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合理的な批判と誹謗中傷の区別がつかない人達

という、落語家・立川 志らくさんのツイートがタイムラインに流れてきた。志らくさんが事実を正しく認識しないままに厳しく人を批判、つまり適切とは言えないような批判をしているのもしばしば見かけるのだけど…と感じつつも、誤解・誤認は誰でもあり得ることで、それを指摘された際に素直に受け入れて「誤認だった」と表明している場合もあり(ただ、誤認と認めない場合もある。しかしその中には誤認か否かが明確に判断し難い案件もある)、要するに何が言いたいのかと言えば、(当然のことなので本来はこんな前置きをする必要もないのだが、)自分と志らくさんの考えは常に同じではないが、このツイートには共感できた。


 しかし一方で、そもそも批判と小馬鹿にしたり罵詈雑言を吐くことの区別がつかない者も多く、そのような人達に志らくさんの主張が理解されないのは必然としか言いようがない。ツイッターを利用していると、誹謗中傷としか思えないような人格否定発言をしているにも関わらず、それを指摘されても「批判の何が悪い」と言い始める者や、妥当な範囲の指摘・批判をされて合理性のある反論が出来なくなると、その妥当な批判さえも「ただ単にマウンティングしたいだけ」と言い出す者にしばしば、というか頻繁に出くわす。そのようなタイプの者はツイッターやネット以外、つまり実社会にも相応に存在し、遭遇することがあるにはあるが、志らくさんの言うように、ネットという顔や実名が見え難い状況になると、そのようなタイプは、厳密には実社会ではそのような側面を出せないタイプの人間も、そのようなことを言いがちになってしまうので、ツイッターではそんなタイプに頻繁に出くわすのだろう。
 ツイッターやSNSの流行以前に匿名主張の主戦場であった2ちゃんねる(現5ちゃんねる)も、今のツイッターやSNSと似たような状況で、「便所の落書き」、つまり取るに足らないいい加減な主張のるつぼだと揶揄されていた。勿論当時の2ちゃんねるにも今のツイッターやSNSにも有益な情報もあるのは事実だが、批判と誹謗中傷の区別がつかない者の主張が比較的多いのもまた事実だろう。
 余談だが「いじられる側に原因があるのではなく、いじめる側が圧倒的に悪い」という話が一般的だ。確かにその主張は概ね正しいが「いじめられる側がいじめられる原因を作っている」ケースもしばしば存在すると考える。勿論「だから一方的にいじめられても仕方がない、いじめてもよい」という話ではない。ただ、他者を小馬鹿にしたような発言をしたり、態度を示したことがいじめの原因の一つになる場合というのは確実にある。


 批判と誹謗中傷の区別がつかない者というのは、他者を小馬鹿にしたり罵詈雑言を吐く者に限定できない。それをしない者の中にもその区別がつかない者は存在する
 1/10の投稿「SNSのブロック機能の副作用」では、気に入らないリプライをするアカウントを簡単にブロックする者の存在や、その結果どのような影響があるのかについて書いた。掻い摘んで説明すれば、
 攻撃的な主張に晒されたり、誹謗中傷を受けた人がストレスを軽減する為、緊急避難を行う為の機能としてブロック機能には確実に必要性があるが、しかしその一方で、自分とは異なる主張を片っ端からブロックし、見たいものしか見えない状況をつくることは、ネットやSNSの仕組み自体がフィルターバブルに陥りやすく、個人的な嗜好・指向によって接する情報に偏りが生まれやすい構造なのに、更にそれに拍車を掛ける恐れがある
という話だ。

