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新型ウイルスよりも怖い「自己責任論」という病


 本来自発的に取り止めることが自粛なのに、他者にそれを促される・要請されるという、日本語的に矛盾した「自粛を要請」を求める発信している政府や自治体に対して、日頃から中国語やハングル表記を目の敵にしているような(ローソンの牛乳パックに中国語とハングルが併記される→「ここまでくると気持ち悪い」「日本人が分かりづらくなってる」 - Togetter)、日本語至上主義の自称・愛国者達が、何も言わないのはとても不思議だ。
 勿論皮肉であり何も不思議ではない。彼らには日本語を正しく理解することすら出来ない者が多く、槍玉にあげたいものをあげている、というだけのことである。

 外出等の「自粛要請」は補償を避ける為の詭弁である、のようなことはこれまでにも何度も書いてきた。昨日の投稿では、やっと補償に関する話が出てきたが、それでも尚補償をしたくないという態度が窺える、ということについて書いた。誰もが「ウイルスは休日だけに感染するわけじゃない」ということは分かっているので、最早殆ど話題にすらならないが、都知事などは今週末に関しても、先週末同様に不要不急の外出自粛を要請している。
 感染症に直接関わっていなくても病院は具合の悪い人が集まる場所で、しかも複数の病院で集団感染が発生もしており、またマスク等が不足している現場も多いようで、SNSを見ていると、医療関係者を自称する人たちが現場の切実な状況や緊迫感を訴え、「感染を広げない為に極力外出を避けて!」と投稿しているのが目に付く。

 しかし、前にも書いたかもしれないが、厳密には、極力避けなければならないのは感染者との接触であって外出ではない。近所を散歩するとか、サイクリングに出かけるとか、ドライブをするとか、誰とも接触せずに1人で外出する分には何の問題もない。勿論、その過程の中で、不特定多数と接触することになる公共交通機関を利用することは極力避けなくてはならない。
 このように書くと「出先でコンビニなどに寄ることになるだろうから1人での外出もダメ」のような反論が返ってくる。しかし外出を控えて日常生活をしていても、食料等の買いだしの為の外出は必要だ。日常的な買い物まで控えることはかなり難しい。勿論、買い物する回数は極力少なくしなければならないし、買い物する場合にはマスクを着用するなどの対策も必要だろう。しかし「出先で一切買い物をしてはならない」という話はあまりにも極端過ぎる。
 個人的には、1週間程度家から出ずに生活しても苦痛を感じることはないが、子どもなどはずっと家に閉じ込めておけばかなりストレスを感じるだろうし、大人でもそのような状況にストレスを感じる人は結構いるだろう。そのようなストレスを軽減する為に、極力他者との接触を抑えることを前提に外出するのは、「不要不急」ではなく「必要至急」だろう。
 また、政府や自治体がやっと自粛の影響を受ける業種の人達への補償を検討し始めたのは事実だが、それでもまだ検討段階であり、既に2ヶ月以上影響に晒されている業種の人達のことを考えれば、他者と接触することになるかもしれないが、ある程度外で買い物や飲食をしなくてはならないようにも思えてくる。となるとやはり、出来る限り不特定多数との接触を避けつつ外出するのは理にかなっている、と自分は考える。


というツイートが昨日タイムラインに流れてきた。言わんとしていることは何となく理解できる。だが「限界」という表現には違和感もある。
 一口に鉄オタと言っても、撮り鉄だの音鉄だの、乗り鉄だのと様々な傾向があるように、「クルマが趣味」の人達にも様々な人がいる。新型車を追いかけるのが好きな人もいれば、旧車にしか興味がないという人もいるし、乗るよりもイジる方が好きな人もいれば、カスタムには全く興味がなく運転するのが好きな人もいるし、運転するのが好きな人の中にも、一般道でのドライブが好きな人もいれば、サーキットでのスポーツ走行が好きな人もいる。勿論、それら内のいくつかが好き、などの場合もあり、明確な線引きが出来るとは限らない。
 自分も「クルマが趣味」な人間だが、自分の場合は一番好きなのはドライブで、イジるのは機関系ではなくドレスアップ程度、だけど出来る限りのメンテナンスは自分でやりたいタイプである。
 自分の場合日頃からクルマに乗るならずっと運転していたいタイプで、友達と出掛ける際にはかなり重宝される。運転したい欲を満たす為に、例えば首都高の湾岸線から深川線、都心環状線経由で横羽線に入り、大黒線や狩場線経由で再び湾岸線に戻る、のような大きな周回路を何周か走ったり、玉川インターから東名に乗って、行きは新東名で浜松いなさJCTまで行って、帰りは三ケ日JCT経由で旧東名に戻って東京に向かう、という目的地のないロングドライブを1人でしばしばする。買った直後でなくてもそのようなことは往々にしてあるが、新しい車を買った後の数か月間は特に運転したい欲が高まる。
 目的地のないドライブは「限界」でも何でもない。少なくとも自分にとっては。


