安倍 晋三はとことん卑怯だ。以前から卑怯な男だとは思っていたが、桜を見る会の問題や新型コロナウイルス対応を見て心底そう思う。その思いが更に強くなった。今年の国会での答弁は、というか、今年の国会の答弁”も”の方が正確なのだが、勿論直近で印象が鮮明であるということもあるだろうし、感染症の拡大という重大な局面であるということも大きな理由だろうが、そう思えて仕方がない。
安倍 晋三は責任から逃れることを兎に角重視している。これは間違いない。「そんなことはない」と思うのは個人の自由だろうが、そう思う人のことも、安倍 晋三と同様に軽蔑する。何故なら、そのように考えることは、安倍 晋三の責任逃れに加担するも同然で、それによって、この国の政治制度や法治、社会状況を悪化させる恐れが強く懸念されるからだ。
安倍 晋三の責任逃れの方法は大雑把に言って3つある。実際には、
私や妻がこの認可あるいは国有地払い下げに、もちろん事務所も含めて、一切かかわっていないということは明確にさせていただきたいと思います。もしかかわっていたのであれば、これはもう私は総理大臣をやめるということでありますから、それははっきりと申し上げたい、このように思いますや、ヤジを指摘された際などに行う「逆ギレ」や、通常運転で多様する、関係ないことを喋りまくるなどして「時間稼ぎする」、のらりくらりと「ほとぼりが冷めるのを待つ」 、事実を捻じ曲げる「改竄や捏造、歪曲」を行うなど、細かく言えば他にも責任逃れの手法は多様だ。
しかしそれらの手法も、大まかに言えばこれからあげる3つのどれかと重なる部分があり、 ここでは便宜上3つに集約できるということにする。
責任逃れの1つ目の手法は「話を曖昧にする」だ。関係のないことをベラベラ喋ることにも「話を曖昧にする」要素がある。しかしもっと直接的に、言葉を言い換えることで論点を曖昧にしたり、定義の定まらない表現を持ちいて、更に定義を問われても尚明確に答えず、後に行われる批判や追求を交わす種を蒔いたりもする。
直近で言えば、3/17の投稿でも触れた
ウイルスに打ち勝つ証しとして(東京オリンピックを)完全な形で実現することにG7の支持を得たがその典型的な例だ。翌日に一応、五輪担当大臣が「完全な形での東京オリンピックの開催」とは「延期も規模縮小もせず、観客も入れて予定通りに開催」することであるという見解を示したものの、安倍 晋三自身その定義を会見で明確にしなかった。そして今日の国会答弁では、
IOCの判断は私が申し上げた完全な形での実施という方針にそうものであり、仮にそれが困難な場合には、アスリートを第一に考え、延期の判断も行わざるを得ないと述べ、報道各社は一斉に「完全な形困難なら延期判断も」という旨の見出しで報じている。
安倍総理 五輪「完全な形でできなければ延期も」
安倍首相「オリンピック、完全な形困難なら延期判断も」参院予算委で - 毎日新聞
しかし、 毎日新聞の記事には
首相は16日の主要7カ国首脳とのテレビ電話会議で「完全な形」で五輪を開催する方針を説明したと強調。そのうえでIOC理事会に先立つ22日夜に大会組織委員会の森喜朗会長を通じ、バッハIOC会長に「規模は縮小せずに観客も一緒に感動を味わっていただく方針の下、準備を着実に進めていく」との考えを伝えたと明らかにした。ともある。各社が報じているように、安倍氏の「完全な形」の定義は、延期も規模縮小も無観客も行わない、全く予定通りの開催だったのか?には疑問を感じる。彼は今後、延期を除外し、規模縮小もせず無観客でもないことを「完全な形」と表現したという体裁にスライドしていくのではないか?と懸念する。
安倍 晋三の責任逃れの手法その2は、旗色が悪くなると「他の者に代弁させる」だ。
この手法の直近での例は、全国一斉臨時休校だ。安倍氏は2/27、突如全国一斉臨時休校の要請を行った。2/28の投稿でも書いたように、共働き世帯の子供の面倒を誰が見るのか、医療や介護を含む様々な労働現場が立ち行かなくなる、非常勤講師や給食等業者の収入が突然無くなるなど、生じる余波への対応策のない行き当たりばったりな方針だ、という様々な批判と悲鳴、不満が瞬く間に噴出した。
