯楽」としてオーディオブックを利用するのであれば、単に物語を楽しむだけであれば、 」という条件付きながら、「 オーディオブックと読書の間にはわずかな違いしかない 」としている。

あんたは市長になるよ

 うんざりすることがあまりにも多い時、面白い映画は気分転換のよいきっかけになる。先週はあまりにもがっかりさせられることばかりだったので、昨日は事前に食料を買い込んで家に籠って映画に浸ることにした。マンガを全巻一気読みするように バックトゥザフューチャー3作を続けて鑑賞 した。

敵より怖いバカな大将多くして船山を上る

 1912年に氷山に衝突して沈没したタイタニックはとても有名だ。これに因んだ映画だけでもかなり多くの本数が製作されている。ドキュメンタリー番組でもしばしば取り上げられる。中でも有名なのは、やはり1997年に公開された、ジェームズ キャメロン監督・レオナルド ディカプリオ主演の映画だろう。