 この数年、軽キャンピングカーや軽バンを使った車中泊が流行っている(勿論普通車でも出来るが特に流行っているのが軽バンや軽キャンパー。画像は「軽キャンパー「レジストロ」オーナーインタビュー|キャンピングカースタイル」より)。
 前述のように、感染の懸念があるのは他者との接触なのだから、外出は必ずしも自粛するべきことではない。出先での振舞いにさえ気を付ければ、公共交通機関を利用せずに、車中泊が可能な自家用車を用いて気分転換に数日旅をするのは、必ずしも不適切とは言えないだろう。何より観光業・観光地はこの新型コロナウイルスの影響でかなりの打撃を受けている。余裕があれば、充分に注意した上でそのようなところにお金を落とした方が良さそうだ。国や自治体が自粛を叫ぶだけで充分な補償をしないのだから。


 こんな風に以前から考えてるわけだが、昨日、


というツイートもタイムラインに流れてきた。万が一引用したツイートが消された場合のことも考え、このツイートに添付されている画像を直接載せておく。


布施さんが指摘しているように、この佐々木 紀という男は自民党所属で、石川2区で選出された3期目の衆議院議員であり、現在は国土交通大臣政務官を務め、自由民主党石川県第2選挙区支部長という肩書も持っている。
 この男が更に酷いのは、批判が集まった為当該ツイートを削除し、 同じ記事を引用して、


と、180度転換したツイートをしていることだ。勿論不備に対する指摘を受けて考えを改めるのは大事だが、自分が一度示した見解でも、撤回すればなかったことに出来ると思っているのなら、政治家としての資質が全く足りていない。間違いを認めることが出来ない者が国の要職に就いているのは全く容認できない。そもそも首相や副首相、官房長官や各種大臣らが間違いを認められないのだから、このような男が国の要職に就くような事になっている原因は、本人だけを責めてもなくならないのもまた事実であるが。
 但し、そんな政府を「他よりマシ」と言っている人がこの約7年の間半数以上もいた、というか今もまだ半数弱いるのだから、ある意味では日本国民の自業自得ではある。だが、そのとばっちりを自分が受けていることは全く納得がいかない。


 また、落語家の志らくも、あからさまな職業差別をSNS上で展開し、批判が集まったからか投稿を削除している。


彼はこのツイートを削除した理由を次のように説明しているようだが、



当該ツイートも消されるかもしれないので、彼自身が「最初にこれがある」と言っているツイートも載せておく。


彼が前提だとしていると思われるこれらのツイートを読んでも全然話の筋が見えない。というか何の説明にもなっていない。何故なら、彼は削除したツイートの中で
夜の風俗店はあってもなくてもいい商売。だからこれに補償しないのは差別だとい(う)のはちと違う
と言っており、前提だと言うツイートの中にもそれに関する話など何もないからだ。
 恐らく志らくは「芸術分野にも補償はして欲しいが、落語家はなくてもいい商売なので補償の対象にならなくても文句は言わない」のようなことを言っているのだろう。彼が補償がなくても文句を言わないのは全然構わない。しかし彼が言っているのは、俺も我慢するからお前らも立場をわきまえて我慢しろ、のような話である。しかも彼は、自分が充分に収入が得られる恵まれた環境にあることを棚に上げている。彼が私財を投じて国が補償しない職業への援助を積極的にやっている素晴らしい人物、のような前提があれば、「国がやらない分は俺がやる」的な話だろうから、彼の主張にも容認できる余地はあるだろう。しかし、彼が私財を投じて風俗業に援助しているなんて話は聞いたことがない。つまり単に風俗業を見下しているとしか思えない。
 こんな男をコメンテーターにしている番組やMCにしている番組、いや局は、はっきり言って終わってる。NEWS23や報道特集がどんなに孤軍奮闘しても台無しだ。


 3/5の投稿のタイトルは「「酒・SNS・緊急時」人の本性を暴き出すもの」だった。その投稿で例に挙げたのは所謂一般人だったが、この件で挙げたのは政府の要職を担う政治家、在京キー局の番組でコメンテーターや番組MCを務めるタレントである。また、SNS投稿ではないが、この新型コロナウイルス感染拡大という緊急事態が、厚労省が性産業・所謂水商売を差別する役所である、というか大臣もそれを否定しないどころか妥当だとしているので、現政権はあからさまに差別を容認する肯定するということが白日の下に晒された。
これらの件に限らず、オリンピックの延期が決まるまで政府も都も積極的な対応をしていなかったこと、その後も自粛を要請するだけで補償には触れなかったことなども、緊急事態が露わにした政府関係者や都知事の本性だろう。また「フェーズが変わった」などとして、数日単位で言っていることがコロコロと変わったり、整合性に欠けることが露呈する主張をしている専門家・有識者も、それが彼らの本性・本質だ。
 つまり、今信憑性に欠ける人達、積極的な対策をしない人達、差別的なことを平気で言う人達は、平時にも同様である、ということを確実に覚えておく必要がある。でなければ再び騙されることになる。


 トップ画像は、Photo by Gabe Pierce on Unsplash を使用した。

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