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Aマッソのネタが漂白剤でなく日焼け止めだったら


 お笑い芸人・Aマッソが、ネタの中で差別的な表現を行ったという話が話題になっている。BuzzFeed Japan「「大坂なおみに必要なものは?」「漂白剤」人気芸人のネタに批判殺到 事務所は「配慮に欠く」と謝罪」によると、9/22に開催されたイベント「思い出野郎Aチーム presents ウルトラ“フリー”ソウルピクニック」で披露した漫才ネタの中に、「大坂なおみに必要なものは?」「漂白剤。あの人日焼けしすぎやろ!」という掛け合いがあったそう。この掛け合いは「質問に対して薬局にあるもので答える」という漫才の中で行われたそうだ。
 BuzzFeed Japanの記事の見出しの通り、Aマッソが所属するワタナベ・エンターテインメントとAマッソ本人、イベントの冠になっている音楽グループ・思い出野郎Aチームが既にこの件に関する謝罪を表明している。


 この件を知って自分が最初に思い出したのは、数日前にハフポストが掲載していた記事「色白に憧れて... 私は美白化粧品に取り憑かれていた。」だった。ハフポストUS版からの翻訳記事で、フィリピン人の多くが色白=美という価値観を幼いころから植え付けられて育つこと、その起源は16世紀のスペインによる植民地化に始まり、褐色の肌=野外で労働する農民/労働者、色白の肌=外で働く必要のない上流階級のような認識が未だに残っており、就職でも肌の色による選別等が行われる階層構造があることなどについて書かれていた。


 この記事を読んだ際に次のようにツイートをした。
 美の感覚は社会状況や時代背景・流行によっても変化する。日本以外でも同調圧力はあるのだろうが、日本人は確実に左右されやすいし、一つの価値観へ右へ倣えしがち。
その時は、肌の色による差別よりも、内容の良し悪しにかかわらず多数派の感覚を「そういうものだから」と大して考えもせずに受け入れる、流されやすい傾向にある日本人の性質を連想し、そんな風にツイートした。
 Aマッソの件を知ってこの記事を思い出したのは、日本人の中にも、意識的/無意識的にかかわらず「肌の色の薄い白人や欧米=上位」という認識があるという風に思えたからだ。しばしば「日本人は名誉白人という自負がある」という話も耳にする。
 2018年11/30の投稿「世界は欧米だけじゃないし、外国人は白人だけじゃない」でも書いたように、「世界○○」と謳う外国人バラエティー番組の多くは欧米人、特に白人を多く取り上げがちだ。当該投稿で例に挙げた、TBS・ウチの子 ニッポンで元気ですか?という、日本に移住した外国人の生活を撮影し、それを母国に住む両親らの元へ届けて見て貰うという企画の特番は、これまでに3回放送している。取り上げた外国人は全部で9人で、スリランカ人女性1人以外は全て白人だった。日本で働く外国人の半分以上はアジア人なのに。
 しかも、9/26には4回目の放送が行われるそうで、その番組紹介には、
 今回は「超名門マサチューセッツ工科大学を卒業後に屋久島で意外な仕事で頑張るアメリカ人女性」、「滋賀の田舎町で地元産の大豆を使った超こだわりの豆乳アイスを作るポーランド人女性」、「京都で話題の日本茶を使ったオリジナルビールをつくるオーストラリア人男性」に密着し、母国の両親にVTRをお届けする。そして、おなじみの企画に加えて、新企画「ウチの“パパ”ニッポンで元気ですか?」もスタート。日本で単身赴任中の“外国人パパ”に密着し、母国の奥さんとお子さんにVTRをお届けする。今回は愛媛県である「夢」に向かって頑張るドミニカ人パパに密着し、その映像を遠く母国ドミニカで暮らす奥さんとお子さんにお届けする
とあり、今回も白人に偏った構成となっている。ドミニカ人は恐らく黒人男性だろうから、同番組に初めてアフリカ系の人が登場することにはなりそうだが、それでも白人に偏った構成であることに変わりはない。
 一応注釈しておくと、TBSは「世界くらべてみたら」という番組をレギュラー放送しており、この番組では「世界」というタイトル通り、欧米だけでなくアジア・アフリカ・オセアニア・中南米と世界各国の出身者が出演しているし、世界各国を満遍なく取り上げている。


