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差別や偏見を見過ごすことも差別の1種


 Speech is silver, silence is golden. は、スコットランド出身のトーマス カーライルの著作・衣装哲学(Sartor Resartus)にある表現が元になっている英語の寛容表現だ。直訳した「沈黙は金、雄弁は銀」は日本語でもしばしば用いられる。それ程難しい話ではなく、ほぼ字面通りの「話すよりも黙っている方が勝ることがある」という意味である。

 喋り過ぎると安っぽく見える、のようなニュアンスでも用られる表現だが、概ね日本語の寛容表現「口は禍の元」と同義の、不用意な発言は慎むべきである、ということを言い表している。だが、これらの表現が意味する、「黙っている方が利口」は常に妥当とは言い難く、どんな場合でも当て嵌まる絶対的な価値観ではない。


 「謹賀新年 在日韓国朝鮮人をこの世から抹殺しよう。生き残りがいたら残酷に殺して行こう」と書かれた手紙が、川崎市の多文化交流施設・ふれあい館に届いた、という事件について1/28の投稿で書いた。 これは間違いなく、今なお根深い在日コリアン差別事案の1つである。
 この件に関して昨日、

元川崎市職員がヘイトはがき 威力業務妨害容疑で逮捕:朝日新聞デジタル


という報道があった。この記事を引用して自分は「この件について、首相や政府は何か声明等を示したか?示していないなら何故示さないのか。差別や偏見を容認する立場か?決して無視出来るようなことではないだろう」とツイートした。
 そのツイートへこんなリプライがあった。


 「これは元職員が個人的な恨みつらみで行った行為だから、そんな些細なことに政府や首相がいちいち口を出す必要はない」と言いたいようだが、それは間違いなく事件の矮小化だ。私怨だろうがなんだろうが、「在日韓国朝鮮人をこの世から抹殺しよう。生き残りがいたら残酷に殺そう」という内容は明らかな人種・民族差別であり、在日コリアンというだけで無差別に抹殺・残酷に殺そう、なんて手紙を送りつけるということは、テロ予告にも等しい深刻な行為だ。そんな行為を政府や首相が知らぬ存ぜぬでいいのだろうか。
 多分このタイプの人は、もし外国人が「日本人を無差別に殺します」という宣言を、手紙で送り付けたり、SNSへ書き込んだりしたら大騒ぎするはずだ。


 1/28の投稿でも書いたように、首相や政府はこのような件に関して積極的に否定する姿勢を見せない。3/5の投稿でも書いたが、横浜中華街のある店に、「中国人はゴミだ!細菌だ!悪魔だ!迷惑だ!早く日本から出ていけ!!」という文面の、コロナ危機に乗じた差別的な手紙が届いたという件に関しても、同様に積極的に否定する姿勢を見せていない。
 昨日報じられたのは、69歳の川崎市元職員が在日コリアンを差別する手紙を送っていたという話で、地方自治体の元職員による差別行為ではあるが、行政関係者とも言えるわけで、日本の行政府の長である首相は知らぬ存ぜぬでいいとは思えない。そもそも、差別を行ったのが行政関係者かどうかに関わらず、差別や偏見に対して首相が断固とした態度を示すことは間違いなく必要だ。
 今日のトップ画像は、これまでに何度も引用してきた公共広告機構のCM「知らんぷりより、ちょっとの勇気」を画像化したものだ。


このCMが言っているのは、Speech is silver, silence is golden./ 沈黙は金、雄弁は銀 とは全く真逆のことである。沈黙や無関心が人を殺すことも間違いなくある。そして、そんな最悪な事態を招く前に誰かが声をあげなくてはならない。差別や偏見を積極的に否定する義務が政府や首相にはまちがいなくある。


  6/7の投稿で、どこかのバカが「There is no racism in Japan. Do not make a disturbance / 日本には人種差別はない。騒ぎを起こすな」と、テニス選手・大坂 なおみさんへリプライしたことを紹介した。この種の愚か者は他にもいて、例えば「私は女性だけどこれまで何不自由なく生きてきた。日本が男尊女卑社会なんて嘘だ」「私の周りの在日コリアンや外国人は誰も差別されているなんて言っていない。日本に民族差別・外国人差別なんてない」のようなことを言う。
 自分や自分の周りが世界の全ての人はおめでたいとしか言いようがない。テレビやネット、新聞が一切ない閉鎖的な社会に身を置いているのなら、そんな勘違いが生じるのも仕方ないかもしれない。だがその種の主張は大抵ネット上でなされている。稀に実社会でもそのような主張をする人に出くわすが、その種人は総じて、今の政権や首相同様に、自分に都合のよい情報しか見えない、都合の悪いことは無視して見なかったことにするタイプの人達である。

  ミネアポリスで黒人男性が警察官によって殺された事件によって、現在米国を中心に#BlackLivesMatter というムーブメントが広がっている(ブラック・ライヴズ・マター - Wikipedia)。米国の根深い黒人差別への反対・撤廃を実現しようという、第二の公民権運動とも言えそうな状況が広がりを見せている。そんなことを背景に、映画監督のスパイク リーさんは、
ジョージ・フロイドさんに敬意を払うべきだが、これは新しいことではない。400年前から続いている。それにアメリカだけのことでもない。アメリカは人種差別が得意だが、人種差別は世界中にある。人種差別がコロナウイルスより先の、世界的パンデミックだ。
という見解を示した。

スパイク・リー監督、「人種差別はパンデミック」 アメリカの差別と格差について - BBC News Japan



 彼の言う通り、人種差別・民族差別は世界中にあり、当然日本にもマイノリティへの差別は複数ある。在日コリアンへの差別がいつ始まったのかはよく分からないが、1923年に発生した関東大震災に関連して、自警団などにより多数の朝鮮系日本人および朝鮮人と誤認された人々(日本人や中国人)が殺害されている(関東大震災朝鮮人虐殺事件 - Wikipedia)。
 つまり、日本における在日コリアンへの差別も、少なくとも100年以上も前から続いている深刻且つ構造的な問題だ。そんな在日コリアンへの差別に関連する事件に関して、「政府や首相がいちいち言及する必要はない」という主張をすることも、それ自体が差別的である、と言わざるを得ない。


 大切なことなのでもう一度書いておく。

 沈黙や無関心は人を殺す。差別や偏見を見過ごすことも差別の1種だ。

差別や偏見を牽制し抑制することは政治の重要な役割の一つであり、それを怠れば、差別を容認、黙認していると言われても仕方がない。

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