交渉カードを切る、という表現がある。外交やビジネスなど交渉の場面で、交渉をトランプなどカードゲームに見立てて、自分の要求や主張を通したり、交渉相手を牽制する為の切り札となる要素を交渉カードと呼び、タイミングを見計らってその要素を露出させるなどすることを意味する。
テレビなどの出演者について、芸能事務所などが人気芸能人の出演を承諾する条件として、売り出したいまだ人気の低い芸能人を共に出演させることを要求するすること、又はそのような経緯で出演を果たした人気の低い芸能人のことをバーターと呼んだりする。
バーターとは、本来は物々交換 を意味する英語だが(barter)、ウィキペディアには「芸能界の業界用語で束の逆さ読み。英語とは関係がない」ともある。日本ではこのニュアンスでバーターという表現が用いられる方が多く、英語の bater にはない抱き合わせ、交換条件のような意味合いになっている。因みに抱き合わせは英語では tying、交換条件は terms of exchange、exchange conditions と表現するようだ。
直近、9/30の投稿、10/1の投稿で触れた、自民党の国会議員 杉田による女性蔑視発言、10/3の投稿、10/4の投稿、10/6の投稿で触れた、日本学術会議が推薦した者の内6名を首相が任命拒否した問題、10/5の投稿、10/7の投稿で触れた、党所属の足立区議が、2018年の杉田同様の同性愛者蔑視/差別発言をしたことで、政府や与党・自民党への批判と不信が再び高まりそうな様相を呈している。
その一方で、10/6には、河野行革大臣が押印の廃止を検討し始めた、10/9には、政府が緊急避妊薬の薬局での販売を検討を始めた、上川法務大臣が婚姻/離婚届けの押印廃止を検討している、橋本男女共同参画大臣が選択的夫婦別姓導入に前向きである、などと報じられた。
「脱ハンコ」に取り組む河野太郎大臣、日本年金機構で「押印を廃止する方向との報告受けた」とTwitterで明かす | ハフポスト
緊急避妊薬(アフターピル )、政府が薬局での販売を検討へ。実現求める強い声 | ハフポスト
婚姻・離婚届のハンコ廃止へ オンライン化も推進 :日本経済新聞
“前向きに議論” 夫婦別姓で橋本聖子大臣
このような話が政府から提示されることは喜ばしいことではあるが、手放しで喜べるような話かというと、決してそうとは考え難い。その理由は、これらの話が出てきたタイミングと、どれも「検討」であってまだ実現するとは限らない、場合によっては「前向きに議論する意向」という、検討すら確約されていないからだ。
河野が大臣として押印廃止検討の意向を示したのは、前述の記事が掲載されるよりも前の9/24で、学術会議の任命拒否が話題になった9/30よりも、杉田が女性蔑視発言をした9/25よりも前であり、一概に政権への批判や不信を牽制する為のカードとは言えないかもしれない。しかし河野は10/9、「日本学術会議を行政改革の対象にする」と表明した。
政府・自民 圧力の次は介入「学術会議は行革対象」 関係者反発「論点すり替え」 - 毎日新聞
それと同じ10/9に上川法務大臣が婚姻/離婚届けの押印廃止を検討という話が出てきたことなどを勘案すれば、当初は政権への批判や不信を牽制する為のカードではなかったのかもしれないが、今は押印廃止検討も切り札のように扱っている、と考えても全く不自然ではない。
菅政権発足からまだ間もなく、政権が変わったからこのような話が出てきている、と考えることも出来なくない。だが、なぜこれらの件が、政権への批判や不信を牽制する為のカードのように見えるのかと言うと、以前にも似たことがあったからだ。
例えば、昨年・2019年11月に桜を見る会の問題への本格的な追求が国会でなされ、首相の安倍や官房長官の菅などが整合性の低い説明に終始する中で、突如HPVワクチンの積極的な勧奨再開を目指す自民党の議員連盟の発足がアナウンスされた(HPVワクチン、自民の議連発足 積極的勧奨再開目指す:朝日新聞デジタル)。また今年の5月、所謂アベノマスクなどコロナ対応の杜撰さと、それに伴う利益誘導疑惑、そして検察庁法改正案を強引に成立させようとしたことなどに対する批判が最高潮に達したタイミングで、自民党は三原 じゅん子を座長とするインターネット上での誹謗中傷対策を検討するプロジェクトチームを発足させた(自民、ネット中傷対策へPT発足 法改正も視野 三原氏「無法地帯化している」 - 毎日新聞)。
