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台風に関する報道から考える、報道の役割と責任


 「カメラマンやジャーナリストは視覚と聴覚を、限定的にではあるが拡張してくれる存在。彼らがいないと自分の行動範囲が世界の全てになってしまう」というのが、BuzzFeed Japanの記事「「写真で関心を呼び起こしたい」「僕は写真に嫉妬する」紛争地を取材する作家とフォトグラファーが語り合った」を読んでまず最初に感じたことだ。世界各地で紛争が続き、移民・難民の問題が深刻化しているが、「わざわざ日本人が現場取材に行く必要はない」という声が一部で上がり、政府から旅券返納命令や、旅券の発給拒否を受ける記者が相次いでいることなどについて書かれた記事である。


 2018年11/12の投稿など、この話題には何度かこのブログでも触れてきた。「わざわざ日本人が現場取材に行く必要はない」派の人達がそう主張する根拠とするのは、
  • 今はSNSで誰もが発信できるので、取材せずとも現地の人が自ら情報を発信する
  • 政府機関が市民に情報を提供するので、危険を冒して個人が取材する必要はない
などだが、それらの認識は妥当とは言えない。そもそもネット環境・電源環境は世界中どこでも充実しているわけではない。政府が常に正しい情報を提供するという保障もない。つまり、正確な情報を手に入れる為にはより多くの目と耳が必要である。
 「危険が伴うから個人が取材する必要はない」という話がもし妥当ならば、10/7の投稿でも触れたように、6月から毎週デモが続いている香港では、インドネシアのジャーナリストが取材中に警察の発砲したゴム弾で右目を失明するという事案が発生しており(香港デモ、外国人記者が警察のゴム弾で片目失明 - BBCニュース)、今後情勢が更に悪化すれば、取材に向かおうとするジャーナリストの渡航が「危険だから」という理由で制限されるかもしれない。もしそうなれば、日本のジャーナリストが香港の現状を直接的に伝えることができなくなってしまう。
 6月から香港に関する状況を見ていて感じるのは、現地の状況を主に伝えているのはフリーのジャーナリストたちだということだ。日本の大手メディアも取材には行っているようだが、彼らが取材に向かうきっかけは、フリージャーナリストらが現地の状況を伝えたことで生じたとも言えるだろう。また、香港情勢に関して日本政府から多くの情報が市民に提供されているかと言えば、全くそうとは思えない。
 しかも、このブログではもう何度も書いているように、今の日本政府は平気で嘘をつくような状態だ。嘘が常態化している政府かどうかは別として、政府から情報が提供されていたとしても、その情報が全てだと考えるのはとても危険だ。日本国憲法第12条に、
 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない
とある。人間とはどこまでいっても不完全な存在であり絶対はあり得ない。しかし一つだけ絶対と言えることがある。それいは「絶対○○ということは絶対にありえない」ということだ。つまり、たとえ現時点でまともに見える政権であっても、変質してまともでなくなる恐れは確実にあり、今もまともに見えない政権なら尚更であり、たとえどんな政権であっても過信・妄信してはならないし、変質しないように常に目を光らせ耳を立てておかねばならない。それが12条に書かれている「自由と権利を保持する為の不断の努力」の1つだ。

 私たちの視覚と聴覚を、限定的にではあるが拡張してくれるカメラマン・ジャーナリスト、つまり報道は、国家権力とは一定の距離を保っていてもらわないと機能不全に陥る恐れがある。報道が機能不全に陥るということは私たち自身が目隠しと耳栓をされるのに等しい


 昨日は今の家に住み始めて初めて雨戸を閉めた。自分が住んでいる関東を、日本の観測史上でも10本の指に入るであろう強力で大きな台風・19号が直撃することが確実視されていたからだ。元BuzzFeed Japanの編集長・古田 大輔さんは、台風直撃から一夜明けた今朝、このようにツイートしていた。


 確かにテレビ各局・そして新聞各紙やWebメディアも、近年増えている豪雨災害や台風による災害等での経験を活かし、今回の19号に関しては金曜日頃から事前対応の重要さを訴え始め、中部関東で雨が降り始めた土曜の朝から、特にNHKは予定を変更して台風に関する報道に多くの時間を割き、しかも夜通しで生放送するなど、常に変遷する状況を伝えていた。ツイッター上には他にも、「NHKをぶっ壊したらいけないと実感した」という旨の投稿がいくつか見られた。

 自分はツイッターのタイムライン冒頭に、現在


という投稿を固定している。また、これまで何度もNHKの報道、特に政治報道に関する不信感を、このブログなどで訴えてきた。先月辺りからは8/31の投稿などでも書いたように、NHKに限らずテレビ報道全般への失望もある。更に、9/3の投稿10/5の投稿でも書いたように、不信はテレビ報道のみならず、出版/新聞にも及び始めている。しかし前述のように、今回の台風に関する報道姿勢は、どこの報道機関も概ね誠実だったし、特にNHKはその役割を十二分に果たしていたように感じた。
 作家でありジャーナリストでもある猪谷 千香さんも、台風が東京を通過して間もない今日の早朝にこんなことをツイートしている。


 確かに、古田さんの言うように、今回の台風に関するNHKの姿勢はとても真摯だった。猪谷さんの言うように「NHKの受信料はこんな時の為払っている」とも思う。
 しかし、緊急時だけ真摯な姿勢だからとNHKの現状を褒め称えることはできない。平時の政治報道に対する姿勢は今回の台風や被害に関する真摯な報道姿勢とは明らかに異なり、忖度に塗れているとしか思えない。 「NHKの受信料はこんな時の為払っている」のは事実だが、「こんな時の為だけに受信料を払っているのではない」のもまた事実だ。台風報道だけでなく、平時の報道、特に政治報道も全力を挙げて、忖度無しで報道して貰わねば困る。
 そしてそれはNHKに限った話ではなく、他の報道機関も同様だ。但しNHKは、私たちが支払う受信料によって運営されおり、他の報道機関以上に私たちの目と耳を担って貰わなくてはならない。今回の台風に対する報道姿勢を、是非他の報道、特に政治報道でも発揮して欲しい、発揮して貰わないと受信料を支払っている意味がない


 トップ画像は、TeroVesalainenによるPixabayからの画像 を加工して使用した。

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