自分が表明し非難轟轟だったこの一斉臨時休校に関して、安倍 晋三は現在萩生田文科大臣を矢面に立たせている。感染の急激な増加が起きかねないとし、民間イベントに中止要請を出すのに、一方で休校要請の延長は行わないという政府の方針は支離滅裂だ、という指摘を昨日の投稿で行ったが、その延長しない方針を示したのは安倍本人ではなく萩生田氏だった。また、今日の国会でも萩生田氏がそれについて答弁している。
萩生田文科相「感染状況は爆発的でなく、原則として全ての学校再開」 参院予算委で - 毎日新聞
安倍氏は自身が言い始め、批判が集中した事案から逃れ、距離をとることができ、萩生田氏は萩生田氏で「自分が始めたことではないことの後始末をしている」という体裁で、役割を果たしている感を演出することができる、という形式の責任逃れが行われている、と自分は考えている。
安倍 晋三の責任逃れの手法その3は、代役すら立てずに「表舞台から逃げる」だ。
新型コロナウイルスへの懸念が初めて報じられたのは1月初旬だった。毎日新聞は1/2には既に、
中国・武漢で原因不明のウイルス性肺炎 7人が重篤に SARS再来懸念も - 毎日新聞
と報じている。その後帰国者や中国からの渡航者、それらの人達と接触した人らから、日本国内でも感染者が出始めた。そして感染者が確認されたクルーズ船が横浜港へ入ったのが2/6だ(クルーズ船横浜着岸 感染新たに10人、指定病院へ搬送 | 社会 | カナロコ by 神奈川新聞)。そして安倍氏が「先手先手の対応を」と感染症対策会議で述べたのが2/16のことである(新型肺炎 首相「打つべき手を先手先手で」 政府が対策本部・専門家会議開催 - 毎日新聞)。
しかし、この新型コロナウイルスに関する会見を安倍氏が初めて行ったのは、前述の休校方針を表明した後の2/29だった(令和2年2月29日 安倍内閣総理大臣記者会見 | 令和2年 | 総理の演説・記者会見など | ニュース | 首相官邸ホームページ)。一応国会審議の中では新型コロナウイルス対策について答弁することはあったが、国会での安倍氏は聞かれてもいないことをベラベラと喋り、肝心な質問の趣旨には答えないこともしばしばで、というか寧ろそのようなケースの方が多いし、現在の国会での政府側答弁は、事前に通告される質問内容に鑑みて官僚が用意した文面を読み上げるだけの側面が強く、質問に真正面から答えないことの方が多い。また、官邸で安倍氏が所謂ぶら下がり会見に応じる姿も、1-2月の間殆ど見た記憶がない。
更に、2/29の会見も、結局は記者クラブの事前打ち合わせの下で行われた茶番に過ぎなず、予定になかった質問は打ち切りという形で退けていた(3/1の投稿)。それは、2/28の次に開かれた3/15の首相会見も同じで、前回の批判を受けて一応予定外の質問を受け付ける姿勢だけは見せたものの、その後帰宅するだけなのに途中で質問を打ち切って会見を終わらせたことに変わりはなかった(3/15の投稿)。
「会見を行ったのだから、自ら矢面に立っているではないか」と反論する者もいるだろうが、概ね事前打ち合わせしたことにしか答えなかったり、官邸でも都合の悪い記者の呼びかけには応じないなど、決して誠実に対応しているとは言えない。寧ろ都合の悪いことは無視していると言った方が実情に即している。
この「矢面に立たない」という行為には、「ほとぼりが冷めるの待つ」という側面もある。
人間誰しも苦境に追い込まれたら、ストレスから逃れる為に大なり小なり責任逃れを行う。それは決しておかしなことではない。あまりにも生真面目に責任に向き合い過ぎると、人によっては鬱になってしまったりする。
しかしどんなことにもバランスや程度というものもある。あまりにも責任逃れに終始し、都合の悪いことから目を背けてばかりいれば、批判されてしまうのは当然だし、首相は行政府の最終責任者であって、寧ろ責任を果たすことがその最たる役割の一つである。そんな立場の者が責任逃れに終始している状況は確実に健全とは言えない。
昨今役所や大きな企業などの責任逃れがしばしば目につく。国のトップが責任逃れに終始し、政治家らが
誤解を招いたなら謝罪し撤回するなんてことを平気で言うならば、責任を全うしようという真面目な人程損をする。そんな状況なら社会全般的に責任逃れが横行するのも当然だろう。