トヨタを代表する車種・クラウンは、セダンとしては現行型(220系)が最終モデルになる、今後はSUVモデルがその名を引き継ぐ、つまりクラウンがSUV化するという噂があることは、6/24の投稿で触れた。そのクラウンの名を冠するSUVがとうとう発表された。
但し、発表されたのは日本ではなく中国でだ。
トヨタ、新型SUV「クラウン クルーガー」中国でデビュー 価格27万5800元から - Car Watch
7/25の投稿でも触れたように、クラウンはトヨタの北米輸出モデル第一弾だったが、性能面で劣り失敗、一方で国内では純国産車として評価され、1970年代以降は基本的に日本専売モデルになった。
なので、今も多くの日本人は、クラウンは今も日本でしか販売していない、今となっては珍しくなった日本専売車種、というイメージを持っているだろうが、ごく少数ではあるが香港や台湾でも販売されてきたし、2003年に登場した180系以降は、中国本土でも 皇冠 というモデル名で、一汽集団(厳密には一汽集団とトヨタの合弁会社)が生産販売している。
今回の発表はあくまでも中国市場向けの発表であり、中国向けモデルには独自仕様車も多い。クラウン クルーガ―の名称からも推測できるように、発表されたモデルは、オーストラリアでクルーガ―、北米ではハイランダーとしてラインナップしているモデルのフロントマスクを変更してクラウン調にしたモデルのようである。クルーガ―は、以前は日本でもラインナップしていたが、現在日本ではラインナップしていない。
話をまとめると、中国で既存モデルをアレンジしてクラウンの名を冠したモデルが発表された、だがセダンのクラウンの後継車種という発表ではなかったし、現行クラウンセダンの生産・販売終了がアナウンスされたわけではない、ということだ。
世界的なSUVブームであること、現在日本ではクルーガーをラインナップしていないこと、を考えると、このクラウンクルーガーが日本でも販売される可能性はないとは言えない。しかしトヨタに限らず、世界的なSUVブームであるにも関わらず、日本では市場規模が縮小しており、他国他地域でラインナップしているモデルが、特に車格の大きいSUVで導入されない事例が多いことに鑑みれば、日本へは導入されないとも予測できる。現行型クルーガーが日本では生産されていないことも、そう強く感じさせる。もしクラウンクルーガーが日本に導入されるなら、その場合は恐らく、クラウンのセダンがラインナップから落ちることになるだろう。
日本の自動車市場が縮小している理由はいろいろあるだろうが、何と言ってもG7中唯一20年前から賃金が増えていないのが大きい。賃金は上がっていないが新車価格は明らかに上がっている、ということについては6/24の投稿でも書いた。しかも高額所得者と低所得者への2極化傾向も顕著で、更に言えば、今後収入が増える可能性を見出せないが、低福祉・増税など更に出費は増えそうであるという社会の暗さもある。つまり新車を定期的に購入する余裕のある人が30年前に比べて減った、というのが、日本の自動車市場が縮小している要因だろう。キャンピングカーや車中泊がブームなのに、話題になるのは軒並み、軽自動車ベース、ということがそれを如実に物語っている。ハイエース等のベース車も全く話題にならないわけではないが、話題の中心はどう考えても軽バン/軽トラベースだ。
また、日本車の性能のよさ、耐久性の高さも日本の新車市場の縮小傾向の理由かもしれない。アメリカにおける所謂25年ルールの影響で、1990年代のモデルを中心に、日本の中古車が世界的な人気を博している、ということについては、2020年12/27の投稿で書いた。日本には厳しい定期的に車検を受けなければならない制度があり、その為日本の中古車は他地域の中古車に比べて品質が高く、しかも2000年代前半までの自動車は、今ほど電子化されおらず、修理やメンテナンスも比較的容易であり、その頃の日本の中古車は実用的な意味でも世界的に評価が高い。
これは言い換えれば、日本にはまだまだ走る中古車がゴロゴロしていて、しかも安価にそれが手に入る、ということでもある。
1990年代、映画の小道具として登場するテレビの殆どはSONYだった。それには、バブル只中の1987年にソニーがコロンビアピクチャーズを買収し、映画業界に進出したことの影響も大きいだろうが、ソニーと関わりがない映画でも小道具のテレビはパナソニックだった。つまり映画の小道具としてのAV機器は日本企業製が席巻していた。当時はまだ韓国勢も中国勢もいなかった時期だ。
2000年代前半もその状況はほぼ同じだった。映画の小道具として登場するパソコンで最も多かったのはAppleだったかもしれないが、Windows勢ならDellかVAIOだった。AV機器や家電ではサムソンやLGなど韓国勢が少しずつ台頭してきた時期であったが、それでも割合的にはまだ日本勢の方が多かった。しかし2000年代後半に入ると、日本勢に陰りが見え始めた。時期的には薄型テレビの普及期だ。
日本企業のテレビは高品質・高性能を謳っていたが、その分韓国勢よりも価格が高かった。日本ではブランド信仰が強く、多少高くても日本企業製が支持されたが、海外では価格と性能のバランスが評価され韓国勢がかなりの勢いで台頭し、その結果2000年代後半から映画の小道具としてのテレビも、徐々にサムソンやLGに置き換わっていった。そして2010年代後半に入ると、今度は中国勢が台頭し始め、00年代後半の日本勢の立場に韓国勢が回り、当時の韓国勢の立ち位置に中国勢がいる。
