筑波大付属坂戸高校では、4月から制服に加えて私服を導入し、校則に15項目あった「整容」の規定を、「学校生活にふさわしい服装と容姿を、状況や他者にも配慮して自身で判断すること」のみにしたそうだ。生徒会総会で「ピアスはなぜ禁止なのかを先生は説明できるのか」などの疑問が投げかけられたのをきっかけに、生徒会を中心に学校側と協議した結果らしい。
先生、ピアスはなぜ校則で禁止? 私服勝ち取った2年間:朝日新聞デジタル
- これからの時代、自分で問題を解決できる能力がないと、『自分で考えなさい』と言われて育った外国の人に太刀打ちできない(海外での教員経験がある同校教員)
- いきなりファッショナブルになる人もいれば、『これはいいの?』と一つ一つ聞いてくる人もいる。校則に従ってきたこれまでから急に自由になったので、みんながなじむのに時間はかかると思う(生徒会長)
- 個々が自分で考え、判断していくのが新しい校則の理念。この大前提をみんなに浸透させていくことが今の課題です。校則があった方が楽と思ったこともあるくらい大変ですが、自由を守りたい(生徒会長)
- 全員が自分のこととして考えてほしい(生徒会長)
自分はこれまでに「保護と称して機会を奪うことの不合理」(2020年10/19)、「封建的な学校教育が持つ虐待的側面」(2020年12/22)、「あだ名禁止の浅はかさ」(2021年2/22)など、何度も子供が能動的に自ら思考し、それに基づいて行動する機会を奪い、ただただ大人の言いなりに従わせる行為は、程度によっては虐待にすらなる、と何度か指摘してきた。
制服なんてのはその最たる存在で、大人が考える「学生らしさ」の押し付けでしかないと思っている。身だしなみを整えることを教えるのも教育のうち、なんて言う人もいるが、自分が通っていた中学高校の教員には、自分は夏はTシャツ短パン、冬はジャージで授業し、それに準ずる服装で通勤する癖に、生徒の身だしなみ云々なんてどの口で言うのかと思っていたし、その種の教員は決して珍しい存在でもないだろう。つまり身だしなみ云々なんてのは概ね詭弁でしかない。
そもそも、自分の頭で考えて、必要性に駆られて身につけた身だしなみ感覚でなければ、そんなものは付け焼き刃にしかならないし、押し付けは決して教育ではない。「考えるな、従え」は奴隷根性を植え付けるに過ぎない。
「考える」と言えば、首相の菅は、1/8に出演したテレビ朝日・報道ステーションのインタビューの中で、「(緊急事態宣言を)1カ月やってみて、結果が今一つ出なかったら対象拡大ですとか、延長した時にもうちょっと厳しくなっていくとか、そういうこともあるんですか?」と問われ、「まああの、仮定のことは考えないですね」と言っていた(1/27の投稿)。これは、安倍による前政権の頃から、政府関係者が都合の悪い質問に直面した際に頻繁に用いていた詭弁、「仮定の質問には答えない」の亜種である(4/12の投稿)。
しかし、遅々として接種が進まず、ワクチンの使用期限切れによる大量廃棄すら懸念されるような状態で、今更のように接種予約手続きが不具合だらけという状況の、日本の新型コロナウイルスワクチン政策の酷さを見るに、菅は本当に何も考えていなかったのだろう、という感しかない。新型コロナウイルスの感染拡大が始まって既に1年以上、菅が首相になってからでも半年は猶予があったのに、政府はなにも準備をしてこなかった。その結果がこの体たらくだ。半年前から準備をしていてこの結果であれば、それは無能が政治をやっているということにほかならず、つまり考えてこの結果だろうが、何も考えずにこの結果だろうが、どちらにせよ落第だ。
にもかかわらず、政府幹部や関係者は、「安心安全なオリンピックを開催することが出来る」なんて妄言を吐いている。どうやって? と聞かれても具体策は示さずに。
昨年の春頃、日本の状況は欧米比べてかなりマシな状況だった。しかし今はどうか。それらと比べて最悪とまでは言えないかもしれないが、欧米では概ね状況が改善しつつある中で、日本は確実に悪化の一途をたどっている。しかも今もまだ、新規感染者/死者が増えるという、悪化の只中にある。感染拡大の抑止も出来ず、ワクチン接種もおざなりな対応しかできない者らの言う、「安心安全なオリンピックを開催することが出来る」なんて話を、一体誰が信用できるのか。
フランス紙が大特集「いままで日本国民のためにしてこなかったことを、選手団のためにはするのか」 | クーリエ・ジャポン
これはクーリエジャポンが、フランス・リベラシオン紙の記事を元に書いた記事である。見出しにもなっているこの指摘は、本来は日本の大手メディアから出てきて然るべきことなのだが、このような論調は、日本の大手メディアからは殆ど聞こえない。恐らく日本の大手メディア、その関係者らも、自分の頭で考えて記事を書くことができないのだろう。だからこのような論調が出てこないのではないか。
「考えるな、従え」を柱にした教育まがいの何かを、何十年も続けてきた結果が、日本人以外なら少し考えれば分かるようなことを、政府もメディアも、そして国民の多くも考えられないような、今のこの国の状況なのだろう。
トップ画像には、Gerd AltmannによるPixabayからの画像 を使用した。