このインターネット上での誹謗中傷対策は、フジテレビの恋愛リアリティーショー「テラスハウス」に出演していた女子プロレスラー・木村 花さんが急死したことを受けたものでもあり、素早い対応との評価もあった。確かに彼女の死が報じられてから数日後にプロジェクトチームを発足させているが、8/7の投稿でも書いたように、自民党はプロジェクトチーム発足後も、所属議員による伊藤 詩織さんなどへの誹謗中傷に対して何ら対応をしていない。また、プロジェクトチーム発足から既に4ヶ月が経過しているが、その後何か動きがあっただろうか。そんな話は全く聞こえない。「検討へ」という話が出た後に動きがあったという話が出てこないのは、HPVワクチンの積極的勧奨に関しても同様である。
そして、安倍政権、現菅政権共に、憲法に基づく国会招集要求があるのに、それに応じないという状況が今も続いている。そもそも憲法に基づく要求を蔑ろにすることは法治の軽視であり言語道断なのだが、彼らが国会招集要求に応じないことを是とするロジックの1つに「今は国会で議論すべきことがない。議論することがないのだから国会を招集する必要はない、他にリソースを割くべき」という話があるが、このように議論するべきことはいくらでもある。
手放しで喜べるような話ではない、と考える2つ目の理由は、どれも「検討」でしかないということ、検討すら確約されていないことにある、とした理由も前段で触れた件と同様で、これまでに似た状況で「検討」という話が出てきた件がどれも尻すぼみであるからだ。
押印廃止に関しても、
脱はんこ「行き過ぎ」 自民議連が政府に苦言 二階氏「署名集め反抗を」 - 毎日新聞
既にこのような話が出てきており、尻すぼみ、羊頭狗肉になる要素が見え隠れしている。
また緊急避妊薬市販化に関しても、
緊急避妊薬市販化 田村厚労相「検討する」 解禁時期は明言せず - 毎日新聞
という報道もあり、「検討と言うだけならタダだからとりあえず言っておけ」という臭いがプンプン漂っている。何故なら記事にもあるように、緊急避妊薬の薬局販売は厚労省で2017年にも検討されたが、「安易な使用を招く」などの反対によって見送られた経緯があり、田村厚労大臣は「17年の検討会も踏まえ、現状を調査した上で厚労省で検討を進める」としているからだ。
そもそも、安倍自民党政権はアベノミクスや女性活躍、働き方改革、保育無償化など羊頭狗肉・美辞麗句の政策・公約のオンパレードだった。現在の首相である菅は安倍自民党政権の顔役・官房長官だった人物であり、基本的に前政権を踏襲すると公言している。ということはつまり、羊頭狗肉・美辞麗句の政策や公約も前政権通り踏襲するということだろうし、「検討」と言うだけで実質的には何もしない、若しくは実際に実行に移すのは、次に何かあった時の為のカードとしてとっておく、ということをするつもりなのだろう。
HPVワクチンの積極的勧奨は人の命に関わる問題だし、それはネット上などの誹謗中傷問題に関しても同様だ。また緊急避妊薬だって主に女性の肉体的精神的健康に関わる問題であり、政治的なカードとして利用するなど断じて許される事案ではない。選択的夫婦別姓制度に関しても、少子高齢化問題と密接な関係にある事案であり、政治的なカードとして出し渋っている場合ではない。政府と与党が政治カード化している恐れをこの投稿で指摘した件の中では、押印廃止が最も緊急性の低い事案だろうが、それだって決して政治的なカードとして出し渋ることは適当とは言えない。
そもそもどんな政策だろうが、自分達が強引に通したい政策のバーターにしたり、都合が悪い状況になった時の為の目くらましとして「検討」を匂わせることは、決して妥当とは言えないし、そんなことをする人達に政権は任せられない。しかし、自民党による前政権、そしてそれを踏襲する現政権は、そんなことをする人達である恐れがとても高い。
党所属議員が女性や同性愛者などに対する蔑視発言をしても実質的に処分しなかったり、憲法や法律の解釈を勝手に捻じ曲げたりする政府・与党はその時点でアウトだが、加えて行うべき政策を政治的なカードとして出し渋る、言い換えれば、それぞれに困っている人がいるにも関わらず、それを軽視してもてあそぶような政府・与党は2重の意味でアウトである。
トップ画像は、Thorsten FrenzelによるPixabayからの画像 を加工して使用した。