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自民党は「みんなはどんな世の中にしたい?」を聞いてくれるのか


 この数日はいろいろと目まぐるしい。香港では逃亡犯条例抗議デモが物凄い盛り上がりを見せており、その規模は100万人以上と伝えられている(6/10の投稿)。また、自民党のキャンペーンの一環で講談社の女性誌・ViViがこんな事をして大きな注目を浴びている。
この件に関して、出版元の講談社は「政治的な背景や意図はまったくない」という不可解な見解を示しており、更に批判が集まっている。BuzzFeed Japanの記事「「政治的意図はない」ViViと自民党がコラボ? その狙いは」によると、自民党とViViのどちらが持ち掛けた企画なのか、政治的意図や背景がないなかで、自民党だけを選んだ理由はどこにあるのか、シャツの費用は講談社と自民党、どちらの負担になるのか等の取材に対しての回答は、全て「回答は差し控えさせていただきます」だそう。最近都合が悪いと口を閉ざす者(特に政治家)が多いので、講談社は、都合が悪い事を聞かれていると受け止めているのだろうと推測する。


 6/3に金融庁が、95歳まで生きるには夫婦で年金以外に約2000万円の資産が必要になるとの試算を示し(日経新聞「人生100年時代、2000万円が不足 金融庁が報告書」)した件に関しても、昨日の投稿でも触れたように、6/9の参院決算委員会で野党側がこれを大きく取り沙汰し、それ以前から広がっていた批判は更に高まっている。首相や財務大臣の答弁が余りにも脆弱だったこともそれに拍車をかけたように思う。
 この一連の流れを受けて、自民党は金融庁に当該報告書の撤回を求めたそうだ(時事通信「「老後2000万円」の撤回要求=自民幹事長が金融庁に」)。ANNニュース(テレ朝系)によると、自民党の二階氏は撤回を求める理由に関して、「選挙を控えている方々に迷惑を及ぼさないようにしたい」と述べたそう。また公明党代表の山口氏も「いきなりああいう誤解を招くような、招きやすいものが出てくるというのは猛省を促したいです」と述べている。



「いきなり」とは一体どういうことだろうか。例えば、報告書が明るみにになった直後に「いきなり」というのならまだ分かるが、野党側の批判を受けた後に「いきなり」と言いだし不適切だと主張し始めたり、「選挙に悪影響が出る」というような趣旨の事を言いだしたり、自公与党は自分達の選挙の結果を何よりも最優先に考えている、ということがよく分かる。金融庁の報告書の中身がどうこうではなく、「自分達の選挙に悪い影響が出るから撤回しろ」と言っているようにしか見えない。

 更に酷いのは相変わらずの麻生氏だ。麻生氏は昨日の会見で、金融庁の報告書は「正式な報告書としては受け取らない」と言いだした(朝日新聞「「老後2千万円」報告書撤回へ 麻生氏「受理しない」」)。



彼は報告書を受け取らない理由について「年金制度自体が崩壊するかのごときに思われるような表現になっていた。世間に著しい不安とか誤解を与えている。これまでの政府の政策スタンスとも異なっている」と述べている。
 しかし彼は、この報告書について報じられた初日には、「100まで生きる前提で退職金って計算してみたことあるか?普通の人はないよ。そういったことを考えて、きちんとしたものを今のうちから考えておかないかんのですよ」と述べている(テレ朝ニュース「退職後2000万円不足も 麻生大臣 資産形成考えて…」)。



更に、6/9の参院決算委員会では、立民・蓮舫氏から報告書を読んだのか問われ、「冒頭の一部に目を通した。全体を読んでるわけではありません」と述べてもいる(BuzzFeed Japan「「老後に2000万円不足」の報告書、麻生財務相「全体は読んでない」」)。



質問に関する通告があるにもかかわらず、自分の所管する官庁からの報告書に目を通さすこともせずに国会審議に臨む者が大臣を務めているということ自体がまず信じられないが、安倍政権では先日辞任した桜田氏を始めとしてこれまでにも複数似たような者がいたので、麻生氏の答弁でびっくり仰天したということでもない。しかし大臣が国会での審議に臨む姿勢としてあまりにも不誠実であることには全く変わりがない。
 しかも、報告書も読まずに肯定的としか思えないコメントをし、そのコメントをした後、およそ1週間も報告書に目を通さないとは、一体麻生氏は寝る間もないようなスケジュールをこなしていたのだろうか。批判が高まりに高まってから「報告書を受け取らない」と言いだすのもおかしい。ハッキリ言って子供が無理筋な言い訳をしているようにしか見えない。言葉は悪いが敢えて言わせて貰う。控えめに言って、

