大統領がSNSで批判的な有権者をブロックするのは、言論の自由を保障する合衆国憲法に違反する、米国ではそんな司法判断が示されている。大統領として情報発信しているにもかかわらず、大統領が批判的な有権者のアカウントをブロックすることは、批判を排除したり抑圧することにもなりかねない、つまり言論の自由に反する、という話だ。
- トランプ氏の批判者ブロックは「憲法違反」 控訴審判決:朝日新聞デジタル
- トランプ米大統領はツイッターでブロック禁止=ニューヨーク連邦地裁 - BBCニュース
- コラム:トランプ大統領によるツイッター「ブロック」は違法か | ロイター
この論理で言えば、大統領だけでなく政府関係者や国会議員、場合によっても地方レベルの政治家にも同じことは言えるだろう。しかし日本では、複数の大臣を経験した河野 太郎はブロック太郎としても有名で、また首相だった安倍も、河野ほどではないが批判的なアカウントをブロックすることで知られている。
そもそも、批判に耐えられないのは政治家の資質を著しく欠いているとしか言えない。勿論世の中には、批判と中傷の区別がつかずに明らかな中傷を平気でやるようなSNSの使い方をする人も少なくないのだが、河野や安倍などは明らかな中傷以外でも簡単に有権者をブロックするし、また政治家への中傷と風刺の境界線は曖昧なものであり、権力の勾配を考えれば、中傷めいた風刺もある程度は容認しなければ言論の自由を確保できない、という側面もある。
そのようなことを考えれば、政治家はSNS上で他者をブロックすることに自制的でなくてはならない存在だ。また、中傷めいた風刺をしてくる人も含めて、有権者に自分の政治的主張を届けなくてはならない責任がある立場でもある。また、議員などの所謂政治家に限らず、社会的活動を行い社会の変革を推進している立場の者であれば、自分へ反論してくる人たちにこそ主張を届けるべきであり、意見の異なる者は気に入らないのでブロックするということでは、何のために活動しているのか、がよく分からない状態になる。
2019年1/19の投稿でも書いたように、攻撃的な投稿や誹謗中傷に晒される事のストレス軽減・自己防衛の為にブロック機能が使われることを否定はしないが、ブロック機能には確実に副作用もある。ブロックには排除や締め出しの側面が確実にある。前段で書いた政治家による有権者のブロックはその最たる例だ。お前は気に入らない奴だから、お前には公的な情報を教えてやらない、という排除の側面がある。
ブロック機能が排除の側面を持つのは政治がらみだけに限らない。例えばグループの中で急に全員である一人を一斉にブロックすることは、勿論妥当な理由があればその限りではないが、いじめに使うこともできてしまう。学校のクラスや職場で、アイツ気に入らないから無視しよう、みたいなのと同じように。
包丁は料理にも使えれば暴力行為にも使えるのと同じように、SNS等のブロック機能も適切に使うこともできれば、妥当とは言えない使い方・場合によっては暴力的な使い方もすることができる。SNS等のブロック機能は、まだ包丁ほど何が適切で何が不適切な使い方かが明確化しておらず、現状は、暴力的な使い方が包丁以上にしばしばなされる、とも言るのではないだろうか。
この投稿でSNSのブロック機能に触れたのは、この数日でブロックに関連する2つの件を体験したからだ。1つ目は、このツイートに関連した件である。
このツイートをするにあたり、画像で引用されたツイートはあるスレッドの一部のようなので、実際のツイートを見て、どんな文脈でなされたツイートなのかを確認するべきだ、と思って、この郡司 真子のアカウントを検索したところブロックされていた。これは、秋元 康が紫綬褒章をもらう、というニュースにまつわる一連のツイートの中の1つなのだが、スレッド全般を読んでもこのツイートには全く共感できず、寧ろ否定的な評価しかできなかった。このことから考えれば、恐らく以前に自分が彼女が気に食わない内容のツイートをしたかなにかでブロックされたのだろう。
この件については、スレッド全体を読んでも評価は変わらなかったが、場合によっては前後のツイートを読むと評価が変わることもあるだろう。しかし、ブロックされていてスレッド全体を確認できないようにしていたら、もちろんログアウトすることで読むことはできるのだが、そのひと手間をかけさせることは全体を読ませないようにしているのも同然で、主張は確実に正確に伝わらない。
芸能界や性産業で若者、特に女性が搾取されやすい状況を変えたいのに、自分の主張を賛同してくれる人にしか届けない、自分の意に反する人は排除する、というのは一体何がしたいのかよくわからない。また、自分の意に反する人は排除する、という姿勢だと、自分にとって都合のよいことしか目に入らなくなってしまい、何か間違いを犯してもそれに気づけなくなってしまう。これは間違いなくブロック機能の妥当とは言い難い使い方の1つだ。壁を築けば分断は深まる一方だ。
2つ目は、この衆院議員 米山 隆一のツイートの引用リツイートにまつわる件だ。
これは、これまでに、4/6の投稿、4/10の投稿、4/17の投稿、4/18の投稿、4/20の投稿と、複数回にわたって書いてきた、4/4の日本経済新聞全国版に掲載された、ヤングマガジンで連載中の漫画「月曜日のたわわ」の全面広告の件などに関する話だ。
このようにツイートしたところ、米山にこんな風に引用リツイートされ、そして直後にブロックされてしまった。
自分のツイートの意図は、VTuberの使用について民間団体が抗議したり、自ら広告の在り方について提携した国際機関から新聞社が抗議されただけで「表現の自由が脅かされる!」と叫んでいる人達は、警察や政府などの国家権力が、何が卑猥で何が芸術/学術かを一方的に決める、そして規制したり、猥褻表現だとして罪とすることについては一切何も抗議もしないし、疑問すら示さないので、表現の自由とは何からの自由であるか、を根本的に理解していない、としか言いようがない、である。これは、性器や陰毛などが猥褻なのか、モザイクや修正が必要なのかどうか、芸術や学術であれば必要なく、娯楽であればアウトのような、日本の現状のおかしさ、それには表現の自由が脅かされていると言わないのに…という文脈の話だ。なので、日経とUN Womenの事を国家権力なんて全く言っていない。
今見れば、もっと分かりやすく書けばよかったのかもしれないとも思うが、米山も、こちらが日経とUN Womenの事を国家権力と言っている、と一方的に決めつけた上でバカにするようなツイートをして、しかもブロックして批判や訂正を許さないという態度であり、それが政治家・国会議員のやることなのか? としか思えなかった。
しかも米山がブロック直前に行った引用リツイートは、この投稿を書いている時点で、14件リツイートされ82件のいいねがなされており、つまり、少なくともそれ以上の人に、こちらが訂正できない状態なので、自分がおかしなことを言っている人に見えてしまっているのだ。これは政治家による不当な吊し上げ、いじめみたいなもの、とすら言えるのではないだろうか。
話の行き違い・勘違いは誰にでもある。だから米山がこちらの意図を勘違いしたことは仕方がないとしても、こんなブロックの使い方をされたらたまったものではない。また、こんなブロックの仕方をする、有権者の主張を一方的に決めつけた挙げ句に排除するということは、米山も表現の自由・言論の自由とは何かをよく理解できていない者の1人、ということにもなるだろう。
米山は比較的まともな政治家だと思っていただけにかなり残念だ。彼がバカげた批判、批判ともいえないような中傷に日頃から晒されていることは承知しているが、そうではない人までこうやって敵扱いしているのかと思うと、彼は無所属ではあるが、立憲民主党の会派に所属しているだけに、だから現在の野党の支持はいまいち広がらないのだろう、と強く感じられた。