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すべての人間は生まれながらにして平等ではあるが…

 1万円札の肖像は、2024年前半に現在の福沢 諭吉から渋沢 栄一に変更されるそうだ(一万円紙幣 - Wikipedia)。一部メディアでは新しく肖像に採用される予定の渋沢 栄一を「日本資本主義の父」と紹介している(20年ぶりに紙幣刷新へ!一万円札の新しい顔 渋沢栄一は過去に“落選”していた!?その驚きの理由とは?)。


 コロナ危機下の実体経済の落ち込みに反して株価が高値をつけたり、貧富の格差がより鮮明になるなど、最早現在の資本主義経済は限界を迎えているように思えてならない。そんなタイミングで今更「日本資本主義の父」を最高額紙幣の肖像に採用するという日本のセンスは古すぎるのではないか。
 最早政府広報、というかプロパガンダ放送局と化しているNHKは、2/14に放送が始まる2021年の大河ドラマで渋沢 栄一を主人公にした(青天を衝け - Wikipedia)。個人的には近代・明治/大正/昭和初期が舞台の映画やドラマを見るのが好きだが、近年のNHK自体のイメージの悪さ、そして前述のようなタイミングで渋沢 栄一を題材にしたことなどを考えると、全く見る気にならない。

 現在の1万円札の肖像・福沢 諭吉の有名な言葉に「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず、と言へり」がある。これは彼の著書・学問のすゝめの冒頭の一節であり、アメリカ独立宣言の序文「すべての人間は、生まれながらにして平等である」を意訳して引用したと言われている(学問のすゝめ - Wikipedia)。
 しかし福沢 諭吉がここで言っているのは、「すべての人間は、生まれながらにして平等である」ではなく、「すべての人間は生まれながらにして平等であるが、学問に勤め物事をよく知る者と、無学な者の間には差が生まれる。だから学問にはげめ」だ。

 この学問のすゝめの冒頭で福沢 諭吉が言っていることは、今とても重要なことだ。

 昨今しばしば用いられる表現に「上級国民」がある。読んで字の如く、様々な場面で一般人よりも優遇される人達を揶揄したネットスラングだ(上級国民 - Wikipedia)。コロナ危機下においても上級国民という揶揄がしばしば行われている。一般市民に対する検査をこれまで政府が一貫して抑制してきたにもかかわらず、与党自民党が「本部全職員をPCR検査する」と1/29に言いだし、強い批判を浴びた。

なぜ「自民党本部全職員PCR検査」は大ブーイングを浴びたのか - 毎日新聞

 また、自民党の石原 伸晃がコロナウイルスに感染したと1/22に発表されたが、無症状にもかかわらず何故検査が行われたのか、入院先が決まらない一般市民の感染者が3万人以上もいると報じられている中で、なぜ無症状にもかかわらず石原は入院できるのか、などの声があがり、ここでも「政府与党関係者は上級国民か」という批判の声が上がった。

《新型コロナ感染》石原伸晃議員が見せた「リアル格差」で気づいた事実 日本政界の中心は“伸晃”にあった! | 文春オンライン

 「すべての人間は、生まれながらにして平等である」はアメリカ独立宣言の序文だが、日本国憲法でも14条で「すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」と、万人の法の下の平等を定めている(法の下の平等 - Wikipedia)。
 しかし現在の日本では、本来最も法を遵守しなくてはならない政治・政府が法の下の平等を蔑ろにしている状態だ。天は人の上に人をつくらなくても、政府と与党・自民党が人の上に人をつくっている。言い換えれば、自分達や利益相反関係にある者を一般市民よりも優遇する政党が自民党だ。

 その与党や自民党の中にさえヒエラルキーが存在し、上位に位置する者とそうでない者には扱い/対応の差がある。自民 松本、公明 遠山らが女性が接客する所謂クラブなど3店舗で会食や遊興していた件は1/29の投稿でも取り上げ、政治家が会食や外出の自粛要請に応じずに遊興しているのに、大手メディアが外出・訪問という表現を使って実態を捻じ曲げようとしていることも書いた。その直後に、

