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責任が果たされないことで増える犠牲

 2021年も昨年と同じ状況になってしまった。何が同じ状況になったかと言うと、モータースポーツの世界選手権における日本開催が全滅したことだ。モータースポーツ各選手権の日本開催が中止になった、ということについてはこれまでにも度々書いてきたが、最後まで中止や延期の発表がなかったWRCも、とうとう正式に中止が発表されたのだ。

 6月にMotoGPの日本開催中止が決まった後、7/7にWEC、8/18にF1、8/19にEWC/鈴鹿8耐、そして昨日・9/7にWRCの中止が発表された。因みに昨日は、12月に日本開催が予定されていたFIFAクラブワールドカップの日本開催中止方針も示されている。ただ、まだ方針でしかなく、オリンピックを強行した人達が、自分達の判断が間違っていなかったことにする為に、介入して強行される恐れもありそうだ。


 なぜ今日のトップ画像に、ガナルカナル島に積み重なる日本兵の死体と御前会議を組み合わせた画像を使い、そこに「犠牲の上に成り立つもの」というコピーをあしらったのか。それは、これらモータースポーツの世界戦日本開催が全て中止になる一方で、オリンピックとパラリンピックが強行されたことに、そのイメージを強く抱いたからだ。
 オリンピックやパラリンピックによる国外からの人の移動は、モータースポーツの世界戦のどれよりも間違いなく多く、そして国内における注目度も高く、国内での人の移動も促してしまうものだった。8/7の投稿でも触れたトライアスロンや、マラソンなど公道使用する競技、サーフィンなどの競技場の外で開催した競技、そして開会式や閉会式では無観客だったのに、会場の周りに人だかりができていたこと、自衛隊の曲芸飛行を見ようと人が集まったことなどを見れば、それは誰の目にも明らかだ。

 オリンピックをやれば人の移動を促すことになる、という指摘は開催以前から頻繁にされていた。直接的に人の移動を促すだけでなく、オリンピックやるんだから、自分達も同じ様なことをしても大丈夫だろ、という意識を少なからず生んだことは紛れもない事実だ。政府や都知事は、オリンピックを家でTVを通して観戦する人が増えるから人の移動は減る、と言っていたが、そのような説を立証する証拠、データはどこにも示されていない。そして彼らたその誤りを認め謝罪したという事実もない。
 個人的には、政府や都知事だけでなく、トヨタ社長の豊田 章夫にも強い嫌悪感を覚える。トヨタは誰もが知る日本で最も大きな自動車企業であり、WECとWRCに参戦していて、WECでは唯一のワークス参加自動車会社、WRCではヒュンダイとトヨタだけがワークス参戦している状況であり、共に強い影響力を持っているはずだ。日本開催に関しては特に。しかもWRCの日本開催に関しては、2010年を最後に年間スケジュールから外れていたのだが、2017年にトヨタがWRCへ復帰後、招致活動が始まり、2019年に2020年の開催が決定した。開催地は以前の北海道から愛知へ変わった。愛知はトヨタのお膝元であり、招致にトヨタが強く関与したことは間違いない。しかし、新型ウイルス感染拡大の影響で2020年は中止、そして今年も中止になり、開催決定から3年経ってもまだ開催が実現していない。
 トヨタはそんな立場であり、WECやWRCの日本開催中止決定にも全く関与していないとは考えられない。寧ろ強く関与している可能性が高い。しかし一方でトヨタはオリンピック/パラリンピックのスポンサーの中でも、最もランクの高い企業として名を連ねている。しかしオリンピック/パラリンピック中止を提案したという話は一切聞こえなかったし、人を集めるので中止した方がいいと批判された聖火リレーにも山車を走らせ、そして豊田 章夫自身も聖火ランナーとして走っていた。その豊田 章夫の姿はモータースポーツを犠牲にしてオリンピックを強行した人達の一人にしか見えなかった。


 8月下旬、オリンピック/パラリンピックと同様に開催を強行した大規模イベント・フジロックが強い批判に晒された(8/20の投稿)。愛知県で開催された NAMIMONOGATARI 2021 という音楽フェスでは、感染対策がほとんどなされておらず、マスクをしていない観客も多く、フジロックよりも更に強い批判に晒された。その影響で中止や延期を余儀なくされているイベントも決して少なくない。

 現在の状況に鑑みれば、8/30の投稿でも書いたように、どんなイベントだろうが万単位で人を集めるようなことをすべきではない、まだまだ時期尚早だと思っている。しかし一方で、そうも言ってはいられない主催者の台所事情もあるんだろうし、オリンピックはやったのに何で自分達はダメなのか、という思いもあるんだろう。


 D1と言えば、日本発祥のモータースポーツであるドリフト競技の最も歴史のある団体、つまりドリフト競技の元祖とも言える団体だ。そのD1には、トップリーグの D1GP、その下に2部に相当する D1Lights がある。そしてその下には更に地方選もある。
 D1も8月以降の大会開催予定変更を余儀なくされた。まず地方選のいくつかが中止され、8/21-22に開催予定だったトップリーグ・D1GP 第5/6戦の延期も決まった。更に9/4-5開催予定の D1Lights 第6/7戦を、無観客で開催すると発表された。そして D1Lights 第6/7戦は、これまでYoutubeにて無料で生中継されていたが、生中継は有料配信になることも決まった。

 D1GPの開催延期、Lightsの無観客&生中継は有料、イベント終了後中継映像を無料公開、という変更から考えると、チケット収入がゼロになる無観客開催では運営が成り立たず、その分を生配信の有料化で補いたいが、トップリーグの D1GP でそれをいきなり試すのは、大きな客離れにつながってしまう恐れもある為、まずは D1Lights でそれをテストする、動向を確認する、という苦肉の策だったんだろうと想像する。
 もしオリンピックが中止され、7月末の感染爆発が起きなかったとしたら、D1はこんなことで苦心せず、これまで通りの感染対策をした上での開催ができていたんだろう。こういうところにも、D1に限らずこのような規模のイベントが、オリンピック/パラリンピックの為に犠牲にされた感を覚えずにはいられない。もし7月の感染爆発がオリンピックとは無関係だったとしても、オリンピックは強行されたのだから、その犠牲にされた感は否めない。


 このようなこと以外にも、政府の対策の酷さの責任が、若者が自粛しないとか、飲食店が感染の原因であるかのような対応とか、実態とはことなるのにそういうことによって転嫁され、犠牲にされているという感も強い。また、感染爆発による医療崩壊で治療を受けられずに死んでしまう者、重症化する者、後遺症が出る者もその犠牲と言えるだろう。責任者が責任を負わない、果たさないと、どんどんその犠牲が増えていく。


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