スキップしてメイン コンテンツに移動
 

タブーを増やすな!


 「「ナチスの囚人服に似ている」批判を受けて約20万円の服が販売停止に。スペインの高級ブランド・ロエベ | ハフポスト」という記事を昨日読んだ。見出し通りの内容で、スペインの高級ファッションブランド・ロエベがラインナップしていた白黒ストライプのパジャマのようなデザインの上下セットアップが、「ナチスの強制収容所の収監者が着用させられた囚人服にしか見えない」という指摘を受けた。ロエベは関連性を否定したものの、商品を取り下げ謝罪したようだ。
 この指摘をしたダイエット・プラダは、主にファッション系の模倣などの問題点を指摘しているインスタグラムアカウントらしい。確かに、この指摘をした投稿に添えられている比較画像を見ると両者は似ている。当該商品を見てナチスの囚人服を連想する人もいるだろう。しかし、連想させるだけで不適当と言えるだろうか。他にも何か、ロエベがナチスを肯定ないし容認していると強く感じられる要素があるなら話も分からないでもない。しかし、この商品だけを以て不適当とするのは、言い掛かり感が強い。少なくとも自分はそう感じる。


 この手のナチ絡みの話は特に欧米ではよくある。2017年3/17にも同じ様な事案を取り上げている。その時と同じ様な話になってしまうが、例えば、ドイツのファッションブランド・ヒューゴ ボスは、ナチの親衛隊や突撃隊、ヒトラーユーゲントなどの制服を手掛けたことでも知られている(Wikipedia - ヒューゴ・ボス#ナチスとのかかわり)。またフランスのファッションブランド・シャネルの創業者・ココ シャネルは、ナチ高官の愛人で反ユダヤ主義者でもあった(Wikipedia - ココ・シャネル#対独協力と愛人生活)。ドイツの自動車ブランド・フォルクスワーゲンの起源はナチの国民車構想だし、その設計者で現在のポルシェの創始者・フェルナンデド ポルシェは、ナチの下で戦車の設計を行っていた人物だ(Wikipedia - フェルディナント・ポルシェ#軍需への転換)。また、アメリカの自動車ブランド・フォードの創業者であるヘンリー フォードも反ユダヤ主義者で、ナチやヒトラーに大きな影響を与えたことでも知られる人物だ(Wikipedia - ヘンリー・フォード#ナチス・ドイツおよびフォルクスワーゲンとの関わり)。
 だから自分は、それらの企業やブランドを目にしたり耳にしたりすると、しばしばナチとの関わりを連想してしまう。しかし「だからそれらの企業やブランドは廃業しろ」 とは思わない。それはナチを嫌悪する人の多くも同様で、だからそれらの企業やブランドが今日も存続している。勿論個人が「私はナチと関わりのあったそれらの企業やブランドの商品は買わない/使わない」と考えるのは自由だろうが、それを全ての人に強制しようという話になれば、多くの人はそれに賛同しないだろう。
 つまり、どんなもの/ことについても、個人の見解を述べたり批判したり嫌悪したりすることは、表現の自由の要素として認められた権利だろうが、単に何かを連想させただけで全否定か、それに近いことを正当化することは出来ないのではないか。勿論、殺戮・略奪等や、9/25の投稿10/2の投稿で指摘したような、国籍や民族性など個人が自由に選択できない要素による差別や偏見等、根源的に不適切な行為に関する肯定的な表現についてはその限りではない。


 例えば、11/6の投稿で触れた、日本赤十字社の強く大きなバストを強調したマンガキャラクターを用いた献血啓蒙ポスターや、秋葉原の街頭に掲示された巨大な成人向けゲームの広告のように、ロエベの当該商品が、何かしらの公的なキャンペーンに用いられていたとか、囚人を連想させるようなシチュエーションの広告を打ち出していたなど、公共性のある場面で用いられていたというような話があったのだとしたら、場違い・そぐわないなどの指摘がされることはある程度理解もできそうだが、黒でないストライプの上下セットアップでもナチの囚人服を連想する人はいるだろうし、単にナチの囚人服に似ているというだけでタブー化できるのだとしたら、どんなもの/ことでもタブー化できてしまうのではないか。例えば、黒いスーツだって親衛隊の制服を連想する人はいるだろうし、芸人・岩井 ジョニ男さんのようなチョビ髭だって、ヒトラーを連想する人は多いだろう。そのようなもの/ことを全てタブー化したらどうなるだろうか。そんな息苦しい世の中はまっぴらごめんだ。
 何度も言うが「○○を連想する」として嫌悪したり批判するところまでは自由だ。しかし不快・迷惑というだけで全否定して規制をかけようという風潮には反対だ。


 昨日、「【漫画】 なすりつけ太郎 | オモコロ」というマンガが、性犯罪を面白がっている、などとしてツイッター上で批判の対象になっていた。因みに当該マンガはスクリーンショットからも分かるように、2014年に公開されたものだ。


自分はこの件を、小川 たまかさんというフリーライターのツイートで知った。


このツイートへのリプライを見ていると、「作者は自分の欲望を正当化したいだけ」のような見解もあり、確かに自分も面白いとは思えないものの、果たしてそこまで否定されるようなものだろうか?という疑問が湧き、


