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大統領のフリ見て我がフリ直して欲しい(期待薄)


 米朝首脳会談を2/27-28にベトナムで行うと、トランプ米大統領が、2/5に米議会で行った一般教書演説の中で明らかにした(日経新聞の記事)。昨年・2018年6月に行われた史上初の米朝首脳会談に続く2度目の会談だ。1度目に比べてこの件に関するメディアや日本国民の注目度は低いと言わざるを得ない。メディアや国民だけでなく、日本政府関係者の反応も薄い。2度目の会談だからということもあるだろうが、果たして理由はそれだけだろうか。個人的には、単なる顔合わせになるだけで、種々の問題に関する期待感が薄い、つまり会談で何かしらの成果、問題解決に向けた進展が期待できないという認識が支配的なのではないか?と感じている。
 前回の会談の直前に行われた日米首脳会談では、拉致問題について解決に向けた最大限の努力をするという姿勢をトランプ氏は示していたが(2018年4/20の投稿)、結果がどうだったのかは誰もが知るところだ(2018年6/13の投稿)。北朝鮮にまつわる問題は拉致問題だけではないが、このような事があれば、少なくとも日本人の多くは期待など感じられないだろう。北朝鮮の問題について、韓国を除けば最も関心があって然るべき日本での反応がこの程度ならば、他国では当然それ以下の扱いなのだろうと推測する。


 「米朝会談に意味はない」とは言わないし、自分以外の多くの人もそう思っているだろう。2018年6/13の投稿でも書いたが、これまでお互いに「悪の枢軸」「侵略者米帝」などと言い合いを続け、武力の誇示を繰り返してきた国の首脳同士が、実際に顔を合わせて会談を行うだけでも確実に進歩的ではある。例えばG7だって、既に実務的な意味ではG20の方が重要なのだろうが、「年に一回各国首脳が実際に顔を合わせる会になっており、しかしそれこそが重要」という見解もある。面と向かって対峙することには確実に意味があり、だから1度目の会談だけでなく、交渉の場を設ける努力をしている事は適切に評価すべきだと思う。
 しかしトランプ氏には、例えば1/29の投稿でも触れたように、自分を過大に評価する傾向も強く、実際の結果を大きく見せようとしたり、できもしない事への期待感を過剰に煽ったりする癖がある。米朝会談に関しても前述のように、1度目の会談の前に拉致問題解決に対する期待感を煽った割に、期待感を大きく下回る結果しか生まなかった。また、米朝会談の主題である北朝鮮の非核化に関しても、決して確実な成果が得られているとは言い難い。
 自分には、彼は米朝会談を政争の具にしているだけのようにも思えるし、日本のメディアや国民、政府の反応が概ね薄いという事は、多くの人がそう感じている事の現れなのだろうとも感じる。もしかしたら今後電話会談が行われる可能性もなくはないが、政治的な日程を勘案すれば、今回は前回のように、米朝会談前に日米首脳会談が行われる可能性は薄そうだ。

 最近は安倍首相がトランプ氏との距離の近さを誇るような場面も少なくなったが、彼は恐らくどの国の首脳よりも、トランプ氏との距離の近さをこれまで誇ってきた筈だ。世界で1番は言い過ぎだとしても、少なくともオバマ前大統領に対してよりも、確実にトランプ氏との親密さのアピールの方が強い。
 この話も何度か書いているような気がするが、安倍氏とトランプ氏は、
 過剰な自己評価をしがち、自己都合で嘘をつきがち
という共通点がある。これだけを書くと誹謗中傷になる恐れもあるので根拠を示しておく。前者については、アベノミクスとやらの成果を必要以上に主張することをこれまでも繰り返してきた。例えば、1/30の投稿で書いた「戦後最長の景気回復」などの表現や、物価が上がった結果、実質賃金は寧ろ減っているのに、株価の上昇や失業者数の減少だけを強調するような表現をすることがそれに当たる。また「嘘」については、1/8の投稿で書いたように、福島の汚染水・原発事故処理について「アンダーコントロール」と言ってみたり、必ず実行するとした消費増税の再延期について「新しい判断」なんて言ってみたり、移植していないサンゴを「移植した」と言ったりするなど、大小合わせれば枚挙に暇がない。

 彼は2/10の自民党大会での演説の中で、12年前の参院選で負けたことで「悪夢のような民主党政権が誕生した」と述べたそうだ(読売新聞の記事)。彼は当時の民主党政権を「決められない政治」とも評したようだ(日刊スポーツの記事)。確かに当時の民主党政権は、足の引っ張り合いが酷い決められない政権だったのは事実だろう。しかし現在の、適切な自己評価が出来ず、嘘にまみれた首相/党総裁の下で、適切な議論をすっ飛ばして数の力で強引に法案を可決成立させていくような、言い換えれば「強引に決める政治」が好ましいだろうか。感覚は人ぞれぞれだろうから、やむを得ないと思う人もいるかもしれないが、決して好ましいとは言えないだろう。個人的には寧ろ、嘘や情報の隠蔽・改ざん・捏造が横行する現政権の方が悪夢のようだと感じている。
 こんな状況でも、安倍氏はまだ独裁者とまでは言えない。しかし、政府と与党が一体となり、数の力に任せて適切な議論を行わずに法律を強引に成立させていく状態は、一党独裁状態の入り口にあると言っても過言ではない。日本ではまだ民主的な選挙が行われているので厳密には一党独裁の範疇には入らないのかもしれないが、悪名高きナチス政権も民主的な選挙の結果成立した政権だ。現在の政府与党には、徐々にナチスや中国共産党のように、国民の権利を軽視する側面や、制限する方向へ変質している要素が既にいくつか見られる。

 このようなことを書けば、「大袈裟、取り越し苦労」などという反応もあるのだろうが、少なくとも彼が、これまでに複数の嘘を国民に対してついてきたのは事実であって、独裁の懸念云々という話以前に、堂々と嘘をつく者が国のトップの座にある事は、国民として恥ずべきなのではないだろうか。あからさまな嘘をつく者をトップに選ぶ国民が、他国からどのように見えるかはアメリカを見れば分かる事だろう。また、あからさまに嘘をつく者はその程度にしか扱ってもらえないので、まともな外交交渉の相手と考えて貰えるはずがない。

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