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テレビの緩やかな自殺

 メディアによる政権への忖度は、この数年、特に現政権の成立以降顕著になっているように思えてならない。特にひどいのはNHK/民放問わずテレビ各局の報道姿勢だ。個人的にはNHKはもう既に報道機関と思っていないし、民放各局もCSの娯楽専門局と大差ないと思っている。
と、7/25の投稿「忖度が日本をダメにする」の中で書いた。何故そう考えるのかについてはそちらを読んで貰いたい。
 先日行われた参院選では、NHKから国民を守る党なる新興政党がおよそ99万票を集め、党の代表である立花 孝志氏が当選した。これは諸派の中でれいわ新選組の228万票に次ぐ得票数で、社民党の104万票に肉薄する値である(朝日新聞「比例区 開票速報-2019参議院選挙(参院選)」)。
 N国がなぜ票を集めたのかについては、古谷 経衡さんが書いた「『NHKから国民を守る党』はなぜ議席を得たのか?(古谷経衡) - 個人 - Yahoo!ニュース」等を読めば大体の実態はつかめるだろう。彼はノリで投票する人達の存在を指摘しているが、自分は、自分と同じようにNHK報道に嫌気がさしている人、それ以外の部分でもNHKに対して何らかの不満を抱いている人の一部が、良く調べずに党名に惹かれて、党名だけで判断して投票したのかもしれないと思っている。そんな人達もある意味では、「ノリで投票した人」と言えるかもしれないが。
 トップ画像は Clker-Free-Vector-ImagesによるPixabayからの画像を加工したものだ。


 そのN国に、「(北方領土は)戦争しないとどうしようもなくないですか?(取り返せないんじゃないですか?)」と北方領土へのビザなし交流訪問中に発言した、元維新・丸山衆院議員(5/14の投稿5/16の投稿)が加わることが、昨日報じられた(BuzzFeed Japan「丸山穂高議員「NHKをぶっ壊す。毒と毒を混ぜて劇薬に」 N国入りで宣言」)。更に、元みんなの党代表、日本維新の会副代表で現在は無所属の渡辺 善美氏が、N国と会派を組むことも報じられた(AbemaTimes「新会派「みんなの党」結成、代表は渡辺喜美氏 N国・立花代表と会見」)。
 N国・立花氏は、政権放送などで「NHKをぶっ壊す」というフレーズを連発していたが、率直に言って、
 NHKをぶっ壊す以前に党や所属政治からがぶっ壊れている
ようにしか思えない。但し、前述の古谷さんの書いた記事の中でも指摘されているように、このような党や議員が一定の発言力を持つ事態になっているのは、一部の国民が彼らに票を投じたからでもある。ぶっ壊れているのはその党や所属政治家らだけでなく、どんな人・政党なのかをよく調べもせずに投票してしまった有権者も同様ではないのか。
 しかしながら、自分は「よく分からずに投票して、後で「投票先を間違った」と思っても全然大丈夫」とも思っている。N国に投票した人の判断は、個人的には正しくないと考えるが何を重視するかは人それぞれだ。但し、丸山氏を加入させたことをどう受け止めるかを考えたり、これから彼らが政治家としてどのように振舞うか等をしっかりと見届け、次の選挙の際にはそれを勘案した投票をして欲しい。
 前述の通り、N国に投票した人の判断は、個人的には正しくないと考えている為、ノリで同党に投票した人達も、同党や所属政治家ら同様に「ぶっ壊れている」と自分は少なからず思っているが、一方で「彼らはそれでも投票はしたのだからまだマシだ」とも思っている。7/23の投稿などでも触れたが、2019参院選の投票率は48.8%と史上最低レベルだった。有権者数はおよそ1億0660万人なので(産経新聞「参院選 有権者1億658万人 一票の格差は2・99倍」)、5000万人もの人たちが投票を、つまり参政権を放棄したということだ。参政権という民主主義の土台となる権利を放棄する国民が半数以上にも上る状況はかなり深刻で、自分には、N国に投票した人達よりも、投票すらしなかった人達の方がぶっ壊れているようにも思える。

 そもそも、多くの人がNHKの報道や視聴料の徴収に関する方針に不満を抱いていなければ、N国のような党が票を集めることもなかっただろう。立花氏の言動を見ていると、彼はNHKに不満があってあのような方針を掲げているわけでなく、NHKを叩くと票が集まることを見越して「NHKをぶっ壊す」という方針を掲げているだけとしか思えないので、もし多くの国民がNHKへの不満を持っていなかったとしても、彼は別の何かキャッチ―な方針を掲げていただろうから、それでも彼や当該政党は一定の票を集めていたかもしれないが、しかし、少なくともNHKがそのような「悪名は無名に勝る」を実践するのに利用されることはなかっただろう。なのでやはり、このような事態を招いた責任はNHKにもあるように思う。