と引用リツイートした。
 例えば、このマンガが前述の献血ポスターや、屋外広告のように、多くの人の目に触れるところへ用いられていたのだとしたら、自分もそれは場違いで不適切だと感じる。しかし、下らないネタを集めたサイトにこれが掲載されているのに、「作者は性犯罪を正当化している」と捉えるのは拡大解釈としか思えない。作品への批判や嫌悪は自由だろうが、そのような見解を示すことは、作者への人格否定に当たる恐れもあるのではないか。

 この件からも、不快・迷惑というだけで全否定したがる人が一定数いると感じられた。




 因みに、この自分のツイートには小川さんからリプライがあったのだが、彼女が私の見解を「ナイーブな感性」と皮肉ってきたので、その皮肉に対して皮肉で返したところ、「あなたから絡んでおいてめちゃくちゃ失礼」と言われてしまった。
 恐らく彼女は自分の主張に異論を呈されたと思って不満だったのだろうが、彼女が最初のリプライに皮肉を添えなければ、こちらも皮肉を添えて返答することはなかった。皮肉に対して皮肉で返す自分も大人げないと言われたらそれまでかもしれない。しかし自分はそんなにできた人間ではなく、当然こちらにも感情はある。皮肉を添えた自分を棚に上げて「じゃあそうわかるようにツイートしては? あなたから絡んで置いてめちゃくちゃ失礼ですね。」と言われても、小川さんに分かるように説明する義理もないし、絡んだつもりもない。寧ろ先に皮肉を添えた小川さんの方が失礼だ。自分の視点でみれば。
 その後の彼女は、人に失礼だなんだと言う割に、彼女の自身こそ失礼ツイートの連続だった。ツイッターにはリプライや引用リツイートする場合に相手の許可が必要なんてルールはないのに「二度とリプ送らないで」と言ってみたり、そんな約束をするつもりは ないので「引用リツイートされるのが不満ならどうぞミュート/ブロックを」と返答すれば、「ずいぶん感情的な粘着ですね」と来る。リプライへ反応するだけで粘着質だと言われる筋合いはない。彼女のツイートに反応しただけで粘着質ならば、こちらの返答に反応を示す小川さんだって粘着質だろう。

 ハフポストなどにも寄稿している実績のあるライターに、こんな事を言われるなんてとても残念だった。彼女は性犯罪やフェミニズムなどに対する関心が強いようだが、これでは余計な反感を増やすだけではないだろうか。

このブログの人気の投稿

マンガの中より酷い現実

 ヤングマガジンは、世界的にも人気が高く、2000年代以降確立したドリフト文化の形成に大きく寄与した頭文字Dや、湾岸ミッドナイト、シャコタンブギなど、自動車をテーマにしたマンガを多く輩出してきた。2017年からは、頭文字Dの続編とも言うべき作品・MFゴーストを連載している( MFゴースト - Wikipedia )。

話が違うじゃないか

 西麻布に Space Lab Yellow というナイトクラブがあった。 一昨日の投稿 でも触れたように、日本のダンスミュージックシーン、特にテクノやハウス界隈では、間違いなく最も重要なクラブの一つである。自分が初めて遊びに行ったクラブもこのイエローで、多分六本木/西麻布界隈に足を踏み入れたのもそれが初めてだったと思う。

読書と朗読を聞くことの違い

 「 本の内容を音声で聞かせてくれる「オーディオブック」は読書の代わりになり得るのか? 」という記事をGigazineが掲載した。Time(アメリカ版)の記事を翻訳・要約した記事で、ペンシルベニア・ブルームスバーグ大学のベス ロゴウスキさんの研究と、バージニア大学のダニエル ウィリンガムさんの研究に関する話である。記事の冒頭でも説明されているようにアメリカでは車移動が多く、運転中に本を読むことは出来ないので、書籍を朗読した音声・オーディオブックを利用する人が多くいる。これがこの話の前提になっているようだ。  記事ではそれらの研究を前提に、いくつかの側面からオーディオブックと読書の違いについて検証しているが、「 仕事や勉強のためではなく「単なる娯楽」としてオーディオブックを利用するのであれば、単に物語を楽しむだけであれば、 」という条件付きながら、「 オーディオブックと読書の間にはわずかな違いしかない 」としている。

あんたは市長になるよ

 うんざりすることがあまりにも多い時、面白い映画は気分転換のよいきっかけになる。先週はあまりにもがっかりさせられることばかりだったので、昨日は事前に食料を買い込んで家に籠って映画に浸ることにした。マンガを全巻一気読みするように バックトゥザフューチャー3作を続けて鑑賞 した。

敵より怖いバカな大将多くして船山を上る

 1912年に氷山に衝突して沈没したタイタニックはとても有名だ。これに因んだ映画だけでもかなり多くの本数が製作されている。ドキュメンタリー番組でもしばしば取り上げられる。中でも有名なのは、やはり1997年に公開された、ジェームズ キャメロン監督・レオナルド ディカプリオ主演の映画だろう。