動物には群れを作る種と単独行動の種がある。ただ、それはあくまでも基本的に、であって、たとえば野生の猫、つまり野良猫は群れで行動していることが多いが、中には単独行動を好む個体もいる。また、一匹狼という表現もあるが狼も基本的には群れを作る種だ。だが、群れの中である程度成長したオスは群れを離れて単独行動することがある。
では人間はどうか。群れの概念には、それは家族を指すのか、血縁関係なのか、それとももっと広いコミュニティなのか、などいくつかの尺度があるだろうが、最小の尺度である家族を群と解釈すると、近代までは大家族が当然で、また家を継承する長男以外も、ある程度成長するとその家を出ることはあるが、基本的には同じ村、つまり同じコミュニティの中にとどまることが一般的だったのだから、人間は基本的に群を作る種と言えるだろう。
戦後は、高校卒業後から20歳前後になると子が親元を離れ、そのまま独立して生活するケースが多くはなったが、それでも世間と一切隔絶して自給自足の生活をするようなケースは少ないし、そこまでではなくともほとんど誰とも人付き合いをせずに生きていくような人はほどんどいない。つまり、現代では単独行動を好み他人と距離を置く人が増えた、とは言えるかもしれないが、それでもやはり人間は基本的に群を作る。何かしらのコミュニティに属して生きる種だ。
人間は何かしらのコミュニティに属して生きる種なのだから、少なからず社会性が求められることになる。単独行動を好み他人と距離を置く人は、他人の情緒を考えることが苦手だったり、他人の情緒を推しはかることを面倒だと思ってやりたがらず、だから他人との間に距離を置くということが少なくない。それはそれでよいのだが、とは言っても誰とも一切全くコミュニケーションを取らずに生きていく、というのは現代社会ではほぼ不可能で、コミュニケーションが苦手だろうと面倒だろうと、ある程度の社会性は必要不可欠だ。
5/3にこんな話が話題になっていた。
プロゲーマー、配信中に「障がい者やろ」と発言 謝罪し活動自粛へ - モデルプレス
記事には、どんな文脈の発言があったかが書かれていないが、配信された動画の当該部分を見ると、このeスポーツプロ選手・RC SaRa は、自分の意に沿わない行動をしたプレイヤーに対して、罵倒するように「障害者やろ」と言っていた。どう考えても障害者=能力の低い人という認識を前提にした発言であり、蔑視・差別的な発言としか言えない。
2000年代後半には、2ちゃんねるでガイジ・池沼という単語が飛び交っていた。ガイジは障害児に由来する表現で、同様に池沼も知的障害者に由来する。人をバカにしたり罵倒する時に、バカ・頭が悪いのような意味で、お前ガイジだろwww とか 池沼乙www のように使われていた。もちろんこれには、障害者=頭が悪いという認識が前提にないと成り立たない。つまり蔑視や差別以外の何ものでもない。前段のeスポーツプロ選手の発言はそれと何も違わず、直球か隠語かの差しかない。
ガイジや池沼などの差別的な言葉が匿名掲示板に溢れていた、と言っても過言ではない時期が確実にあった。ただ、そのような表現、そして障害者への蔑視は、決して2ちゃんねる発祥というわけではなく、自分が中学生高校生の頃にも、他人をバカにするのにしんちゃんなどと言うヤツはいた。しんちゃんとは身体障害者の隠語である。そういうのはだいたい年上が言っていたことを真似るもので、恐らく少なくとも1980年代にはそんなことを言う者はいたんだろうし、時代を遡れば障害者に対する蔑視はもっとひどかっただろう。2ちゃんねるの件や、今回のeスポーツプロゲーマーの件は、そんな昭和の感覚を引きずったもの、と言えるだろう。
たとえば、親しい者同士の内輪の会話、オフレコであれば、個人的にはそんなヤツとは付き合いを考えるが、冗談という話で済むかもしれない。しかし、プロを名乗るスポーツ選手が公に配信する動画の中でそんなことを言うこと、また誰であっても、公にそんなことをネット上で書き込めば、蔑視や差別性を指摘され非難されても仕方がないし、何らかのペナルティが課されても文句は言えない。そのようなことをするのは社会性に欠けているとしか言いようがない。
2ちゃんねるでガイジや池沼と共に使われた表現にアスペもある。アスペとはアスペルガー症候群の略であり、特定の分野への強いこだわりを示し、他人の情緒を理解することや言葉のニュアンスを理解することが苦手な、つまり空気がうまく読めず社会性に欠ける性質を揶揄することに用いられる。大抵の場合、侮蔑のニュアンスを込めた略語だ。
以前に「オタクやマニアの悪い癖」「ご都合主義なオタクやマニアたち」「オタク=キモイ というイメージが根強く残るワケは…」など、オタク気質の悪いところについて書いたが、それはまさに、自分の愛好することへのこだわりが強すぎて、話の筋とはあまり関係ないところに異様な執着を見せ、人の話はあまり聞かずに自分の言いたいことばかりを主張したり、見当違いのことで時には相手を罵倒までするような気質で、2ちゃんねるで一時流行ったアスペという表現は、そのようなオタク気質への揶揄を込めた表現だった。
このアスペという表現は、自分が前述の投稿で書いたような批判を、一言にまとめている表現ではあるのだが、先天的な発達障害の名称を揶揄に用いてしまっている時点で、その表現自体、その表現を用いる者自身も社会的規範を逸脱しており、つまり言い換えればアスペという揶揄自体が社会の空気を読めていないという矛盾をはらんでいる。
ちなみに最近でもメンヘラという表現が未だに気軽に用いられているが、この表現も、元は2ちゃんねるのメンタルヘルス板の利用者の意だった。しかしそこから徐々にメンタルヘルスを病んでいる人、何らかの精神疾患を抱えている人の意味にも変化し、侮蔑・罵倒の意味を帯びるようになった。
によれば、必ずしも否定的なニュアンスで使われているわけではない、とされているが、しかし確実に侮蔑や罵倒など否定的な意味合いで使われることも多い表現なので、メンヘラという表現を用いる場合には確実に注意が必要だ。安易に用いたりいい加減に用いたりすれば、誰かを強く傷つけかねない言葉であることは否定できない。
昨日の投稿で、思ったことを率直に言うのは失礼に当たらないとは言えない、自分が失礼なことを言えば、失礼な言葉が返ってくるのも当然、ということについて書いたが、自分の使う言葉・表現が相手にどのように捉えられるのか、を想像し配慮するのは、最も初歩的な社会性の1つだろう。
2021年12/17の投稿で、全ての人が肯定的にとらえる表現もなければ、一切誰も傷つけない表現もない、とは書いたが、それは決して、誰も傷つけない表現はないから好き勝手に何を言ってもよい、ということではない。食材だけが切れる、人間は切れない包丁はないが、だからと言って通りに出て包丁をブンブン振り回してもよい、誰かを切りつけてもよい、ということにはならない。他者のことを一切考えずに好き勝手に何を言ってもよいと思い込んで実際にそれをやるのは、通りに出て包丁をブンブン振り回すのと同じくらい社会性に欠ける行為である。
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