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人権意識と遵法精神に欠ける国の民度

『お宅とうちの国とは国民の民度のレベルが違うんだ』と言ってやると、みんな絶句して黙る。2020年6月の参議院財政金融委員会にて、当時財務大臣で副首相だった麻生 太郎はこんなことを言った。なぜ日本は他国と比べて新型ウイルスによる死者が少ないのか、という海外からの質問にはそう言ってやる、と豪語していた。

「国民の民度のレベルが違うから」麻生氏発言 - YouTube

 確かに日本は2020年前半、欧米で感染が拡大したのに比べて感染者も死者も多くはなかった。ただしそれは日本に限らず、東アジア/東南アジア地域は概ね感染者も死者も少なかった。しかし2020年後半に変異株が出現するとアジア地域でも欧米同様の感染拡大が起きて、日本は新型ウイルスへの対応について、感染者数/死者数とも、少なくとも東アジアの劣等生になった。そして欧米諸国と比べてワクチン接種が遅れたこと、オリンピックを強行したことで、今年・2021年夏には感染爆発と医療崩壊が発生し、多くの新規感染者と死者が出た。
 麻生の「日本は民度が高いから感染者も死者も少ない」という話が正しいのだとしたら、感染爆発が発生した日本の民度は低いということになるだろうし、台湾やニュージーランドに比べて明らかに状況は悪く、それらの国より遥かに民度が低いことになる。麻生の話は眉唾物以外のなにものでもない。ただ、台湾やニュージーランドは日本が実現していない同性婚制度を設けていたり、どちらも女性の首長がすでに誕生していることに鑑みれば、日本の方が民度が低いという話は、あながち間違っていないかもしれない。


 民度とは何か。Web辞書コトバンクには「国民あるいは住民の生活の貧富や文明の進歩の程度」とある。Wikipediaでは「特定の地域・国に住む人々または、利用者(ユーザー)・参加者・ファン等のある集団の平均的な知的水準、教育水準、文化水準、マナー、行動様式などの成熟度の程度を指す」と説明されている。その起源は定かでないが、確認できる限りでは比較的新しい表現で、1940年代に使われ始めた言葉・概念のようだ。
 この定義に照らし合わせてみれば、麻生の発言は自国について「お前らの国と違って民度が高い」と言っているが、そのような発言を副首相が公然と行うこと自体が、日本の民度の低さの証明になってしまっている、というなんとも恥ずかしい状況だ。民度なる概念は、基本的に身内に対する戒めや他地域を称賛する場合に用いるべきものであり、麻生の発言は全くその逆で、麻生と、そしてそんなのが副首相を務める政権を10年近くも支持してきた日本人の民度の低さを証明している。


 日本人の民度の低さは、11/1の投稿でも書いたように、最早先進国では当然になっている同性婚や選択的別姓制度を未だ否定し、男女格差解消、女性活躍と言いながら、候補者男女均等法を無視する政党が、与党に選ばれ続けていることが如実に物語っている。たとえば、同性婚や選択的別姓制度が実現しても、それに反対する者は何も奪われないが、同性婚や選択的別姓制度が実現しなければ、それを必要としている者の権利は否定され続ける。そのような制度を利用する自由は奪われる。同性婚を必要としているのは異性愛者に対して少数派の同性愛者で、選択的別姓制度を必要としている者の大半は、現在男性よりも明らかに低い地位を強いられている女性だ。候補者男女均等法も女性の地位向上を目的とした法律だ。
 つまりそれらの制度に反対すること、法律を無視することは、明らかに人件軽視、いや人権無視、人権侵害に該当する。自民党は明らかに同性婚や選択的別姓制度に反対で、'19参院選そして先日の’21衆院選でも候補者男女均等法を無視しているのだから、優しく言っても人権軽視政党、厳しく言えば人権軽視政党、人権侵害政党だ。そんな政党を、日本人はもう10年近く支持し続けている。
 だから、日本人は人権侵害を厭わない人が多い、と言っても過言ではないし、優しく言っても人権軽視に無頓着と言える。万人の法の下の平等は、現代民主主義の根幹であり、日本でも憲法で定めている。何人たりとも性別や国籍、民族性などによって差別を受けない、という大原則を尊重しない、差別しないということが出来ない日本人は、果たして民度が高いと言えるか。当然、日本人は民度が低い、としか言いようがない。


 日本人の民度の低さを、先週末の読売新聞の世論調査結果も物語っている。読売新聞社が11/3-5に実施した世論調査で、全世界からの外国人の新規入国を停止したことについて、評価すると89%が回答し、評価しないはたった8%だったそうだ。

内閣支持率6ポイント上昇の62%、新規入国停止「評価」89%…読売世論調査 : 選挙・世論調査 : 読売新聞オンライン

 全世界からの外国人の新規入国を停止がいかに非合理的なことか、国籍による差別にあたるか、ということについては、12/1の投稿で既に指摘している。12/3の投稿で書いたように、WHO:世界保健機関にもその非合理性を明確に指摘されている。そんな岸田政権の対応を、日本人のおよそ9割が高評価する、という結果が示されたのが読売新聞の世論調査だった。
 民主主義を多数決と勘違いする人は、89%が高評価しているんだから外国人新規入国停止は問題ない、と言いそうだ。だがそれは間違いで、89%の日本人、つまり日本人の大半が人権侵害に無頓着なだけでしかない。何人も国籍や民族性によって差別されない、という現代民主主義の大原則に反する対応を高評価しているのだから。

 このような傾向は、日本人の民主主義に対する意識の低さを露呈すること以外のなにものでもない。そして、日本国憲法にも万人の法の下の平等が定められているのだから、それに反する政府の対応を高評価するということは、政府のみならず日本人の大半について遵法精神が欠けている、とも言えるだろう。


 民主主義の何たるかを理解出来ず、遵法意識も著しく低い国の民度は高いだろうか。間違いなくそのような国の民度は低い。いくら公共の場でのマナーが概ねよい傾向にあり、災害や緊急事態においても混乱があまり起きないような国民性だとしても、人権意識と遵法精神に欠け、立場の弱い者への権利侵害を厭わない国の民度は、高いとは間違っても言えない。というよりも、民度は明らかに低い、としか言いようがない。



 トップ画像には、[無料写真] 人々で賑わう渋谷のスクランブル交差点 - パブリックドメインQ:著作権フリー画像素材集 を使用した。

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