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政治だけでなく、メディアの質も下がっていると言わざるを得ない状況


 このブログでは、これまでに何度も「内容だけでなく見出しにも、正確性と妥当性が求められる」ということについて書いてきた。何故なら、記事の内容を読まずに見出しだけをみる人が確実に存在し、誤ったイメージを流布することになりかねないからだ。
 例えば、映画の宣伝など娯楽に関する内容の記事では、少々センセーショナルで内容とは印象の違う見出しを掲げても、それ程問題にはならないだろう。確かに人の目を惹くにはキャッチーな見出しも必要だろうが、報道にそれは相応しくない。

これら以外にも見出しの重要性・妥当性に触れた投稿はあるが、全部を列記するとこの投稿が単なる目次で終わってしまうので割愛する。


 昨日、また2つの見出しの妥当性を疑う記事に出くわした。まず一つ目は、

黒川氏、「点ピン」で賭けマージャン 法務省が調査公表 [検察庁法改正案]:朝日新聞デジタル


という記事だ。この記事は、東京高検の黒川 弘務検事長が新型コロナウイルスの感染拡大を受けた緊急事態宣言中に、産経新聞記者と朝日新聞社員らと賭けマージャンをしていた件に関して、黒川氏への聞き取りなどを踏まえた調査結果を法務省が発表したことについての記事だ。朝日新聞は「黒川検事長の賭けマージャン問題 法務省調査結果の全文」という記事も併せて掲載している。その発表された調査結果の要素の中から、
いわゆる点ピン(1000点を100円換算とするもの)と呼ばれるレート
で賭け麻雀をしていたことに注目した見出しをつけている。
 見出しは、記者がその記事の中で最も伝えたい部分の抜粋したものとも考えることが出来る。確かに、緊急事態宣言下で政府が外出自粛を求めていた中で集まっていたこと、記者が手配したハイヤーを利用していたことなどは、既に文春の最初の記事でも示されていて、法務省が示した調査結果の中にある新たな情報は賭け麻雀のレートだけだ。だが果たして、この件においてレートは重要な要素だろうか。
 検察や警察等の関係者以外、つまり取り締まる側ではない者が賭け麻雀をしていたなら、どの程度の金額を賭けていたのかは事案の評価に関わる要素だと言えそうだが、取り締まる側が賭け麻雀をしていたなら、たとえ1000点10円、1000点1円というレートであっても問題のある行為だし、レートは全く重要な要素ではないと考える。
 記者がどんな意図でレートを見出しにしたのかは定かでないが、この記者の見出しを付けるセンスの低さには閉口する。


 もう一つは文春の、

指原莉乃さんの「政治的発言」が炎上 「テレビの女王」が世間とズレてきた? | 文春オンライン


という記事の見出しに違和感を覚えた。
 この指原さんの発言に関しては、自分も5/18の投稿で持論を書いた。自分には、彼女は「私は勉強できてない。故に全体的にもその種の人が多く、大して調べもせずにツイートしてるんだろう」と言っているように見え、全く共感できないどころか、中立を装いつつ、政府批判した多くの人達を不勉強だと印象づけようとする発言にも思え、嫌悪感すらあった。
 だが、この記事のライターは、
発言を振り返ると、指原さんはただ「自分がツイートしなかった理由」を述べているのが分かります。おそらくいくつかのトラップを意識しながら発言していたのでしょう。「関心を持ててよかった」とこの事象に感謝しつつ「すごく簡単に記された相関図」を安易に信じない私、「信念がなかったので」安易にツイートをしない私を表明する。「賢明さ」と同時に、SNSというものへの「慎重さ」もアピールできますよね。芸能界における「政治的発言」としてはパーフェクトではないでしょうか。
指原さんは「検察庁法改正案に賛成します」と言っているわけじゃない、ただツイート「しなかった」というだけです。
と書いていて、そもそもの評価も自分とは大きく異なる。
 ライターの言う「(彼女は)ただツイートしなかっただけ」には疑問もある。だが、評価はそれぞれ異なって当然で、このライターの受け止めには全く共感も賛同も出来ないが、このライターの評価が絶対的に間違っていると断定もできない。だからその部分は単に、共感出来ない、というだけで、それ以上でもそれ以下でもない。

 しかし見出しに関しては別だ。
指原莉乃さんの「政治的発言」が炎上
という見出しをつけると、あたかも「指原さんの発言が政治的だったから炎上した」かのようなニュアンスになってしまう。 少なくとも自分にはそう感じられた。それは間違いなく事実と乖離している。記事を読めば、このライターが「指原さんの発言が政治的だったから炎上した」とは思っていないことは分かる。だが冒頭でも書いたように、世の中には記事を読まずに見出しだけを見る人が大勢いる。寧ろ見出しだけを見る人の方が多いのではないだろうか。また、論理的なことよりも情緒的なことを重視する人、というのもまた大勢いて、そのような人達は、記事を読んでも見出しに引っ張られることもある。
 だからこの見出しには強い違和感と懸念を覚えるし、前述の朝日の記事同様に、見出しを付けたライターや、その掲載を許した編集や媒体の、見出し選び・言葉選びのセンスのなさにも閉口する。


 冒頭で紹介した以前の投稿の中でも書いているが、記事や状況に即した見出しを付けられない、敢えてセンセーショナルな見出しで煽ろう、というのは、所謂まとめサイトやトレンドブログと言われるようなゴシップ紙以下の存在と大差ない行為だ。
 昨日の投稿のタイトルは「この国のメディアはもう概ね死んでる、と感じるワケ」だったが、このようなことからも、それを強く感じてしまう。

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