麻生はいい加減で支離滅裂なジジイだ


 この件に関して言えば、麻生氏だけでなく首相の国会での答弁も、前述の通り酷かった。



この首相にしてこの財務大臣ありが実情なのだろう。


 話を冒頭で触れたViViの件に戻そう。ViViのキャンペーンは #自民党2019 という特定政党のハッシュタグを用いてツイートすると、当該政党のロゴ入りTシャツが抽選で貰えるという内容だ。ツイートする内容は「みんなはどんな世の中にしたい?」である。金融庁の報告書を巡る政府与党の対応の一連の流れを見る限り、彼らが重視しているのは何よりも自分達の選挙結果だと思ってほぼ間違いないだろう。昨日の投稿でも書いたように、彼らにとって大事なのは「彼らの意向」の実現であって、「有権者の意向」を汲み取ろうというのはあくまでもスタンスに過ぎないと言っても、それは言い過ぎではなさそうだ。そんな党に「どんな世の中にしたいか」を伝えたところで、彼らの意に沿わなければ軽く無視されるとしか思えない
 それは、沖縄県民のうち43万人が、2月の県民投票で「普天間基地の辺野古移設反対」の意思を明確に示したにもかかわらず、現政権がそれを無視したこと(2/25の投稿3/2の投稿)からも明らかだ。しかも、昨年・2018年9月の沖縄県知事選でも、辺野古移設を容認する方針(厳密には選挙活動の中でその是非には触れなかったので黙認)で、国政与党の自民が支持した候補者に、辺野古移設反対を明確に訴えた玉城現知事が、8万票の差をつけて当選した際にも、現政権はこの沖縄の意向を無視している(2/20の投稿)。

 当該キャンペーンの為に、講談社やViViがどれだけの収入を自民党から得たのか定かでないが、PRと明言している以上、全く無償でキャンペーンを引き受けたというわけではないだろう。広告収入を生業にしている者が、自社PR以外を無償で行うとは考え難い。もし自民党のPRを無償で行っていたのなら、そこには確実に「政治的な意図がある」。つまり「政治的な意図はない」と講談社が言うのなら、それは確実に広告収入が発生していることを意味する。
 自分には、講談社やViViは、自社の利益と引き換えに、現政権与党に魂を売ったように見えてしまう。しかもそんなキャンペーンを行っておいて「政治的な意図はない」と言うのは、政権与党と一緒になって読者や有権者を馬鹿にしているか、若しくは講談社には「政治的」という言葉の意味を理解できる者が1人もいないかのどちらかなのではないか。



 付け加えておくと、どうもこのViViの件はテレビではあまり取り上げられていないように見える。5/3の投稿「「#自民党2019」プロジェクトのキナ臭さ」で取り上げた、自民党2019ムービーのショート版を、既にCMとして放映しているテレビ局も複数あり、広告主である政党の意向に忖度したり、他を批判すると自分達にも同じ批判が返ってくるのではないかという懸念から、取り上げ難い状況になっているというのが実情かもしれない。
 今回ViViのキャンペーンが槍玉に上がっているが、J-Castニュース「自民党「コラボ」、ViViだけでなくグノシーも 参加者には首相ビデオレター...「政治的な意図や背景ない」」が伝えているように、ニュース配信アプリ・グノシーも、#自民党2019に関わるキャンペーンを行っている。記事の中で紹介されているように、「ニュース配信アプリが、こんなことしたら終わりでしょ。『うちが配信するニュースは自民党よりです』って言ってるに等しい」などの批判も挙がっており、これはViViの出版元である講談社についても同様だ。
 東京工業大学の社会学者・西田 亮介さんはこれらの件について、

という見解を示しているのだが、日本が国連から、報道の自由度を危惧する報告を複数回受けている状況では(朝日新聞「表現の自由「日本は勧告をほぼ履行せず」国連特別報告者」)、特定政党のキャンペーンを行う事で収入を得ることを覚えたメディアが、スポンサー、つまり特定政党に寄った報道ばかりするようになってしまうのではないか、ということも危惧する必要があるのではないだろうか。勿論、他の政党も同じようなことを始めればバランス的な均衡は計れるのだろうが、それでは結局キャンペーンを増やせる資金力に秀でた政党が有利になってしまうので、政治と金の問題ということも考える必要がある。

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