 Aマッソのネタは明らかに人種差別を意図したものではないだろうが、「差別に疎い日本人の感覚」の象徴ではある。アフリカ系の人のような褐色の肌に必要なのは漂白剤と言ってしまうのは、「黒い肌よりも白い肌の方が美しい」という感覚の現れだろう。漂白剤とは、概ね白い服を美しく保つためや、美しい状態に戻す為に用いられるものだからだ。もし彼女らが意識していなかったとしても、少なからずそんな感覚を持っていたことには違いなく、それがネタとして露呈したのだろう。
 2017年10/10の投稿 / 10/14の投稿で書いた、茶色のTシャツを着た黒人女性がTシャツを脱ぐと合成によってベージュのTシャツを着た白人女性が現れるという表現を用いたダブ・ボディウォッシュのCMや、2018年4/1の投稿で書いた、バーテンダーがビールのボトルをカウンター上で滑らせると、黒人女性や黒人男性ギタリストの前は通り過ぎ、肌の色が濃くない女性の前で止まる。そして「Sometimes,Lighter is Better(場合によってはライトな方がいい)」というコピーが表示されるハイネケン・ライトのCMと同じ様なものだ。


 2017年末の年末特番へ、ダウンタウン・浜田 雅功さんが黒人俳優のエディ マーフィーさんに扮し、顔を黒く塗って出演したことが「黒人に対する差別行為」と指摘された際に、自分はこのブログへ、
という見出しの投稿を書いた。その趣旨は、欧米で白人が顔を黒く塗る行為が概ね黒人に対する嘲笑や蔑視の象徴として認識されることは理解できるものの、その欧米の価値観をアジアや日本に押し付けるのは如何なものか、だった。そう自分が感じた大きな理由の1つには、その指摘を最初に行ったバイエ・マクニールさんが、黒人に扮したわけではない顔の黒塗りまで「差別的」だと言っていたからだ。行為の趣旨を理解しようともせずに、もしくは大して吟味もせずに、短絡的に差別認定してしまえば、余計なタブーがどんどん増えていくことになる。
 一時期、他民族の文化を勝手に用いるのは「文化の盗用」という話が話題になったり、白人が白人以外の役を演じるのはホワイトウォッシュであるというような話が盛り上がったが、ラーメンや餃子、そして天ぷらなどを始めとした、現在日本の文化とされているものの大半は大陸や朝鮮半島から伝わったものをアレンジしたものだし、宝塚歌劇等、日本人が欧米人の役を演じることはしばしばあるし、短絡的にそのような根拠で批判・否定すると、逆に自分達の首を絞めることにもなりかねない。
 つまり、顔の黒塗り=黒人差別という話や、他民族の文化を勝手に用いるのは「文化の盗用」という話、白人が白人以外の役を演じるのはホワイトウォッシュという話も、そのような主張に妥当性がある場合もあればない場合もあり、個別のケース毎に状況は微妙に異なる為、短絡的に行為自体で差別と決めつけてはいけないと考えている。重要なのは、その行為の背景にどのような意図があったか、ではないだろうか。勿論、指摘された側は「そんな意図はなかった」と応じる場合が殆どなので、その応答が妥当か否かを慎重に見極める必要はある。

 しかし、差別に無頓着な表現が批判を浴びるという件が、前述したようにこれまでにも度々報じられているにもかかわらず、Aマッソのネタのような事案がしばしば繰り返されると、前段のような短絡的な決めつけが行われることが助長されてしまうし、「日本人は差別に無頓着だから平気で顔を黒く塗って笑いをとろうとする」のような批判の余地も与えてしまう。勿論そのような批判は、自分には「概ね妥当である」とは思えないものの、欧米でのこれまでの経緯や現状、そして大概指摘を受けた者は「そんな意図はない」と応じることなどを考えると、そのような思考になってしまっても無理はないようにも思う。


 因みに、Aマッソのネタが漂白剤ではなく日焼け止めだったらどうだったろうか。個人的には、漂白剤だと「黒い肌は汚れているから白い方がいい」という意味が強く感じられてしまうが、「大坂なおみに必要なものは?」「日焼け止め。あの人日焼けしすぎやろ!皮膚がん予防の為に紫外線対策しないと!」「あれは日焼けじゃなくて生まれつき」という掛け合いなら、それが面白いかどうかは別として、差別的と断定することはできないのではないか?と考える。
 肌の色による人種/民族差別が深刻な地域では、肌の色の違いに触れること自体が好ましくないと認識されているかもしれないし、「日焼けではない元来の肌の色を日焼けと言うのは、個性を尊重していない」と受け止める人もいるかもしれない。しかし、黒人のような褐色の肌の人達だって日焼け止めは塗るし、あまりにも過敏になり過ぎることは決して好ましいとは言えず、タブーを増やせば増やす程、所謂ポリティカルコレクトネス疲れのようなカウンター現象が高まる恐れがある為、逆に状況を悪化させることにもなりかねない。

 差別や多様性を考える時に限らず、何事にもバランス感覚が重要である。Aマッソの二人にはこれをきっかけにバランス感覚を養って欲しいし、この件を目の当たりした人全てにも、自分のバランス感覚を見つめ直すきっかけにして欲しい。

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