 日本を活動拠点とするドイツ出身の作家・タレントのサンドラ ヘフェリンさんが、3/23の投稿でも触れた、通訳業の女性がピエール瀧さんにコカインを譲渡したとして逮捕されたという報道や、彼女がテレビ東京の人気外国人バラエティー番組「Youは何しに日本へ?」でも通訳をしていたという報道を受けて、
とツイートしていたので、
とリプライしたところ、彼女にブロックされてしまった。彼女がどんな姿勢でツイッターを利用しようが、どんな基準で他のアカウントをブロックしようがそれは彼女の自由だし、また彼女がどんな思いで自分のことをブロックしたか定かではないが、自分には、彼女は「意に反するリプライ」をされたからブロックしたんだろう、としか思えない。つまり彼女も批判と中傷を区別できないタイプなのだろうと自分には思えた。

 元テレビ東京報道局所属、現在は独立した文筆家である青木 俊さんが、
とツイートしていたので、4/10の投稿「「安倍政治を終わらせる」というスローガンのダメさ加減」から引用し、その投稿へのリンクも添えた、
から連なるリプライをしたところ、彼にブロックされてしまった。
 まず最初に言っておきたいのは、昨日の投稿4/2の投稿で現政府や首相の嘘を多数指摘しているように、自分は現政権の姿勢には懐疑的というか、安倍氏は首相として不適切であると考えている。しかし「安倍政権を終わらせる、反安倍」ということを前面に出して支持を求める姿勢にも懐疑的で、それを望ましいとは思っていない。なので4/10の投稿を書いたし、青木さんへもそれを引用してリプライした。
 青木さんは「反安倍の風を起こさないと選挙には勝てない」と言っている。それはつまり「反安倍という風によって野党がまとまらないと選挙に勝てない」という意味だろう。しかし、選挙に勝つには「反安倍」が重要なのではなく、「野党勢力がまとまる」ことが大事なはずだ。彼が反安倍という旗印に懐疑的な主張をしたことだけを理由に自分の事をブロックしたのであれば、彼にとっては「反安倍こそが重要」であって、そう考えない者は切り捨ててもよいと考えているとも思える。現政権に懐疑的な野党勢力の結集、現政権に懐疑的な有権者に投票を促し、一人でも多く現政権に疑問を呈する事のできる政治家を国会に送り出すことが最も重要である筈なのに、「反安倍という旗印」に懐疑的なリプライをしただけでそのアカウントをブロックしているようでは、彼は一体何をしたいのか?ということになるのではないか。
 彼は野党の政治家ではなく単なる文筆家だが、それなりに影響力のある立場でもある。彼が自分をブロックしたのと同じ様な基準で他のアカウントもブロックしているのだとしたら、彼にブロックされたことによって「野党を支持する者はそんな了見の狭い人達なのか」と考える者もいるかもしれない。それによって野党への投票が少なからず減る恐れもある。それでは彼が結果的に野党勢力とその支持を妨害している側面があることにもなりかねず、彼の姿勢は本末転倒と言わざるを得ない。前述したように彼がどんな姿勢でツイッターを利用しようが、どんな基準で他のアカウントをブロックしようがそれは彼の自由だし、また彼がどんな思いで自分のことをブロックしたか定かではないが、自分には、彼は「意に反するリプライ」をされたからブロックしたんだろう、としか思えない。つまり彼も批判と中傷を区別できないタイプなのだろうと自分には思えた。

 大量にフォロワーを抱えるような人達の元には、恐らく山のように誹謗中傷まがいのリプライや、論点のすりかえのような所謂クソリプが寄せられるのだろうから、彼らのようなブロックの運用になってしまうのも仕方のない側面はあるのかもしれないが、自分は自分の反論・リプライが誹謗中傷とは全く思えないし、そのようなリプライに対してブロックするという行為自体も、結局のところ批判と中傷の区別が出来ない者であるということの表明に他ならないように思う。
 前述したが、
 自分とは異なる主張を片っ端からブロックし、見たいものしか見えない状況をつくることは、自ら視野狭窄に向かうことになる
と改めて強調しておきたい。しかも文筆家のように自分の主張を世に出すことを生業とする人間が、そのような状況に陥るのは致命的なのではないだろうか。

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