平気でウソをつく松本純議員 クラブホステス同伴? まだある同席2議員の“問題写真” | デイリー新潮

という記事が出た。自民 松本は当初「1人で陳情を聞きに言っていた」という旨の説明をしていたが、実際は他の自民議員2名も同席、更には接客業の女性と同伴出勤までしていた。
 この件に関して、公明 遠山は議員辞職することになったが、同じことをして、更に嘘の説明までした自民 松本ら役職の辞任と離党をしただけだ。公明と自民の党対応の違いとも言えるが、同じ与党でも主体側・自民所属議員は処分が甘く、非主体である公明議員の処分は厳しいとも言える。いや公明の処分が厳しいのではなく公明の対応が普通で、自民が嘘つきに大甘と言った方が正しい。

 そう言える理由は複数あるし、更にそれは自民党の中にさえヒエラルキーが存在することの証左でもある。
 まずは昨夜の首相ぶら下がりにおけるやり取りだ。

令和3年2月1日 新型コロナウイルスの感染症の現状等についての会見 | 令和3年 | 総理の演説・記者会見など | ニュース | 首相官邸ホームページ

 菅は、昨年末政府として国民に自粛を呼びかける中で、自身が忘年会/会食に勤しんでいたことが報じられた件(2020年12/16の投稿)を前提に、記者から「田野瀬副大臣の更迭について、お伺いしたいんですが、総理ご自身も、自粛を呼び掛けるの中で大人数で会食をされました。あの会食と、今回の田野瀬氏の会食、何が違うとお考えでしょうか?」と問われ、

私の時は大変申し訳ない、このように思っています。

と応じた。本来ここは「答えた」と書くべきなのだが、菅はこれに関しても、1/14の投稿で指摘したように、聞かれた「何が違うのか」ということに全く答えておらず、「答えた」とすることは不適切だ。
 それだけでも首相、というか政治家としての資質のなさが明らかだが、副大臣らが自粛を呼び掛ける中で会食したことを理由に更迭されるのが妥当なら、菅も首相を辞するのが筋なのに、自分の場合は「申し訳ない」だけで済まそうとしているのだから目も当てられないし、自民党の中にもヒエラルキーが存在し、上に位置する者の処分は甘く、下にいけば行くほど厳しい扱いを受ける、と言っても過言ではない。

 菅がここで「会食しただけでなく、その後嘘の説明をした為(田野瀬は更迭、自分は続投)」と説明していれば、まだ「私の時は大変申し訳ない」よりは説得力があったかもしれない。しかし菅の会食に関しても実際は忘年会・会食だったのに「忘年会ではない」「会食ではない」と言い張っている者がいる(2020年12/28の投稿)。そう明確に言い張っている幹事長の二階が処分をまったく受けていないのは矛盾しているし、菅本人も当初不明瞭な説明をしていた。
 更には、自民党は国会で118回も虚偽答弁を繰り返した安倍、そしてその安倍を擁護し続けた菅ら周辺を全く処分していない(1/26の投稿)。現首相/前首相や幹事長など党幹部は処分されないが、それ以外は嘘を吐くと処分される。つまり自民党にはもう自浄作用なんてのは全く期待できず、法の下の平等を蔑ろにして人の上に人をつくり続ける組織になってしまっている。

 なぜ民主主義的な制度が機能している中で、万人の法の下の平等を蔑ろにする党が与党となり政府を形成しているのかと言えば、有権者が学問、過去の失敗などを軽んじているからだ。だから今こそ福沢 諭吉が学問のすゝめの冒頭「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず、と言へり」から続く一節で言っている

すべての人間は生まれながらにして平等であるが、学問に勤め物事をよく知る者と、無学な者の間には差が生まれる。だから学問にはげめ

がとても重要なのだ。政治に興味を持たない者、つまり無学な者は搾取される側から抜け出せない。搾取されたくなかったら相応の知識を身につけ、政治家の性善性に頼ったりせずに、しっかりと監視を続けなくてはならない

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