 冒頭ではNHKだけでなく民放各社の姿勢にも苦言を呈した。今も彼らは「私たちは報道機関です」という振舞いをしているが、果たして本当にそう言えるだろうか。
 ロンドンブーツ1号2号の田村 淳さんがこんなツイートをしていた。


 テレビやラジオでの発言を取り上げたネット記事は断片的な情報で、正確に内容を反映しているとは限らないという話は共感できる。しかしその後の「番宣記事だと思って本編を見て判断して」には違和感がある。
 テレビやラジオを受けた記事は番組の放送後に掲載される。放送後なのにどうやって本編を確認したらよいのだろう。ラジオにはradikoというサービスがあり、概ね放送後に番組を確認することが出来る。しかも無料で(サービスを使用する地域外の局の放送を確認する場合は有料)。しかしテレビにはそのようなサービスがない。TVerParaviはあるが、全ての番組が配信されているわけではない。田村さんはTV業界に深く関わっている人だし、相応の財力もあるだろうから、恐らく全録して後で見たい番組を確認できる状況なのだろうが、現在多くの人はそのような環境を有していない。つまり、本編を見て判断したくても出来ない。
 このようなツイートをするのであれば、田村さんにはTVerのradiko化を民放各局に訴えかけて欲しい。もしかしたらもう既にしているのかもしれないが、もしそうだとしてもあまり盛り上がっている/注目されているようには見えない。


 著作権法上、何かを主張する際に他の主張や見解を紹介する「引用」という行為が認められている。引用と転載の区別がついていない人を多く見かけるので、Wikipediaなどでその違いを確認して欲しい。
 昨今はSNSやブログ等、ネットで主張が行われることが多く、ネットの場合ではリンクを付けるという形で引用元を提示して、引用したものの正確性を示すことがよくある。最近は殆どの新聞記事がWeb記事化されるので、新聞の引用はとても簡単に行える。中にはWeb記事化されないこともあるが、写真を撮ることも容易になっており、当該記事を撮影すれば、でっち上げの引用をしていないことを証明するのは難しくない。この引用のしやすさという点で、テレビ業界は遅れている
 個人的にはテレビ報道機関かどうか怪しいと思っているが、世間一般ではまだまだ一応新聞と並ぶ主要な報道機関という位置付けなのに、テレビ報道・番組は新聞報道に比べて引用し難い。各社独自にニュースサイトを作り、放送した動画や用いた原稿や一部文字起こしを交えた記事等を掲載しているものの、掲載している動画は独自のプレーヤーで再生される為、Youtubeの動画のようにブログやSNS等に埋め込むことは出来ない。またNHKを筆頭に、かなり早い段階で記事を削除する傾向にある。つまりアーカイブ性が重視されておらず、早期にリンク切れになる率がかなり高い。つまり動画の情報は新聞や本などと異なり、公式なアーカイブが残らないことが多く、引用後に引用の正確性を示しづらくなる。テレビ朝日(ANN)は他社と違って、同社のニュースサイトに掲載した動画をYoutubeチャンネルでもほぼ公開しているので引用はしやすい。しかし、結局そちらもかなり早い段階(1週間未満)で削除されることが少なくない為、アーカイブ性は重視されていないという点では他と大差ない。自分は動画をブログ内に保存することで対応しているが、動画のブログ内保存/公開は転載と見なされるリスクもある。
 テレビ報道とは放送であるが為に基本的には、新聞のように記録が残るものではなく、元々アーカイブ性という視点に疎い傾向なのかもしれない。しかし現在は間違いなくWebが台頭しており、テレビ報道も引用のしやすさ、アーカイブ性を無視してはいられない筈なのに、未だに引用のしやすさやアーカイブ性を度外視した旧態依然の状況であることも、個人的に、テレビは既に報道機関とは言えないのではないか?と感じる理由の一つだ。娯楽番組やワイドショーは別としても、せめてニュース番組に関しては、誰もが自由に後から確認できる状況を用意するべきではないのか。
 また、Webでの検索性という点で考えれば文字起こしは必須条件だ。新聞記事は活字情報なので見出しに限らず本文全てを検索対象にすることが可能だが、動画や音声はそれができない。これはテレビだけでなくラジオについても言えることだが、番組を見てもらいたい・聞いてもらいたいのなら、自ら進んで文字起こしをすることが必要ではないだろうか。特に報道系番組については必須だと感じる。しないのは寧ろ怠慢、何かあった際に隠しやすいから、文字起こしを避けているようにすら思えてしまう。


 このような観点から、テレビ業界は時代の波に取り残されつつあると感じるし、それは自ら衰退へ舵を切っているようにも見える為、この投稿のタイトルを「テレビの緩やかな自殺」とした。テレビが今後報道を重視せず、娯楽番組に傾倒するならそれでもよいが、そうであるなら「私たちは報道機関です」ヅラするのはさっさと止めてもらいたい。

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