2000年代後半に、テレビがアナログ方式からデジタル方式に置き換わるという大きな変化があって、それ以前とそれ以後ではブラウン管/液晶等パネル解の像度が各段に違う為、その前後での性能差は圧倒的だった。ただ、2010年代後半に登場した4Kテレビについては、大型パネルを至近距離で見なければ、それまでのフルHDテレビとの差を強く体感できるようなものではなく、劇的な普及には至っていない。個人的な例ではあるが、実家リビングのテレビはフルHDですらない37インチHD(1280*720)パネルの、15年以上前のプラズマテレビだが、普段4Kモニタを使っている自分が見ても、汚いとか圧倒的な性能差があると感じることはほぼない。
マニアならその時々の最高スペックを追い求めるのだろうが、一般人はそんなことはしない。例えば、携帯音楽プレーヤーでも同じことが言える。デジタルオーディオプレーヤーの登場、というかiPodの登場はかなり革新的だった。それまでの携帯音楽プレイヤーはカセットテープ/CD/MDなどのメディアをアルバム単位で交換しなければならなかった。CD/MDはカセットテープに比べて巻き戻し/早送りの手間がないという意味では革新的だったが、いちいちメディアを交換する必要がない、というのは更に革新的な出来事だった。2001年に登場した最初のiPodの容量は5GBで、音楽ファンが手持ちの楽曲全てを持ち歩くことは出来なかったが、2005年に登場したモデルでは60GBに到達し、並みの音楽ファンまでなら、手持ちの楽曲を全てiPodで持ち歩くことが出来るようになった
今では、128GBのSDカードなんてのも珍しくなく、また携帯音楽プレーヤーはほぼスマートフォンに統合され、また音楽は基本的にネットを介して聞くものになった為、専用プレーヤーは既に過去のものになってしまった感があるが、スマートフォンへの統合に抵抗すべく、2010年代前半にハイレゾ、つまり高音質を謳うプレーヤーのリリースが相次いだ。だが、一般人にとってはMP3 320kbps程度の音質があればそれで充分だったからか、ハイレゾプレーヤーは一般的に広く普及するには至らなかった。
同じことはパソコンにも言える。
【大河原克行の「パソコン業界、東奔西走」】低迷する長いトンネルに入る国内PC市場。「2025年の崖」ならぬ「2025年の岳」が訪れる? - PC Watch
という、昨年はコロナ危機/家庭用需要増加に伴うパソコン特需があったが、それも今年は落ち着いてしまった、という内容の記事が昨日公開された。スマートフォンやタブレット端末の性能/機能が向上した結果、それまでパソコンで行われてきたことがそれらで出来るようになり、その結果ライトな使用にとどまっていた人達のパソコン需要が下がり、パソコン市場はこの10年、世界的に縮小傾向だった。この記事の見解が正しければ、昨年のPC需要増加はイレギュラーであり、今年は例年通りに落ち着いた、ということになるだろう。
例えば、4K画質以上・エフェクトを多用して動画を効率よく編集したいとか、最新のゲームを最高画質で動かしたい、などの目的があるのなら、どんどんパソコンを更新していく必要があるんだろうが、フルHD画質の一般的な動画編集なら、今ではミドルクラスのスマートフォンでも簡単にこなせる状況であり、仕事で必要だとか、Youtuberになって毎日動画編集する、のような場合でもなければ、5-7年前のPCでも事足りる状況で、つまり今は一般人にとって、パソコンは壊れたら買い替える程度の状況になっていて、しかも中古も充実した状態にあるし、自動車の項でも書いたように、生活に余裕のある人は多くない為、積極的に新品PCを買う人が多い状況でもない為、パソコンの出荷台数が増えないのも当然だ。
昨今、そこかしこでSDGsという単語を目にする。SDGsとは、Sustainable Development Goals の頭文字であり、日本語にすると ”持続可能な開発目標” である。もっと分かりやすく言えば、持続可能な世界を実現するために、2030年までに達成すべき開発目標だ。
SDGsってなんだろう? | SDGsクラブ | 日本ユニセフ協会(ユニセフ日本委員会)
日本企業も含めて、世界中の大企業は軒並みこのSDGsに肯定的で、自社はこれを達成しようとしている、というアピールをしているのだが、持続可能な世界の実現、を標榜する企業や組織が、消費者が次々に新しい商品に買い替えないと行き詰るような経済サイクルの中にあり、それを変えようとしないことには、大きな矛盾があるのではないか。
それについては、3/3の投稿 や 6/26の投稿 でも書いた。6/26の投稿で書いた、Windows11 がかなり多くの既存のPCを切り捨てようとしている、ということに関しては、Windows11はシステム最小要件を満たさない古いPCにもインストール可能になりそう、という話も出てきた。
恐らく、古いPCを切り捨てようとしたが予想以上に反感を買った為に、このような話が出てきたのだろう。それはあくまでも推測でしかないが、それでもやはり、おかしいと思ったらおかしいという意思表示をする、ことは大事だ。
スペインに半年ほど行ってきたきた友人が、スペインという国をこんな風に評した「スペインはもうだいぶ前の覇権国家で、今のスペインはどちらかと言えば貧しい部類なのだが、スペインの人達はみな、貧しいなりの楽しみ方をよく知っている」。
日本はいまだ1990年代以前の成功体験、過去の栄光にしがみつき、その時をもう一度、という感じが強く残っているが、実態は明らかに貧しい国に向かっていて、もうそうろそろそれを受け入れてシフトしていく必要があるんだろう。なぜなら、今の世界の現状を勘案すれば、1990年以前のような大量生産大量消費が今後戻ってくる筈もなく、そのような時代の中で成功した日本が、過去の栄光をもう一度同じ方法で取り戻すことはないだろうから。
トップ画像には、ソニーが世界を席巻した頃の象徴・トリニトロンのテレビを用いた。